アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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独歩 小さきものの死――『春の鳥』と『竹の木戸』アリアドネ・アーカイブスより

独歩 小さきものの死――『春の鳥』と『竹の木戸』
2014-04-16 15:37:56
テーマ:文学と思想




・ 夭折とまではいわないけれども三十七歳で亡くなった独歩の事である。作風は初期のころから完成されていて、生涯を通じて前期後期と、自然をめぐる観照の仕方の変化がうかがえて興味深い。
 前期は名作『武蔵野』等に描かれた自然観である。つかの間のもの、移ろいゆくものに美を見出すロマン主義的な感性は、境界域にあるものへの発掘を通じて伝統的な美的枠組みを破壊し、その背後にあるありのままの自然を見出すのだが、独歩の優れているところはその自然をナチュラルな自然、ワイルドな自然とは言わずに、あたかも独歩の独創によって見出された感受性であるかのように、主として東京近郊の、何気ない雑木林や入日に、やがて到来する西洋的な自然概念を受容するための下地作りをしたことである。独歩の『武蔵野』が文学史的な事件であることを超えて日本文化史上に広がる意義を持つのは次の点である。
 独歩が新しいと云う意味は、西洋的な自然概念を他に先立って紹介したことでもなければ、西洋的な自然概念の定義をそのまま是認した点でもない。実に、自然とは、自ずからあるところのものであると云う定義のように、自然と文明の枠組みを超えたところにある。さらに自然は常に時制を超えた現前であることによって、『武蔵野』の自然が雑木林のみではなく近郊の地域を含んだように、人が作り出したものであると云う事を喝破し得た点にこそある、と云うべきであろう。かかる観点から言えば、近代西洋人の主張する自然概念に関する言説などは、フッサールに倣っていえば、所詮は「理念の衣」で覆われた理念的抽象、自然ではなく自然主義的なものであると云う事になろうか。独歩は、自然概念だけに関していうならば、西洋社会を百年ほど先立っていたのである。

 かかる独歩の自然理解、自然概念の延長に後期の作品群が現れる。ここでは印象に残った『春の鳥』と『竹の木戸』を取り上げる。
 『春の鳥』は、青年時代の独歩が一時滞在した九州の佐伯と云う城下町時代の体験をヒントになった作品である。城下に知恵遅れの青年がいて、母親もそこまではないがそういう傾向があって、遺伝的なものだと思うのだが、ある日その母親から語り手は知恵遅れの教育を頼まれる。無駄と知りつつも断りかねて手を貸すのだが当然成果は上がらない。そんなある日、その知恵遅れの少年が行方不明になって、町衆の何人もが手に手に灯りを燈して探し回るのだがようとして知れない。そこで語り手が思い当たったのは城山の石垣のところではなかったか、と思うのである。その場所は初めて語り手が少年と遭遇した場所でもあった。そうして、予想通りその高い石垣の下で遺体となった少年を発見する。
母親の嘆きはいかばかりのものだったろう。知恵遅れであろうとなかろうと子を想う親の心に差などありはしない。それで不憫に思った語り手は、憐れな母親に少年は鳥になろうとしたのかもしれないと、かねてからの空想を語るのである。しかしそう語って釈然としないのは、鳥になれると信じてもし本当に石垣の頂点から飛んだのだとすれば、愚かであるというより余りにも不憫さが極まってしまう。それでも少年が本当に鳥となってあの石垣の上の空を飛んでいる、今はあらゆる憐れみや差別からも解放されて、自在な身となって飛んでいると考えたら、半ばは慰められたような気がするのでもあった。

 『竹の木戸』は急に隣に住むことになった植木屋夫婦の物語である。
 こちらの家はそれなりに主人が役所勤めもしていることゆえ、豊かではないとはいえそれなりに暮らしている。隣家と云えば倉庫かとも見まごうようなあばら家である。そこには水も引いていないので、水を頂きにくる交渉事から両家の付き合いが始まる。向こうは、こちらが控えめであるのを見て取って境界線を仕切っている垣根を切り抜いてそこに裏木戸のようなものを造らせてくれないかなどと手前勝手な要求をしてくる。こちらとしても家族会議は紛糾するけれども温厚な主人の性格ゆえ、つい許してしまう。そこから両家の間にあったプライヴェートな仕切りが曖昧となり、盗人や押し入り強盗の暗示に晒されるようになる。温厚な主人も今となっては自分の温情主義が裏目に出たのを後悔するようになる。しかし一旦決めたものを元に戻すと云うのは人情的にできない。
 結末はこのようになる。ある日温厚な主人が何気なく高窓から顔を突き出して下を見ると、下では隣家の家内が丁度こちらの家が日干ししていた炭木の一本を手にしていたところであった。後に解る事であるがこの時隣家の家内の懐には既に何本かが隠されていた。しかし温厚な主人は一見しただけでは物事を理解することが出来ずにそのまま忘れてしまうような形になる。しかし隣家の家内にとっては、今まで何くれとなく自分たちを庇ってくれた隣家の善良な主人の温情ゆえに反って心理的には追い詰められていくのである。
 やがて此方では隣家の不法行為が公然の秘密となる。善良なる主人は例によって取り合わない。そこでこちらの家の女中は忠義一方のところがあるので、木炭に目立たないように番号を打って、ついに隣家の家内を申し開きできないようなところまで追いつめてしまう。
 こうした日々が重なってついに隣家の家内は寝込んでしまう。植木職人の主人は常日頃から、本物の職人とは気分次第で働くものだと云わんばかりに月のうち二十日ほどしか働かない。米もなく炭もない一家の窮状を訴えても素知らぬ風に自分だけは猛烈に飯をかきこんで食欲を満たす。ある日あまり家内が思いつめたように言うのでふいと外に出て行った夫は店先に積んであった炭俵をひよいと失敬して家内の前に突き出す。この時は深く詮議せぬまま家内は素直に喜ぶ。
 ところで、炭木に番号が打たれると云うあの事件があって以来、隣家の家内はこちらの家に行きそびれているままである。あまり行かないのも不自然だからと思い直して出向いたのだが、挨拶すら自然には出てはこない。軒下に炭木を並べると云う従来の習慣が変更されていることに気が付いて目をきょろきょろとさせて落ち着きをなくしたところに、丁度炭俵を盗まれた使用人がご機嫌伺いに現れて、先日の盗難事件についてこちらの意地悪な女中とこれ見よがしの会話を交わす。
 これを聴いた隣家の家内は、歯を食いしばってよろめきながら竹の裏木戸を外に出る。それからほどなくして「炭俵を脚継にして土間の真ん中の梁へ細帯を掛けて死んだ」隣家の家内の姿が発見される。
 後日談は次の通り。既に隣家の家内が死ぬ前に当家の女中はみっちりと叱られていた。第二は、二月ほども経つと隣家の植木職人の姿が同じ年恰好の女房をもって渋谷村に暮らしていることが報告される。

 以上、なんとも気が滅入るような小説である。独歩の生きた社会は彼を誤解して、これを現実暴露の書として、暗黒の書として、すなわち自然主義の書として誤解して読んだ。西洋のエミール・ゾラモーパッサンも何の関係もないのである。武蔵野の自然を愛おしむ目が、かって何気ない雑木林の風情に詩情を見出したその同じ目が、明治期の社会の最底辺に生きる名もなき小さな人々に対する同情を失わなかった、と云う事だけなのである。