アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

荷風の文学の終焉 アリアドネ・アーカイブスより

荷風の文学の終焉
2014-04-24 09:18:02
テーマ:文学と思想




・ 最晩年の荷風が戦後も昭和22年、国破れた山河に佇んで与謝野晶子国木田独歩を回想している。ある意味では精神的な意味での朋友ともいえた二人に対して共通の記憶としての古い東京、とりわけ千駄ヶ谷あたりの風土を思い出すのだが、武蔵野の独歩はともかくとして荷風が思い出すのは熱き血潮の晶子なのである。むざむざ若者たちを戦地に失ったと云う思いは『すみだ川』の老人の嘆きが現実のものとなって回帰したと云う事なのだろう。荷風は晶子にならべて独歩を回想していることの意味は大きくて、晶子には心性としての自然さを、独歩には変わらずにあるもの不易なものへの憧憬を感じていたに違いない。

 永井荷風の文学は、軽るみ、江戸時代の戯作文学と伝統への回帰と云う事が云われるが、今日読み返してみると命を軽んじる社会への一貫した抗議がある批判小説であったことが分かるだろう。先の『葛飾土産』において晶子、独歩を回想しながら彼がにわかに書き付けているのは「人はまだ日露戦争を知らなかった知らなかった時である。」と書いているからである。つまり晶子や独歩の文学を、日本が好戦的な政体と国民性を獲得する以前の時代への詠嘆と云うよりも、ここでは言葉と云うものの威力を信じた少数の同胞たちへの敬意と云うものをこの段階で語ろうとしたものだと考えてよい。
 独歩、晶子とそれぞれ、外なる自然への開け行く感性と、内面から湧き上がる感性を自然ととらえた両者には、自然の理解の仕方において通底するものがあったと感じているのである。移り変わる四季の風景に解き放たれた明治期の青年の感激を背後で支えていた心情は、同時に晶子のこだわりを知らぬ無垢の湧き上がる内面性でもあった。

 『腕くらべ』が色街小説の人情本としての体裁を取りながら描いているのは性を通してみることのできる資本主義のあからさまな本性である。性の趣味人吉岡に洋行帰りの保守主義者の冷酷と冷徹さを、横浜の骨董商のなにがしに資本主義の野蛮さをやや戯画的に代表させている。
 ここでは性を取り巻くいかなる時代にもありえた幻想のベールは情け容赦なくはぎとられ、ここに非情な審美家としての荷風の姿をひとは見るのだが、その冷静さ透徹性とは荷風が対峙しようとしていたもの、つまり彼が生きた時代の現実と等価の関係にあった、と云う事を認識することが必要だろう。つまり書きようとしては、資本主義の不条理を古典的な経世学的な観点からもプロレタリア文学の観点からも描くことが可能なのだが、批判的に描こうとする対象を異なった思想や脈絡に於いてではなく、描こうとする対象と同一の構造と文体において描こうとした点に於いて荷風の独創がある。つまり『腕くらべ』は社会小説として見た場合に内在的である、と云う事が云えるのである。

 そもそも色町とは何であったか。荷風が懐古する江戸風の色町の風景はともかく、日清日露以降の社会が生んだ貪婪さと野蛮さの余剰としての、性を通して見られた近代の日本の現実ではなかったか。つまり荷風が描こうとしているのは、何時の世も人は好色で色漁りをすると云うような「普遍的な現実」、一般則ではなくて、近代化日本の特殊的な現実である、と云う事である。だから『腕くらべ』の吉岡があれほど性の技巧家として徹底的な描き方をされながら、人間として異常だとは少しも描かれていないのである。むしろ富の権力誇示が、経済的不動産として、あからさまな性の饗宴として、あるいは反転した半文化性、骨董的美的鑑賞のスタイル、通人や粋風の生き方として様々に表れざるを得ない、と云う事を描いているに過ぎないのである。むしろこのように描かれているからこそ、荷風もまた資本主義的な現実の中では加害者的に働かざるを得ないと云う秘められた背面の理由も語られているのである。荷風の加害者性の自覚は『すみだ川』以降一貫している。

 『おかめ笹』においてはテーマは、『すみだ川』の純粋な青年のように絶望の果てに死を選択するのではなく、人間生きておれば良いこともある、と云う処世訓を語ったものだろうか。ここでもまた荷風を思わせる粋人が『腕くらべ』同様でてきて、デウス・エクス・マキナ機械仕掛けの神の役割を果たす。『おかめ笹』の荷風の自己批評は『腕くらべ』ほど楽天的ではなくて、大多数の人間が平均的幸せを得るためには犠牲の羊を必要とすると云う筋立てになっている。荷風は必ずしも自らが描き出した残酷さ、冷徹さに自覚的ではないけれども両価的な現実を描いたと云う意味で『おかめ笹』は荷風の傑作なのである。つまり荷風流のハッピーエンドは評判が良くないのだが、それでも小康のような小説的結構としてのまとまりの付け方は、幸せが細やかであればあるだけ人の世の哀れを浮きだたせる効果を生んでいるのである。

 芥の様な溝や路地の中に王朝風の美学を描きとどめたのが『墨東奇譚』である。虫けらのように世間の片隅で生き死にする小さき人々の物語りに変えるに、王朝的な幻想によって二重化されたものとして物語る。江戸的な粋や軽みの文学ではなく、余情纏綿とした王朝的な語りによって自らの描き来った世界を救いだすこと、ここに荷風の最晩年の転回がある。

 荷風はちまちました安手の現実と王朝的なふくよかな雅趣に富んだ余香と云う二重性を描くものとして、小説についての批評と云うセルバンティス以来の西洋小説の伝統に回帰した。語り手は『失踪』なる小説内小説を書きつつある荷風その人と思われる人物である。時代の要請や必要に請われるままに生きて、その時々で如才なく無自覚に生きる、しかし生涯を終わろうとしてそんな自分とは何者だろうか、そうした問いかけを持った近代小説なのである。小説内小説としての『失踪』は老いたる主人公の運命的な逡巡を前にして頓挫するのだが、『墨東奇譚』もまた決断をよう成し得ない荷風の優柔不断の前に幕切れとなる、つまり時間切れとなる。王朝的美学に生きることを憧憬しながら、そこに至りえぬ己が生き様を過程として描いて、これは現代小説となりえているのである。この小説の終わりが帚葉翁なる懐古的詠嘆型の人物の、「既に一群を成して赤電車を待っている女給とともに路傍に立ち、顔馴染の者がいると先方の迷惑をも顧みず、大きな声で話しかける」、これは荷風の描いた、先を見越した自らの苦き自画像と云ってよいだろう。

 それにしても『墨東奇譚』の玉ノ井の出会いを描いた情緒纏綿とした美しさはどうだろうか。小雨に差し出された傘を仲立ちにけぶる、二人の絵のような立ち姿、一方これと補償関係にあるかのような小説内小説『失踪』の小心な男の平均的勤め人の物語、老獪な作者荷風は二人の運命に高を括りながら、これは小説の落ちとしては出奔、駆け落ちと云うのもあり得るのではないかなどと無責任に空想する。他方では、現在進行形の物語としては風の噂のようにお雪が病気となって入院すると云う伝聞が伝えられるにも関わらず、語り手としてはなす術がない。つまり語り手は荷風が描いたようにもはやデウス・エクス・マキナの物語りとしては語らないし語れないのである。戦後の荷風は自分の文学を少々食み出たところにいた。

 終戦後における荷風の有名な死は何事かの象徴的出来事であったかのように語られてきた。その語り方はやや誇大で意地悪いものである。孤独死と云うのであろうか、その死にざまの凄惨さを伝える報道は彼の嫌悪した報道の露悪主義、『腕くらべ』に描かれた現実そのままである。ついに荷風は彼が対峙したものの手先の餌食となったのか、彼は自らの文学の復讐を受けたのか、わたしはそうは思わない。
 永井荷風の文学は晩年ひとつの転回を秘めていた。それは語りえぬことを語ると云うロマンの手法である。それは必然的に語り手が登場を強いられることによって、傍観者たることを許さない。『墨東奇譚』が江戸期の戯作文学の軽みをさって王朝風の美学に回帰した理由も考えてみなければならない点である。同様に『ひかげの花』における回想的時間が持つ清冽な水辺の音の甦り、まるで禊のように響いてくる記憶の彼方から響いてくる水辺の懐かしき香は、荷風の文学には異例の、ほとんど祈るような宗教性すら感じさせる場面である。幻想的ともいえる一期一場面の荷風文学の最後の超越的な高まり、これは尋常なことではない。『葛飾土産』に描かれたボート遊びと悪戯じみた冒険が忘れられない小中学生時代の思い出が投影していたに違ない、荷風は幸せであったに違いない。審美家として冷徹で冷静な荷風が抱きしめたくなるような己が過去に循環的に再会する感傷的な場面である。これも江戸の戯作文学にはなかったものである
 永井荷風は何処に行こうとしていたのか。生憎とそれが彼にとっては物理的時間切れとなった。彼は孤独のうちに死んだ、その死は和洋折衷のものを食して消化不良で死んだともいわれる、まるで時代を先取りするかのように。大事な貯金通帳を握りしめて死んだとまでは書かれなかったけれども、要するに彼は最低の死を死んだ、と云う事なのである、まるで玉ノ井の虫けらのように――ここに云う虫けらとは小さな魂も涙もあると云う意味で。つまり描かれる対象的世界と主体が初めて彼の中で一致したのである。