映画『カティン』とNHKアーカイブス・アンジェイ・ワイダの軌跡 アリアドネ・アーカイブスより
映画『カティン』とNHKアーカイブス・アンジェイ・ワイダの軌跡
2014-11-16 21:38:52
テーマ:映画と演劇
まずはご覧ください。
NHKアーカイブス「祖国ポーランドを取り続けた男」です。
http://www.veoh.com/watch/v142220982ZDCaCx2/
http://moviecache.walkerplus.com/movie/title/image_contents/l/mv45221-l.jpg
映画『カティン』
カティンの森の出来事は知る人の間ではすでに有名であった。1939年にロシア共産党政権下で起きた事件が正式に公に晒されたのは、戦後もずっと隔たったエリツイン時代であったと云う。この映画を見て戦争の残虐さを語ることは容易いけれども、モスクワで遂に上映された時に、ロシアの公衆は帽子を脱いで冥福を祈ったと云う。現在もそうであるのかは知らないけれども、死者の尊厳と云うことが語られたのは意義あることだと云えよう。
この映画には劇的な仕組まれた起承転結はなくて、あったことを正確に映像を通して後世に伝えると云う使命感だけで造られた映画であるような気がする。そこには、反戦や平和への願いなどと云う通常のスローガンすらない。映画は、虐殺されていくポーランド将校たちの殺戮の現場を、淡々と映し出して祈りの音楽とともに終わる。
印象的な俳優は、やはりワイダ監督自身の母親の面影を伝える夫人像と、戦死した兄をめぐって、その後のポーランド社会主義政権下で二様に分かれた姉妹の、埋葬のあり方をめぐる生き方の対比であろう。
映画にはさりげなく、アンチゴネーの演劇ポスターが瞬間的に映像の片隅を流れ去る。名高いギリシア悲劇の内容は、相異なる立場で戦死した二人の兄妹の死の弔いの儀式のあり方をめぐって、反体制的な兄弟の一方には弔うことが許可されないと云うことをめぐって、アンチゴネーの姉妹は異なった生き方を示す。ワイダの映画の場合は、強調して、一方はロシア共産党の肝いりで出来たポーランド新体制の出世階段を登りつつある姉と、カティンの森の記憶を墓碑銘に刻んだ墓石が破壊され、花も手向けることなく立ち去る現代のアンティゴネ―の姿をクライマックスに於いて描いている。
政治的立場の如何に関わらず人を弔うとは、人間の政(まつりごと)の範疇にはなく、神々の祀りごと(まつりごと)領域である。人間の仕来りと神々の倫理の、人間をめぐる二重倫理の問題でもある。この二重倫理の問題が政治と倫理の問題として、ロシア共産主義政権下の一党独裁へと向かう戦後の時間の中で、それが地下の伏流水のように80年代におけるワレサによる連帯の問題にまで視野に入れて、しかし全く一条の希望の光の筋すら見えなかった1950年代の、様々なポーランドの人々の生き様を描いて、終わる。
映画は二重倫理の微妙なニュアンスや陰影を描くことよりも、直截に映像で伝えた。22000人のポーランドの将校たちは如何にして死んでいったのか。注目すべきは、この22000人の中に含まれる軍事関係者の数は一万足らずで、残りは民間の知識人たちであったことである。弁護士、教師、医師、エンジニアたち、つまり戦後、支配を容易にするために、国民国家の礎を築くなるようになる人たちを事前に根こそぎにして置くと云う、親愛なるヨシフの「遠大な」計画があったことである。
反面に於いては、残された知識階級の中から、自らの栄達をのみに意識を特化したものたち、密告や裏切りの技術に長けたものだけを重宝していく、戦後の冷戦下の一方の統治のあり方を暗示するものだろうか、これは日本の戦後のあり方などと対比させたら面白いかもしれない。
もちろん映画はこのようには描いていない。ドイツ軍の支配から東へと逃れる人々、そしてソビエト軍のポーランド分割に向けた参戦によって西側へ向かう人々、この二つの流れた川を挟んだ鉄橋で遭遇し、相反する東西の流れが渦を巻くような混乱の中で、夫に会うために自転車のハンドルをしっかり握って、幼い娘の手を引いて、群衆の奔流の中を西へと向かう母と娘の姿を描きだす。モデルは亡くなったワイダの在りし日の母親の姿である。
彼女の執念が実ってロシア領へ護送される直前の夫とその属する舞台とさる教会の野戦病院の境内で会うことが出来るのだが、これが母と娘の永劫の別れとなる。
夫と分かれて、再び東のクルクフへと向かう旅もまた苦難を極めている。ポーランド将校の妻と家族は僻地の強制労働に駆り出される運命が定められている、と云うのである。ロシア赤軍の個人的な好意で間一髪で母娘は運命を逃れるのだが、帰って来たクルクフでは似たような運命が、今度はナチスの政権下で、関係ある人々を見舞っていた。
大学教授をしている彼女の父親もまた同僚たちとともに校内の講堂に集まられ、そのままドイツの収容所に移送され、待ち受けていたのは「病死」と云う名の通知と、その証拠を示すための遺品を入れた木箱だけである。夫の上司である大将の妻は仕組まれた声明文への同意を求められるが、いったんは拒否するものの、ナチスによって撮影された、ボルシェビキの仕業らしいカティンの出来事を撮影した映像を見せられ、初めて真相を知る。東に西にも救いがないのである。
戦後になってロシアの強力な影響下のもとでポーランドにも共産主義政権が樹立されると、夫の死の消息を知る唯一のカティンの森から生き延びた友人は真相を元大将夫人から知らされ、原共産主義体制下で生き延びることに絶望して死を選ぶ。戦中を田舎の親戚の家で生き延びた甥は、画学生として生きるために専門学校の面接を受けるが、父親がカティンの森で死亡していると云う家族調書の記載をめぐって、それを拒否し、現政権下のプロバガンダ用のポスターを剥いで、関係に追われて殺される。
登場人物の一人の少女は言う、わたしの生きる国はどこなの?それは戦前にも戦中にも戦後にもなかったし、東にも西にも、東西南北どこを探してもありはしなかったのである。
戦後間もない頃の、検閲に怯え乍ら造られた『灰とダイヤモンド』などの一連の作品などとは異なって、イロニーや屈折はなく、抵抗に殉じたポーランドの人々の姿は、悲劇的であるけれども偉大であり崇高である。
映画監督アンジェイ・ワイダはこの作品では芸術的な巧緻を凝らすことよりも、より直接に、長く封印されてきた歴史の真実を描くこと、それを後代に伝えることをもって最大の使命としたかのようである。
これらアンジェイ・ワイダ監督の諸作品を日本で見ることの意義は何か。ごみ芥の中でのたうち回って死んでいく『灰とダイヤモンド』のラストシーンは、繁栄に取り残されたものの死かも知れない。長い地下水道を逃れていく青年たちを待ち受けるそれぞれの死、懐中電灯の覚束ない光の中に浮かび上がる細長いドーム状のトンネルの壁は、それを長い戦後の時間と観じたものはいなかったのだろうか。