アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ロンドンへの旅を契機にヴァージニア・ウルフ理解を改める――黄昏のロンドン・44 アリアドネ・アーカイブスより

ロンドンへの旅を契機にヴァージニア・ウルフ理解を改める――黄昏のロンドン・44
2019-05-08 18:06:32
テーマ:文学と思想


ロンドンを旅したのはいまからほぼ二か月ほど前になる。春先のロンドンは思いのほか暖かかった。羽田発のブリティッシュエアラインではガイド本の他にヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』をロンドンガイド代わりに持っていった。
 ヴァージニア・ウルフ所縁の場所はロンドンとセント・アイヴス、もう一つは点々と移転した南イングランドサセックスがあるが、後ろの二つは今手の届くところにない。ロンドンはハイドパーク・ゲートとブルームズベリ―地区とがあって、今回初めてブルームズベリ地区を一二時間ほど、二回に渡って歩いてみた。雨のブルームズベリーの住居街は灰色にけぶって無機質で非個性的で情緒を受け付けない。彼女の高踏的なきらいを感じさせる高雅で典雅な芸術観そのもののように、純粋で、透明で、世俗の猥雑物の痕跡をとどめない。――あるいはそれらの舞台は建て替えられたりしていて、とりつく島がないのである。
 当初、私がロンドン旅行に抱いていた感傷的態度!――設問の仕方からいえば、現地を歩くことにより私の読み方が変わることはなかった。とは言え、春先の移ろいの中にロンドンの街並みを歩いて過ごした日々は、少なくとも一世紀ほども前、生身のうら若き女性が過ごした、鬱屈し分裂した日々の実在性を確信させた。
 帰国すると私は『歳月』を初めて手に取った。次いで旅先で読み継いだ『ダロウェイ夫人』を読み終えた。小説以外のエッセイ―『自分だけの部屋』、『存在の瞬間』を読んだ。特に後者は彼女の死の四か月前に書かれたものである。分裂し錯綜した文体の読みにくさに閉口しながらもなんとか読み終えた。読みにくさは、公刊を前提としたものではなく、ごく内輪の談話か覚書のようなものであったからだ。それだけではなかった。分裂し錯綜し混乱した文体でしか伝えられないものがあったのだ。それがヴァージニア・ウルフの業のような人生の詩と真実であった。芸術家としては功成り名を遂げた二十世紀前衛文学の旗手として、新技法・意識の流れの大家ウルフが、人間としては初心で、何一つ解決するべを欠いた、処女のように非力な女性のまま死んだことが分かった。しかも『存在の瞬間』は、ある意味でプルーストを思わせるヴァージニア・ウルフの最晩年の文体は小説の文体とは異なった、精緻な織物のように織りなされた質感が見事な一流の散文なのである。
 私は依然、なにからなにまで読んでいたわけではなかった。しかし人間ウルフの理解は、彼女の芸術や小説理解を根本から変えた。
 結論から言えば、私の持論に関わらずウルフ理解を変えたのである。