アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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明治の青春について幾つかの補注あるいは自然主義について 藤村、独歩など アリアドネ・アーカイブスより

明治の青春について幾つかの補注あるいは自然主義について 藤村、独歩など
2015-08-13 18:36:48
テーマ:歴史と文学


 明治の青春と云うものを考える場合にどの時代を指したのかを考えるのは難しい。先の一葉論の冒頭に言及した『夜明け前』の青山半蔵こと島崎正樹が座敷牢で病没した明治19年は区切りであったろうし、漱石の明治39年の『草枕』になると東京出身の若き文豪の目には痕跡すら留めていないのが分かる。無情と云うほかはない。明治41年の『三四郎』になると、「明治の青春」を担うのは、全き新しき新人類の如く描かれていることには慨嘆せざるを得ない。無惨と云うほかはない。もう一人の文豪森鷗外はどうかと云うと、彼の本来的な鈍感さは時代の深層に届いていないかの如くである。郷里のマリア峠の出来事については生涯頬かむりし続けたのである。いずれにせよ日本を代表する二人の文豪の視力が時代の深層に届いていないと云うことは興味深い出来事ではあるし、もっと論議されてもよいのではあるまいか。明治文学の主流は歴史の大きな出来事に対して見落としがあるのである。
 話題を一葉に戻せば渋谷二郎と云う人、この人の履歴経歴が自由民権運動の生き残りと云うか、敗残者であったことは象徴的である。歴史によく挫折したものが後に功成り名を遂げる事例はあるが、彼こそ「明治の青春」をある意味で象徴する人物であったろうと思われる。反体制から体制側の人間へ寝返る変節の過程にこそ、明治の青春の葬送と云う象徴的なドラマの巧みな演出の一例をわれわれは空想してみるのである。
 一葉がかかる人物を拒否し続けたことは先述した。かかる象徴的な人物の歴史的点呼のなかに、歴史的描出のなかに樋口一葉は、漱石や鴎外には見えなかった不可視の歴史的過程を見ていたのである。樋口一葉にはあって漱石や鴎外にはないもの、われわれはもっとそのことについて議論すべきではなかろうか。文豪などと云う伝説に寄りかかってものを論じてはならないのである。
 私見ではあるが、――私見と云うよりも妄想に近いのであるが、国木田独歩に『忘れえぬ人』と云う傑篇がある。多摩川を隔てた今日で云う武蔵溝ノ口の旅の宿りに旅のつれづれの一夜に大津と云う青年の思い出話を聴くと云うだけの話であるが、常に気になっていいるのは、この好青年大津は川崎を経由して溝口に一泊したとあるが、本当は何処に行こうとしていたのだろうか、という疑問である。わたしは大津と云う青年の暗さを思う時にどうも多摩民権運動に関係した人ではなかったのかと想像したいのである。『忘れえぬ人』を読むと歴史の流れの中には跡を留めない無辜の人々に対する思いがつづられている。同時に大事なことは語らないものだと云うことも語っている。大津は本当のことは語らなかった。
 明治の青春とは、ついこの間の出来事であったのに、あだ花のように忘れ去られると云うもおろか、半ば伝説と化した、抜き取られた幻想としての歴史のエリアに移行しつつあった。歴史的体験を継承する意欲を歴史自身がが欠いているとき、わたしたちは歴史をどう語れば良いのであろうか。似たようなことは先の大戦で忠君愛国とまでは言わないにしても、国民の赤心までが一変した戦後を支配したイデオロギーのなかでは、歴史的継承を阻まれたものとして眼に見えざる歴史の伏流として戦後の光と影のなかに埋没せざるを得なかった事情とよく似ているのである。
 独歩の『武蔵野』はかかる歴史が埋没して一瞬時間が透明になったときに、突如歴史的真空の空間の中から、ぼかし絵のように自然が姿を見せたのではなかったのか。普段は既成性や歴史的意匠の鱗によって覆われている、通常の日常的な時間性の中から、突然の切れ目から青空が瞬間、煌めき流れ去るように、自然が垣間見えたのではなかったか。独歩の『武蔵野』の驚きとは、単に武蔵野の雑木林に新しい自然の美を見出したというようなことではなく、歴史が意図せざるものとして人民の夢を擬制として裏切りつつあるとき、見ることのできる者の目には見える、清新な本流の如く迸り出たのではなかったか、そうした幻視者か予言者の夢の如きものではなかったか。明治の志をもった青年たちが、キリスト教と愛の概念にあの時代に固有の親和性を持ち続けたのも、単なる明治エリートのハイカラ意識と云うものだけではなかったのではなかろうか。
 歴史が人民を離れて、意図的、作為的に為政者によって作り変えられたとき、つまり人間の自然が歴史意識によって裏切られた時、自然は歴史の自然として回帰する。島崎藤村国木田独歩に代表される明治の青年たちを自然主義と名付けたのは、語の厳密な意味からしても正しかったのである。

 樋口一葉と云えば独特の和漢混合による文語体も手伝って一概に古臭いというイメージを与えるが、また余りにも早すぎる死を持ってしても文学史の放流として半ば伝説上の出来事として考えられていることが多いが、むしろ一葉の文学を読むことで、明治と云う時代が偽造された歴史として、次第に権威と権力構造を獲得した過程で見失っていったものの行方を探る手がかりを得ることが出来る貴重な文献のひとつであると云う気がする。
 自然主義に関していうならば、一葉の死は余りにも早すぎるがゆえに彼女自身としてはその文化的雰囲気を味わうことはできなかった。ある意味では丸山福山時代に一葉邸を訪れた馬場孤蝶をはじめとする若き日の青年たちとの交流史を見ることによって、その一端を知ることもできよう。自然主義とは、なによりもまず歴史に対する自然なのであった。その後自然主義の概念が歪曲されて理解されていく過程で歴史が抜け落ちていく過程は私小説小林秀雄らの自意識の論理に結実する日本文学の主流の動向を見ても理解されることである。樋口一葉の視線は、明治初年の激動の時代を生きた証言者の一人として、社会構造の幅に於いてもまた歴史意識の深層を踏まえると云うことに於いても、後代の文士と呼ばれた人たちとは違っていた。
 樋口一葉の文学を今日読むとはそう云う意味なのである。