アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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シェイクスピアの女性像 アリアドネ・アーカイブスより

シェイクスピアの女性像

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 シェイクスピア文学の多面性、豊饒さについては語りつくされていることであるが、人生そのものとも云える複雑さゆえに、あるいは一個の人生が経験知として知る領域を遥かに越える多方面の深淵さと崇高さのゆえに、作家としての人格や人物像は、彼自身の伝記的資料が不足していることもあって容易には論じ難い、と言う点について異論はないであろう。彼の演劇的分野は、悲劇、喜劇、史劇、歴史劇、ロマンス劇、と多方面に渡っている。そのどの分野に於いても、茫洋とした屹立する崇高性と偉大さのために、論じ尽くしたと云う気持ちになれる人はないであろう。例えば、四大悲劇のなかの『ハムレット』ひとつとっても、論じ尽くしたと云う気持ちにはなれず、かえって手の届かない道の領野は、中世イングランドの吹き荒ぶヒースの伝説の荒野のように、拡大するばかりという気がするのである。
 とは言え、時には肩肘を張らずに、リラックスした気分で幾つかの作品を思い返せば、ある確からしいアイデアのひとつにたどり着く。その中のひとつが、シェイクスピアが抱いた理想の女性像のことなのである。理想の女性像と云っても彼の場合、仰ぎ見るような形ではなく、何か身につまされるような切実感さへ漂っている、何か彼の身近にいたに違いない謎の女性のことなのである。
 
 手近に話を進めると、例えば四大悲劇のなかから『オセロ』のデズデモーナは如何であろうか。彼女が、単純な部下の策術によって、貶められ、夫であるオセローから惨殺される場面まで読み進むと、無残で、憐れで、この世に神も仏もあるものか、という感慨にとらわれる。後に自らの過失を思い知らされた夫は自らの手で自らの命をこの世から抹殺するわけであるから、この男は二度の人殺しを演じることになる。ここまで無邪気で単純な男気を見せつけられると、愚かと云うほかはないのだが、観客として救いのない気持ちはいささかも低減されることはないのである。シェイクスピアよ、きみは何を考えているのだ!
 シェイクスピアの最高傑作である『冬物語』が『オセロ』の悲劇を念頭に於いて書かれたことは明らかである。舞台は黒海沿岸のある王国を舞台とし、似たシチュエーションのなかで妻は夫に追放される。わたくしは何度も読みながら表題の所以について考えた、なにゆえ「冬物語」なのであるのか。確かに、ハッピーエンドで終わるこの物語においては、春を迎えるまでの王妃の艱難の歴史は「冬の時代」であったろう。冬の時代とは、わが国においては政治的事件を彷彿とさせる。事情はイギリスに於いても同様なのであろうか。同時代ではなくても、先立つ歴史的事件としてエリザベス朝やヘンリー八世の時代に至る血なまぐさい王朝史の一齣に、彼の関心を引いた事件があって、それが長い間民衆の間に記憶されていたのだろうか、それは分からない。分かり得ることは、この物語を多くの点で『オセロ』と共通しながらも異なる点、――亡くなった、夭折せる王子の物語を介在させている点である。もしかしたら、王妃にとって最も幸せに過ごした時代のなかに、寝物語として王子に語り聞かせた記憶があったのではないのか。冬物語とは、外は嵐と吹雪が吹き荒んでいたとしても、暖炉に当たりながら寝物語を語る母子像のほのぼのとした映像のことではなかったのか。それゆえにこそ、奇跡にも似た形で夭折せる王子の霊が春の時代を寿ぎ導くのである。何を根拠にしてかくは断言するぞ!と云われるかも知れないが、そう解釈しないでは哀れでいたたまれないのである。
 冬物語とは、やがては春がめぐってくる、という意味である。艱難に耐え、不運を不幸とは観ぜず、命ながらえ、辛抱強く待ちさへすれば、春は経めぐってくる、という意味である、大地の恵みのように。しかし残されたものの奇跡的大団円を導くことが仮に出来たにしても、死んだ者は帰っては来はしない。
 
 王妃のこころは、やがて運命と和解し人としての咎を許す、その一連の経緯が『テンペスト』であるとすれば、シェイクスピアの伝記的事実を違った形でなぞることにはなるであろう。
 彼にとって許さなければならないものとは何であったのか。自らの悲運と悲劇的運命に翻弄されつつも健気にも堪え、志しの高貴さを失わなかった女性が彼の身近にいた。それは血なまぐさいイングランドの王朝史のなかにもいたであろうし、違った意味で彼の身近にもいた。ちょうどゲーテの『ファウスト』が、青年の頃の無分別が一人の女性を傷つけ、その悔いと改悛の情が大文豪ゲーテの女性観に大きな影響を与えたように。もしかしたら、シェイクスピアの方が加害者であったのかもしれない、誰しも長い人生となれば、類似の経験がひとつは思い当たるであろう、ように!