近世と近代、徒然なるままに想う、田中優子の『江戸の想像力』から(再録) アリアドネ・アーカイブスより
(付記) 先の雨月論の末尾、(付記)の部分の再録です。
田中優子の『江戸の想像力』を読んで、わたくしの想像力も少々羽搏きました。鶏の羽ばたきのようで、多少滑稽感はありますが。できれば田中さんには、近世は勿論、近代の輝きについても語っていただきたかった。近代については他も多く語りすぎるほど語っているから遠慮するわ、と云われるかも知れませんが、固有名詞としての田中優子が何をもって、近世に拮抗するものとして近代を捉えていたか、と云う言ことは御自身問題としてもとても大切なことと思うのですね。
秋成没してほぼ一世紀足らず、樋口一葉の文学には蕾のような近代の萌芽がありました。一途で、いじらしくて、しかしながら清冽で、そして最後に冷徹に過激で、女性解放の一歩手前まで行っていました。
近代との遭遇は鷗外、漱石もさりながら、国木田独歩の青春こそ特筆されるべきものと考えております。それから百年近くたった戦後においても、追いつけ追い越せ史観?から、日本人には言語学的な制約からとうてい西洋文学の受容は不可能であるとか、物まねが物まねにならずに私小説などに見る際物へと変質する事態を、――例えば小林秀雄などが、ちょっとばかりのフランス文学の知識を頼りに、大言壮語したものですが、この悪しき反動主義的知識人的な伝統は、小林、吉本、江藤、磯田光一、森有正、遠藤周作、そして柄谷行人まで、自分を売り込むための常套的技術として愛玩されてきたことは、誰しも語らないことですが本当のことです。
明治期に於いて市井に於いて――山の手の中上流階級と云う制限はありますが――どの程度近代化が日本なりに成熟していたかは、『三四郎』や『それから』を読めば分かることです。独歩の『武蔵野』を読めば、如何に武蔵野の雑木林が、近代の光源のなかで自然が如何に明治の青年たちの眼に瑞々しく映じたか、を読み取ることは困難ではなかったはずです。そして鷗外などに至っては、近代など問題ともしない視角をすでに素養として、教養として有していたのです。