アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『雨月物語』の現在――私的メモ  アリアドネ・アーカイブスより

 
 
――上田秋成と云う江戸期の文学者について考えた一週間であった。
これは未完の私的メモとも云うべきものであって、
まとまりが悪く論点が不明瞭で読んでも面白くない。
またの機会を待って、こうご期待!と云うことにしておく。
次々と去来する想いに誘われて、次なるテーマに彷徨いいずる。
開けいく展望と地平線のかぎろいのままに。
 
 
 
 雨月物語の現在、と云っても同書に関する批評史のことではない。そのような該博で浩瀚な知識もないし、言語学的に専門的な初歩的な技術さへも有さない。長年読んできたとも言えないし、愛読書だとも云えない。ただ、言いうることは、雨月のような作品は、それをどう読むのかによって、読み手の現在をあからさまに照らし出すことがある、と云うだけのことなのだ。雨月のことではないけれども、読み手の水準を残酷なほど明るみに出すと云う書物は多い。かかる点を知らずに、読書の愉しさとか豊かさとかを語るお目出度い人もこの世には少なからずいる。わたくしにとって、読書とは真剣勝負である。老いの坂を降り、細い細い糸状の砂時計のように、余時間が厳密に予感のなかに位置を占めるようになるに従って、一番一番に籠めた気迫が大事なものと感じられる。以下は一過、経過のメモのつもりで。
 「白峰」。西行の一夜の幻想のかたちをかりて、崇徳院の怨念を語ったものである。僧形の西行の説得に応じたというよりも、なお怨念の炎は熾んで、一夜が明けて最後に院が安堵の表情を浮かべるのは、西行の回向に応じた気持ちのほかに、自らの立てた預言の不吉さが実現していくことへの満足感、自暴自棄的で捨て鉢な阿修羅的満足感であるように思われる。成仏などと云う生ぬるい仏教的な方法では、生き切ることのできなかった魂の熱情を鎮めることはできない。彼らの慰霊を鎮めることができるのは誰なのか。
 表面的には、仏教的な手法や考え方が槍玉に挙げられている。
 『菊花の契り』。忠心や孝養の儒教的な倫理が描かれている。儒教的な倫理の枠組みの中で生きようとする武士たちの生き様を描いて、封建的武士道や倫理観を宣揚しているかに見えて、支部左門の上辺べの倫理観に隠された激情が鬼火となって迸る最後の場面が印象的である。左門や赤穴宗右衛門にぎこちない生き方を強いる儒教的道徳とは何だろうか。
 この作品に於いても、外見的には儒教倫理の宣揚であるかに見えて、秋成の心底は複雑である。
 『浅茅が宿』。封建的な倫理の生き方に殉じた貞女の生涯を描くことで、観念がひとを滅ぼしてしまうと云う物語である。
 『夢応の鯉魚』。脱俗もできないままに絵心のなかで生きることを内なる秘密の自由として見出した一人の善僧の話しである。窮屈な僧籍ではあるが、かかる形式を脱ぎ捨てたとき、まな板の鯉のような悲劇が訪れることを不吉な夢に見る。かくはならじと思いをこの世に留めて天寿を全うするのだが、自分の描いた絵もまたこの世に残されることを望まなかった。その遺志を理解した夢応の知人たちは回向として描かれた鯉を琵琶湖の湖上に散らすのだが、その風情が生ける鯉が自由気ままに泳ぎ出る姿と見えたとか。
 『仏法僧』。高野山を訪れた風雅にして怪奇な親子の物語である。一夜山に宿りを求めんと、何れも断られて御堂の簀の子で一夜を明かす羽目になった親子の話しであるが、知らず、その御堂は非業の死を遂げた豊臣秀次の一党が屯する霊域だったのである。いまは鬼となり果てたとは言えども、古典のあわれの雅さを完全に失ったわけではない秀次と、”鳥の音も秘密の山の繁みかな」と云う発句の文雅に救われる話である。怨念を鎮めるのは儒仏の観念ではない、神の道でもない。歌心であったと云わんばかりである。 
 『吉備津の釜』。嫉妬深き女ほどこの世の禍はない、と云う書き出しから始まる、女性の性に関する一種の怪異談だが、近世と云う時代のもつ新しさが現代人には見えにくい。例えば同じ雨月のなかで「浅茅が宿」のような貞淑な女性を理想とした文化のなかで、かえって文化の裂け目から出てくる自然、かかる自然の発見を描いている、――田中優子の論理を借りれば、――と云うことになる。自然とは文明や文化の反対疑念ではなくて、文明や文化の裂け目から出てくる、――それが一例として言うならば廃墟の美学と云うことになるのだが――その衝撃力を描いている、と云うことになる。つまり誰もが恐怖感の見どころを感受しえる、いっけん万人向きに解り易い「吉備津の釜」が、現代人には最も理解しにくい理由がそこにある。
 「吉備津の釜」の嫉妬深き女に魅入られた男を崩壊から救うものはなにものもない。儒仏は勿論、神道も不思議とこの物語世界には出てこない。唯一、陰陽師が怨霊に逆らう手立てを尽くすけれども、結局、最終的な段階で効力を発揮することはできなかった。伝統的な手法の無力を暴きたてて、かといって自然が持つ近代性の明るさとは丁度違って裏側にいる、それが自然観をとおして表現された近世と云う時代の特質なのであった。
 『蛇性の淫』。雨月中最高の傑作ではないかと思われるこの作に於いても「吉備津の釜」の主導テーマは繰り返される。この作では超常現象は一応仏師の力で鎮められるが、主人公のイニシエーションとしての成長もまた大きな力になっている。かって文化や文明の隙間から覗き見られたもの――廃墟の美学――実は自然概念だった――が、三尺ほどの白蛇となって調伏される。その憐れな紐のような抜け殻こそ、日本の神々の正体であった。 仏教の教えのあらたかさを宣揚する説話態のお話に見えながら、神なき時代の物語になろうとする、過渡的な作品というべきか。
 『青頭巾』。少年愛の美学が、留め難い現象するものへの偏愛ゆえに、人肉嗜食に発展する、――いずれも時代の歴史的価値観の対極にある価値観であるがゆえに、自然が持つ衝撃力を、「近世」の枠組みの中に描いた物語である。
 『貧福論』。清貧の美学や「清く貧しく美しく」を理想とする価値観に逆らうものとして、実利的な価値観、貨幣の美学が語られている。雨月を文献に添って正確に読もうとするならば、この作品が一番解りやすい。
 最後に、わたくしは先に上田秋成をして、近代の直ぐ間近まできた江戸期の文学者であると書いた。雨月を読んで分かることは、自然概念についてみれば、ちょうど近代の裏側が近世と云う時代になる、分かりやすく言えばこういうことになると思う。近世と云う時代が持つ特質をかく考えて引き出したことは田中優子の『江戸の想像力』の貢献である。わたくしの秋成理解もこの線に沿ってなされた。それでは近世を貫いて近代にまで達した作品には何があるのかと考えてはたと困った。田中の言うように、それを求めるのが無理なので、むしろ近世と云う時代の特質を明らかにしたのが上田秋成の功績であってみれば。しかし、果たしてどうなのだろうか。『蛇性の淫』と『夢応の鯉魚』などには近代と云う未知の時代の風が仄かに香ってくるような気がするのだが。 
 
(付記)
 田中優子の『江戸の想像力』を読んで、わたくしの想像力も少々羽搏きました。鶏の羽ばたきのようで、多少滑稽感はありますが。できれば田中さんには、近世は勿論、近代の輝きについても語っていただきたかった。近代については他も多く語りすぎるほど語っているから遠慮するわ、と云われるかも知れませんが、固有名詞としての田中優子が何をもって、近世に拮抗するものとして近代を捉えていたか、と云う言ことは御自身問題としてもとても大切なことと思うのですね。
 秋成没してほぼ一世紀足らず、樋口一葉の文学には蕾のような近代の萌芽がありました。一途で、いじらしくて、しかしながら清冽で、そして最後に冷徹に過激で、女性解放の一歩手前まで行っていました。
 近代との遭遇は鷗外、漱石もさりながら、国木田独歩の青春こそ特筆されるべきものと考えております。それから百年近くたった戦後においても、追いつけ追い越せ史観?から、日本人には言語学的な制約からとうてい西洋文学の受容は不可能であるとか、物まねが物まねにならずに私小説などに見る際物へと変質する事態を、――例えば小林秀雄などが、ちょっとばかりのフランス文学の知識を頼りに、大言壮語したものですが、この悪しき反動主義的知識人的な伝統は、小林、吉本、江藤、磯田光一森有正遠藤周作、そして柄谷行人まで、自分を売り込むための常套的技術として愛玩されてきたことは、誰しも語らないことですが本当のことです。
 明治期に於いて市井に於いて――山の手の中上流階級と云う制限はありますが――どの程度近代化が日本なりに成熟していたかは、『三四郎』や『それから』を読めば分かることです。独歩の『武蔵野』を読めば、如何に武蔵野の雑木林が、自然が近代の光源のなかで如何に瑞々しく映じたか、を読み取ることは困難ではなかったはずです。そして鷗外などに至っては、近代など問題ともしない視覚をすでに素養として、教養として有していたのです。
 戦後の日本人には逆戻り現象があったのではないのか。伝統に敬意を払わなかった進歩主義的史観と、その裏返されたものとしての、右翼的とまでは言わないにしても、オリンピック協賛的な応援合戦風の文化文明史観等々と、果てしもなく過去を忘れて――繰り返しますが、追いつけ追い越せ文学史観と、その裏返されたものを日本近代文学史として語るなど、愚かであると思います。日本人近代化百年の営為に対して敬意を払うべきだと考えます。