アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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映像:源氏物語――悠久の舞台をめぐる アリアドネ・アーカイブスより

 
光源氏を中心に、彼を取り巻く全五十四帖の女性群像である。桐壷から紫の上を経て浮舟に至る女性に意識連鎖史、といっても良い。映像も桐壷の主要な舞台となる京都御所から、紫の上との出会いを伝える京都・洛北・岩倉を経て、宇治、そして大原・小野の浮舟隠棲の地まで、鮮やかなカラーの映像で、京の四季を伝える。

源氏物語の女性遍歴は、意志というほどのものをほとんど持たない桐壷から始まって、初めて人間には意志というものがあるのを理解するに至る源氏物語の意義は、宇治十帖を待ってこそ、外的世界に翻弄される女性の意識の自覚的展開として完結しえたことを理解しうる。源氏物語が宇治を欠いていたならば、単なる栄華物語に終わっていた可能性がある。

周知のように宇治十帖をかたどる八の宮家の姉妹と、母親違いの異母妹・浮舟の物語は、神さびた宇治上神社の佇まいさながらに、およそ色彩とふくよかさを欠いている。薫君自身が複雑な五十四帖の因果の上に隠者めいた姿を忽然と裏さびれた宇治の地に姿を現すのであり、それを向かい入れる宇治の姉妹、とりわけ姉の大君は恋愛の資格を欠いたもの、巫女めいた禁欲性のもとに出現する。宇治の橋姫神社が何よりも宇治川の荒ぶる魂であり、嫉妬の神格化された象徴であることを少しだけ思い出しておく方が良い。

大君の近代人じみた画策が結局あだとなって心労の果てに大君はなくなり、薫君の側には奇妙な喪失感だけが残る。物語はこれでもかと言わんばかりに、再度薫の喪失感を浮舟の物語において語る。うら若き乙女が複数の求愛を受けて自分でも処しきれなくなり入水するというのは万葉の昔からある定型的ストーリーだが、これに加えてここ宇治川記紀皇位継承の複雑な経緯を肩った舞台でもある。

浮舟物語は歴史的あるいは伝説的な事象を踏まえながら、しかもその上に五十四帖の多彩な女性の運命の連鎖を総括するかのように、一挙に浮舟の物語において頂点を極める。ここで浮舟は源氏物語の女性では初めて、自分に押し付けられた運命や性格に”ノ―”という。

その”ノー”という強さは、仏教という世界を知り、その超越的観点から世俗的世界を相対化して見る力技であったといえよう。宇治十帖は女性をより劣ったものとみなした女人禁制の平安期以前の宗教の変遷史における画期を余すところなく伝えている。


日時:2009年9月21日 午後1時半~
場所:福岡市総合図書館ミニシアター
2004年 日本 DVD 90分 
制作・著作:京都新聞出版センター
ナレーション:上原まり