アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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あるキリスト者の高貴な”嘘”――尊者ピエールについて アリアドネ・アーカイブスより

 
第一次大戦後の1919年という年はいろんな意味で重要な年だった。マックス・ウェーバーはこの年にに亡くなっているし、一学者を超えた一連の対話集会における彼のデモーニッシュとも言えるパフォーマンスは、後の歴史を考えると不気味ですらある。同じ年ヨハン・ホイジンガは”中世の秋”を書いて、通俗的ルネサンス観と近代史論に大きな疑念を呈した。そしてこの書の中に描かれた多彩な人物群像の中でも静かな印象を与え続けるのが、尊者ピエールである。

ずっと気になっていた”アベラールとエロイーズ”を読んでいたら、将にこれ以上ないというタイミングで尊者ピエールと出会った。”中世の秋”を読んでから四十数年が経過していた。エチエンヌ・ジルソンの”アベラールとエロイーズ”は、例えばこのように紹介している。

”そのようにして彼はアベラールを受け入れたのだが、彼の慈愛のうちでは寛大さが公正さと互角であって、そうした慈愛が以後示すことになる尽きることのない卓抜な創意をわれわれは称賛し続けることになるであろう。それを表す言葉は一つしかない。尊者ピエールは完璧であった、と。ここにわれわれが目にするのは、キリスト教的隣人愛のまったき傑作ともいうべき稀有の見物である。それは成すべきことをまさに成すべきやりかたでなし、しかもいかなる臆病さも鈍重さもなくすべてに挑み、挑み続けるものは全て成功させるのである。”

この記述は才気煥発であったアベラールが、異端審問の果てに落泊の流離の果てにローマ法王に最後の嘆願をすべく通りかかり、多分ひと夜の宿を請われたのをそのまま引きとどめた、”配慮”を示している。尊者ピエールの眼から見てアベラールの体力は気力とも旅に堪え得なかった。ここにたまさかの偶然が幸いしてシトー会との和合が成立し、アベラールは死に場所を与えられる。

尊者ピエールの果たした役割はこれだけに止まらない。アベラールの死後ピエールはエロイーズのたっての願いを聴きいれるべく、彼女の元を訪れる。庵室を訪れた二人は昔語りをする。ピエールは如何にエロイーズが当時においても今も、有名人であり、学識において比類なき女性であったかを語る。エロイーズのかたくなな頬は緩んだろうか。畳みかけるように彼は言う。――イエス・キリストとは復活の日まで、この上ない愛と慈しみをもって彼女に代って一時アベラールを預かっている存在であるのだと。彼女の代わりに彼をとどめ置き何時の日か彼女の元に彼を返してくださる神とは一体どんな神なのだろうか。この神だけは彼女といえども阻むことはできなかった。

アベラールとエロイーズが最終的に辿りついた境位についてジルソンは沈黙する他にないという。私たちが知りえるのは二人の間になされた苛烈な対話、犠牲と使徒的な服従を主旨とするアベラールのアガペー的立場と、セネカや聖ヒロエニムスに残る古典的規範、エロイーズのストア的甘受の立場、すなわちエロス的な立場の対比なのである。

尊者ピエールはエロイーズを説得できるなどとは考えていなかった。エロイーズが辿りついた存在の深淵に如何ほどもその”嘘”が適合しうるとも信じていたわけではない。エロイーズもまたアベラールゆえにキリスト教に帰依しあらゆる忍従を甘受したように、尊者ピエールゆえに彼の提案、つまりはキリスト教界で最も高貴で美しい”嘘”を受け入れたのである。かって若かりし頃幾度となくアベラールの”嘘”を受け入れたように。


ヨハン・ホイジンガ”中世の秋”世界の名著67 堀越孝一訳 1967年 中央公論社
エチエンヌ・ジルソン”アベラールとエロイーズ”中村弓子訳 1987年3月第一刷 蠅澆垢構駛