アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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アンダルシアの光芒――、マリア・メサ・メノカル「寛容の文化 ムスリム、ユダヤ人、キリスト教徒の中

アンダルシアの光芒――、マリア・メサ・メノカル「寛容の文化 ムスリムユダヤ人、キリスト教徒の中
2009-05-06 16:17:01
テーマ:歴史と文学

メノカルの「寛容の文化」はちょっとしたカルチャーショックを与える暗示に富んだ本だが、内容の平明さに比し、手持ちのイスラム関係や環地中海をめぐる文学・哲学・宗教の初歩的な概念的知識すらないものにとっては、それを要約することはまことに難しい。この書は、750年のダマスクスにおけるウマイヤ家の北アフリカの砂漠をとおって、ジブラルタルを越え、アンダルシアに至る王朝の建国から、1492年のムスリムユダヤ人の国外追令とグラナダ陥落による<レコンキスタ>の終了までを扱っている。

やはり、こうした文献を読むと日頃の海の遠くの国々に抱いている重要な概念の幾つかが先入見にすぎず、それが事実認定の正誤の次元を超えて、こちらの文化的なものの考え方の変更まで迫るようなので、つい深く考え込んでしまう次第となる。この本によれば、スペインの、しかも中世のスペインについて正確な知識を得るとは、一国史実証主義的なあれこれではなく、<アンダルシア>と今日呼ばれている、単にスペインの地方名にすぎない名称が、西洋史上、あるいは人類史上もった計り知れない意味である。事実この本は、2002年の9・11事件を念頭に置いている、そしてそれ以上にバルカンとサラエボの意味を問うているのである。

しかし冷静に考えれば本当は驚くべきことなのである。800年近くも続いた一つの文化圏が短期間の間に跡形もなく歴史上からその痕跡すら止めることなく消滅するのである。わたしは前の文献でマノーラという概念を学んだのだが、その宗教的苛烈さを伝える痕跡が『ドン・キホーテ』の中のあるという指摘にはびっくりしてしまった。なぜ、キホーテは誰の目にも明らかな風車を巨人と見間違えたのか。メノカルによれば、そこには白を黒と言い換えて生きざるを得なかった歴史的記憶が投影されている、というのである。なにゆえサンチョ・パンサはくどいほど頻繁に自分が旧キリスト教徒の家系の出自であることを言いださなければならないのか。キホーテが思いを寄せる農家の娘、<ドルネーシア姫>は、なぜ「ラ・マンチア随一の豚肉の塩漬けの名手>などと語られたりするのか。いわば表現することによって隠そうとしていることが露わになる。こう言うのは、メノカルによれはほんの一例らしい。この他にも『デカメロン』やプロヴァンスに花開いたトロヴァトールのの中にも、あるいはクリュニーの尊者ピエールや、アベラーズとエロイーズですら違った光の中で読むことが可能になりそうなのである。

アンダルシア、つまりアンダルスの崩壊は次のようにして生じた。長年ピレネーの南麓に封じ込められていたカスティーリアとアラゴン等のキリスト教諸国の南下である。しかしこれが映画『エル・シド』のような単純なレコンキスタの物語として終始したわけではない。フェルナンド一世からカトリック両王の時代までの諸王が敬意を欠いていたならば、イスラム時代の異物が文化財として今日まで伝えられることは少なくともなかっただろう。アンダルスの崩壊は、異種の文化の遭遇によって生じた。それは、ジブラルタルの海を渡ってきたムラービト朝ムワッヒド朝である。後者は原理主義であったと説明されている。同じころピレネーの向こうに目を転じるとローマ教皇の号令一下、南欧プロヴァンスの文化はアルヴィジョワ十字軍の戦禍の中で終焉の時を迎えていた。スペインもこののち家督相続の問題から、パプスブルグ家の影響を受けるようになり、一国一民族の絶対王制の影響と、ローマ教皇キリスト教純潔主義の影響を受けるようになる。つまりここには不幸な異文明の衝突によってもたらされた民族意識と国家意識の目覚めがある。アンダルスは、南北より、腹背に敵を受け、四面楚歌の状態にあった。異なった民族、異なった宗教、異なった文明による高度な、自然科学と人文科学の伝統を伝える文化が、滅びようとしていたのである。

アンダルシア、つまりアンダルスとは、地理的な限界を超えて異なる宗教、異なる民族が共存しえた人類史上の実験的な意味も兼ねた試みであった。それゆえアンダルスという懐かしい響きは、棗椰子と泉の記憶ととも『アラビアのロレンス』の砂漠の族長の記憶のなかにおいてすら、はるか伝承されているとメノカルは書いている。そうしてこの潰え去った人類の記憶は海を渡ってアメリカに逃れたユダヤ人の集合的無意識の中に、面々と伝えられているとでも言いたげである。この本は、表題の裏に次の献辞を持つ。すなわち「棗椰子の育つ土地に生まれた誠実な人に――棗椰子のしげる故郷を離れ、終生流浪に生きた父、エンリオ・メノカルに」

ややマイナーな本なので、データを示しておく。
マリア・ロサ・メリカル著「寛容の文文化 ムスリムユダヤ人、キリスト教徒の中世スペイン」2002年足立孝訳 名古屋大学出版会 2005年8月10日 初版