アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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殯について アリアドネ・アーカイブスより

殯について

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 たぶん、わたくしの考察は浅いのだろうけれども、わが国には古来より殯と云う死者を弔う形式がある。
 殯を、死者の方からみると、死者が自らの死を死に、死を生きていく段階と云い直してもよい。死者は一度目は物理的な事象としての生物学的な死を経験し、死を生き、死は生きられることによって、死は本来の意味での死となる。死と云う未然の行為は死者となって完結する。
 これを生者の方から見ると、死者は仮託されたものとして生者の中に棲みつき、死者はそうすることで今一度己が生を生き直す。残された生者は自らの内面に棲みついた死者の生を共に生き直すことによって、死者の生を今一度循環するものとして生き直す。時間が経過して死者の実存が十分に生き切れたと観ぜられたとき、殯の季節は終わりを迎えると云ってよい。だから古代において、殯の期間と云うものを定めることはできなかったのである。殯の終焉は、斎き祀るものとしての喪主にとって実存の闇夜を照らす、到来する時間として経験された。
 殯と云う、生者と死者との間に絶対的な胸壁を定めず、いずれにも属さない中間的な領域を設けたこと、宗教としてこの曖昧な期間について名称として名付け、明示化された儀式として定着させたのは神道の際立った特徴と云ってもよいのではなかろうか。
 周知のように古墳期の前方後円墳は二つの峰からなっている。円形部分に台形部分が連繋する形で全体としては鍵穴の格好になっている。円形部分の小丘が墳墓部分であり、やや平坦な台形部分の盛り上がり部が殯を営んだ祭儀の場所ではなかったかと想像できる。
初期の前方後円墳は、ホタテ貝式のもので円形部分が大きく、台形部分は付け足しのように円形部分にぶら下がった格好である。これが歴史的な時間が経過するに従って台形部分が次第に大きくなり、従って殯の期間の明示化、意識化がより鮮明になって行ったのではなかろうか。
 周知のように、当初の墳墓は今日見るような樹木が生い茂った小山状のものではなく、一面に石が貼られていて南面する陽光の中に白亜に輝いていた、外国に見る共通の、墳墓の世界様式に似ていたと思う。
 わたくしは殯と云う弔いの形式のことを偲びながら、死者と生者の断層がそう顕著でなかった古代日本人の死生観について興味を持った。姨捨伝説や即身成仏と云う形式も、今日見る様な残酷で猟奇的な関心のみではみられなかったものであるのかもしれない。
 
 生者が死者の生を自らの実存として生き直す、と云うことが本来の供養と云う形式の基としてあったのではなかろうか。また、現代的な文明観では、人は死んでしまえばそれまでだが、殯を生きた古代日本人の心においては、死者にとって死は最終的な人生の終わりではなく、運命として自らに与えられた死を死として死んで、再度、死を死として生き直すと云う行為によって自らの生を回顧的に生き直すと云うドラマがあったのではなかろうか。これこそ世界宗教が与える匿名性の死や一般的な名称としての死ではなく、死の個性化、固有な死の在り方であったのではなかろうか。そしてそのドラマが演じられた場面こそ、残されたものの実存と云う舞台であり世界劇場であったのではないだろうか。
 
 
  人類が発達させてきた、宗教、という名の死の専門職(僧や司祭から今日の医師にいたるまで)、一人一人の生は個性的であることが許されているのに、死は一様に無機的な一般者の相貌をしか備えてはいない。死の専門職から、各々の死を、その個性的な死の実存を取り戻さなければならない。