アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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公民は何処にいるか?――インマヌエル・カントの場合(2011/ 4) アリアドネの部屋アーカイブス 2019-08-25 22:49:12

公民は何処にいるか?――インマヌエル・カントの場合(2011/ 4) アリアドネの部屋アーカイブ
2019-08-25 22:49:12
テーマ:アリアドネアーカイブ

原文:
https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505535611.html
公民は何処にいるか?――インマヌエル・カントの場合
2011-04-22 10:35:33
テーマ: 文学と思想

昨今、カントの「啓蒙とは何か」や「永遠平和のために」が中山元さんの新訳で有名になりましたね。

カントは公共性の所以を不言実行ではなく、公開の場で語ることの重要性について考えました。いわは思惟を言葉として形に現わすことによって見えてくる世界の可能性に気が付いたのです。ご存知のように主著「純粋理性批判」は思惟の法則性と限界について、それを主として権利問題として語ったわけですから、単なる思惟を乗り越えること、つまりプラトン以降西洋市民社会を大きく規定していた、”知ること”に根拠を置いた認識論を確信を持って踏み越えたのです。時にカント、人口数万のケーニヒスブルグという町に生まれた世界最初の”職業的”大学教授殿は、70歳前後だったと思われます。

ところで公共的に”語り得る者”とは誰か?

これがなかなか正確に理解されなかったようです。カントは公共性に於いて語ることについて「啓蒙とは何か」の中で有名な比喩を使って説明しています。彼は言います。――自分は意見を求められた場合に、単に大学教授の地位とステイタスに於いて語るのであれば、それは公共性に於いて語ると云うことではない、学者として、世界公民的見地から語る場合のみ、公共性において語ると云いうる、と。

なにやら、最近の原発問題をめぐる、日本の大学教授や専門家と呼ばれていた人たちが取った言動の紆余曲折の経緯を考えたら複雑な気分になりますね。

カントが生きた18世紀末の晩年は、ちょうどフランス革命以降の啓蒙期に影が射し世界史が大きく方向を変えつつある時代でした。学者としての世界的名声にもかかわらず田舎町で静かな余生を過ごすことにしていた老哲学者の些細な行動のいちいちに当局は目くじらを立てました。宗教世界も一致して今後聖書については一切彼に語らせないことを当局に約束させたのです。

一方、目を諸外国に転ずれば革命の輸出国、本国フランスではジャコバン党の台頭と内部分裂によって人権思想の理念は大きく後退し、革命に感激した若い世代の失望感を広げつつありました。カントの「啓蒙とはなにか」はかかる外憂内憂の時代閉塞が高まりつつあった時期に公表されたのです。

公開の場で語るとは何を意味するか。これは先回のアンチゴーネの場合にも言いうることなのですが、公開の場で語るということが大事なのです。行為もまた実効性のあるものではなく象徴的な行為であることで十分なのです。

ふつう理論と実践などと云うことを云うと、今回のような原発事故に関わる問題などにおいて、もはや理論ではなく実行の問題であるなどと語りますね。しかし何時の場合も大きく物事を動かすものは象徴的な行為であることが多いのです。

ついでに云えば、理論と実践の問題は、あくまで実践の有効性の検証と云う事が無意識のうちに前提されていますので、最終的には”実験”という概念に行き着くのです。仮説的目標と実験的検証の考えに基づく実証主義と科学主義は、一見客観性の仮面を装っていますが、所与性を無前提に受けとることにおいて恣意的主観主義の化け物なのですね。つまり”無前提性”を標榜したガリレオ・ガリレイの黎明期における近代社会の理想、”科学”理念を大きく裏切るものとなっていることは、歴史の皮肉と言いうるでしょう。

理論と実践、実験主義のものの考え方はわたしたちの市民生活にも影を落としています。実践主義とは別の意味で理論偏重主義でもあります。理論を結果利用の最大有効範囲において”科学的”に”検証”する考え方ですから、理論の空想主義的な傾向にブレーキがかからないのです、理論物理学のように。

また理論から最大効率と最大利用の実績を曳き出す系であるわけですから、”この時、この場所”でという極端に偏向した極在性を払拭出来ないのです。つまり原発は必要であるとか、生きる者の権利などと云うことを恥も外聞もなく言い立てる族が大手を振って”国民”の名において語るという僭越が生じるのです。

今回の原発事故は、”科学”的なものの考え方に関わる、理論と実践、実験と科学的検証と云う、ものごとを二元論の枠組みで考える閉鎖系の思惟の形式が孕む課題についても問題提起をしていると思うのです。

カントの公開性において語るとは、主観と客観、理論と実践、一方的に加工される受動性としての自然と欲望の体系としての資本の論理とと実験主義が語る、いはゆる”科学的”なものの考え方が前提している閉鎖系の組織の限界についても語っていると思うのです。

啓蒙期の理想が大きな反動の波に洗われるつあった18世紀初頭における老カントの一徹さ、彼の世界公民的見地もまた象徴的な行為の域を出るものではありませんでした。

公共性とは何か?世界市民的公民とは何処にいるのか?カントの老いの繰り事のようなこの問いは、夜空の星とわが心の内なる道徳律ほどにも孤独でした。しかし最晩年に向かって却って精神が若返ると云う逆転劇が世界史の一角で人知れず起きていたのです。