アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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アリストテレス倫理学のさわり アリアドネ・アーカイブスより

 
”いまここにブラウンという、頑健で、外向的で、自身に満ちた人がいたとしよう。彼がある会議に出世して、彼が誤りと信じる提案が過半数の出席者にとって大いに人気あるものだったとする。ブラウンは提案への反対意見を何の苦労もなしに陳述する。一方、スミスという内気で、控え目で、優柔不断な、ブラウンとは対照的な人物も同じ会議に出席していて、彼もまた、この人気の高い提案に反対だとする。スミスは非常な努力の結果、意志の力で苦痛を克服して何とか反対を表明することができる。たぶん我々は、スミスこそ勇気の徳を示した人物とみなすであろう。”(アームソン”アリストテレス倫理学入門”)

アリストテレスによれば、”ある人が優れているかどうかは、単にその人が何をするかによって決まるのではなく、何を進んでするか、何を楽しむか、何をしたいかによって決まる。優れた人間は、努力しなくても正しく行動することができる。意志の力で自分を律したうえで正しく行動するのではない。”(前掲書)

ここまで読んでピンと来たのは、アリストテレスにここまで言わせたものの存在である。その存在とは、”正しき人”ソクラテスの存在ではなかったろうか。プラトンアリストテレスの哲学は、良いにつけ悪いにつけ、ソクラテス的言動への注釈である。
また、真に優れた人間についての想念は、80年代の優れたイギリス映画”炎のランナー”のリデルとエイブラハムの物語を思い出さないだろうか。

アームストロングは、アリストテレス倫理学の立場から、人間の取りうる行動基準を、次の四つに分類している。

 \気靴す圓い鬚靴茲Δ隼廚ぁ△つそれを何ら心の葛藤なしに行えるような人の状態。
◆”埓気悗陵僅任魎兇犬襪、それに打ち勝って正しい行いをする人の状態。
 不正の誘惑を感じそれに打ち勝とうとするが、成功せず不正をなしてしまう人の状態。
ぁーら進んで不正を行い、それに対して何の抵抗も感じない人の状態。

こえはヒエラルキー区分になっているので、上位ほど優れているということになる。しかし悩ましいのは、,鉢△魏燭譴鮠絨未箸垢襪には、近代人の場合、異論もあろう。

,蓮△發舛蹐鵐▲螢好肇謄譽肯冤?悗領場である。映画”炎のランナー”のリデルはここに分類されると思う。

△蓮▲ントの倫理学の立場である。”炎のランナー”のエイブラハムはここに分類されると思う。

は、例えば”罪と罰”のラスコリーニコフや、イワン・カラマーゾフの立場。ある種の特殊な合理化論としては、遠藤周作のキリスト理解も入れることができるかもしれない。

い蓮△い錣罎詒蛤畆圓噺討个譴討い訖佑燭繊△靴しこれには大事な捕捉を加えなければならない。例えばこの中に、ナチスアイヒマンのような人――組織のような個人の人格を超えた絶対性の立場から個人の無罪を主張する人を入れるかどうかである、この類型の中には55年型体制の人々、地域の利益のためにやったと主張する我が国の利権型の政治家の群像も含めることができるだろう。それからもうひとつ大変重要な課題、確信犯型のテロリスト、あるいはオウムの旧信者をここに入れるかどうか、という問題がある。

問題の深刻さは、アイヒマン型の人間が、実は△竜範実行型の人間と親和性が高いという認識は、私を深刻な人間存在に関する疑惑に誘う。また同様に確信犯的テロリスムはの人間類型と非常に親和性が高く、今後も文学的に格好の題材を提起し続けるだろう。

私にはアリストテレス倫理学は第一にソクラテスへの態度決定であると思う、第二に2200年後のカント哲学をはじめとする近代の倫理学への広範な未来型の応答であるようにも見える。いまマックス・ウェーバーの本を読んでいるので、彼もカントらの戦列に加えることができる。アリストテレスを中心にソクラテスとカントが、あるいはイエス・キリストをはじめとする様々な思想的な立場を異にするものが、まるで上下左右から十文字に包囲するような形の陣形が私には見える。アリストテレスとは、これだけでも哲学者としても変わった形の思想家だったのだと、つくづく思う。

哲学者としては偉大であっても、友人として突き合うのはどうかと思う人がある。ハイデガーなどは隣人として突き合うのはどうだったであろうか。シュバイツァー流の聖人型もどこか引けてしまわないだろうか。アリストテレスなら、友人としても隣人としてのをれなりの付き合い方がありえたように思う。

アリストテレスは、人生を理想と現実、目的と手段という狭い枠組みのみに尽きるわけではないこと、生の豊かさと横溢の古ギリシャ的な追想に生きた人間ではなかったろうか。そんな人間にとって混迷を深めるギリシャの古代都市国家の抗争と内部分裂、ソクラテスプラトンとの関係、それを呑み込むようにして流動していった世界史的地殻変動の、アレクサンドロスとヘレニズムの予感の中に、彼は孤独で一人で立っていた。晩年の彼はアテネのリュケイオンから追放されたとも伝えられ、近親者に看取られ失意の中で死んだとも言われる。しかし普通の人間にできることとできないことを区別し、出来ること即ち人間存在の此岸性に立脚する彼の哲学は、二千数百年の歳月を超えて私たちに勇気と慰めを与え続けるのである。


J・O・アームソン”アリストテレス倫理学入門”雨宮健訳 1998年1月第一刷 蟯簀判馘