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国民国家と反ユダヤ主義・1――アーレントの場合 アリアドネ・アーカイブス

国民国家反ユダヤ主義・1――アーレントの場合
2011-08-14 20:33:07
テーマ:文学と思想





 アーレントのこの有名な本は表題のごとく全体主義の起源ユダヤ人と政治システムの関係から読み解こうとした書物である。それを読み解くためのキーワードとして用いられたのがユダヤ人憎悪と反ユダヤ主義の問題であった。この両者はしばしば混同されてきたが区分されるべきであるという。ユダヤ人憎悪が有史以来の半ば伝説化した問題であるのに対して反ユダヤ主義とは19世紀以降顕著になる歴史上の課題であるという。ここでは、ユダヤ人問題を国民国家とは何かという問題意識も絡めてアーレントの考え方を紹介してみたい。

 伝統的にユダヤ人は権力の庇護のもとで金融やそれに付随する諸商いに従事してきたという意味で、大勢(体制)順応的であったという。この二千数百年に及ぶユダヤ民族の歴史的経験はフランス革命による市民社会の成立期から国民国家の形成期前後では以下のように変化したという。

 ここに、共和制と国民国家との違いについてアーレントの考え方を紹介する。西洋的な意味での国民国家とは領域的国家であり、法の前の平等と同質的国民性と領土的一致が条件となる。フランス革命の失敗は法の前の平等を単なる建前と同一視しないためには階級性の止揚が求められていたにもかかわらず、ジャコバン主義は挫折し、この挫折感の中から国民国家が出てくると理解するわけである。
 共和制と階級社会の並存はその後も解決されざる課題として繰り返し歴史の途上に出現したことは、この後の歴史をみれば明らかである。


 さて、以上のような歴史的背景のもとに、ユダヤ人と政治体制の関係は次のごとくであった。
 群雄割拠の封建性下における諸国の宮廷においては、宮廷ユダヤ人というべきグループが誕生し、主に戦費や兵站の費用を担うことで権力に貢献した。
 権力との関係は、絶対王政下においても基本的には変わらなかった。絶対王政とは王権が特定の階級との連携を求めず、諸階級から相対的に等距離であることを意味するという。危うい政治的均衡のうえに成り立っていた絶対王政は、ブルジョワジーとの融和を図るべく重商主義を推進したが、その失敗は必然的に革命への道を開いた。

 こうして法の前の平等を主張する共和制が一時的に実現するのだが、前述のようにジャコバン主義の挫折は階級社会を温存させることになった。いっぽう国民国家とは法の前の自由と平等を保障するがゆえに、いっけん諸階級の上に超越し君臨せざるをえない神学的役割を演じなければならない自己矛盾を当初より抱えていた。ヘーゲル哲学に典型化されるような国家概念の理念化はその哲学的表現の一つだが、国民国家ユダヤ人の歴史的経験からすればこの上ない理想的な連携の相手と思えた。

 ところで、エレサレム神殿破壊以来、権力と無縁であり、商行為は権力や階級を超越するという教訓を歴史的経験としてきたユダヤ民族は、国民国家の危うさを理解することができなかった。国民国家の理念に自らの運命を託したとき、国民国家の運命と自らの民族の存亡が命運を共にするであろうことを理解しなかった。

 国民国家は当初より、階級闘争における共和制のジャコバン的失敗から導かれる妥協の産物に他ならなかったのであるから、やがて国内的には階級闘争の激化が、国際的には余剰資本と支配統治、あるいは軍事の海外移転の形態としての帝国主義に席を譲ることになると、ここにユダヤ民族にとっては有史以来の異常な事態が出現することになる。権力と関わることを禁忌としてきたユダヤ民族にとって帝国主義の本質を理解することは他の諸階級に対して一番立ち遅れることになり、ホロコーストが眼前に迫るまで理解できなかった、という。
 
 いっぽう、国民国家創設以来の行政機構維持に伴う経費の増大は、もはやユダヤ人の民族性の根幹を成す伝統的宮廷ユダヤ人的な発想の規模を遥かに超えるものとなった。とりわけ国家と経済の結びつきが国債等の行政的手法を国家が身につけるにつけて、家政的金融と家族的経営を基本とするユダヤ経済はヨーロッパ列強間における支配的な位置を相対的に失うことになった。

 また、国民国家以来の理念としての自由と平等としての同化政策は、ユダヤ人の民族性としての伝統的なユダヤ性を解体し、個々の単なる個人・私人へと還元した。ここにユダヤ人が20世紀の惨禍としてのホロコーストに集団として抵抗しえなかった脆弱さの理由の一つがある。個人個人は容易に権力の恫喝に屈したのである。

 国民国家の時代におけるユダヤ人の問題とは、対内的には経済的顧問官として、対外的には国債金融力としての財閥支配を通じて、国家間の均衡に努めた。平和であること、矛盾を孕みながらも国家間の均衡が保たれている時代こそ、近代以降におけるユダヤ人が自らに与えた唯一のアイデンティティだったのである。

 また、アーレントはモップと小市民階級の問題を重視している。モップとはそれぞれの階級からの脱落者である。わが国に例をとれば満州浪人がこれに近い。小市民階級が与えた重大な歴史的役割とは、例えばフランスにおけるパナマ運河の建設に関わる債権の放棄に伴う数十万人規模の階級脱落を言う。近代政治におけるデマゴーグ反ユダヤ主義を標榜すれば小市民によって会場を満員にできることを偶然的な理由から発見するのだが、これが20世紀型の全体主義政治の、ささやかではあれ、一端となった。
 
 小市民階級に関わらず、国家に対する不満と怨嗟は、国民国家のあり方の中に自らのアイデンティティを重ねて生きることを選択した近代ユダヤ人のあり方の中に国家そのものを重ねて投影する結果となった。国家に対する不満と怨嗟があるところでは何処でも、反ユダヤ主義は誕生しえた。

 以上が、あまり適切では無いかもしれないが、私が理解した範囲での、国民国家ユダヤ人問題に与えたアーレントの理解の紹介である。