アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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スペインの夜と霧(つづき)

スペインの夜と霧(つづき)
2009-05-05 08:17:44
テーマ:歴史と文学

14世紀のポグロムについてお尋ねなんですね。――

おっしゃるようにもっと私達はイベリアの二国のことを知らなければなりませんね。イタリアについてですら、行く前まではその先入見たるや散々なものでした。近世イタリアのコムネーの伝統が、如何にファシズムの力に抗し、苛烈なレジスタンスを闘ったか。わたしは井上ひさしの「ボローニャ紀行」を読んで初めてその事実を知りました。スペインも、パリがナチスの占領下に置かれて機能しなくなったとき、人々はスペインに殺到しました。これも今まで当たり前のように読みすごしていたのですが、大西洋に開けた港を有するという単純な理由によるのではなく、そうした国を逃れざるをえない人を助ける人々,つまりネットワークが多数存在した、という事実に思いをいたさなければなりませんね。

その後調べたのですが、グラナダ陥落以降の同化政策の時代とは、同時にスペインは内乱の時代でもあったようですね。その反乱の特色は、次第に強まりつつあるパプスブルグの影響を排する国土主義の形をとりながら、やがて都市民主体の社会変革へと変貌を遂げていったようです。都市民の内容を詳らかにしえないのですが、たぶんイスラム型の商人、ユダヤ金融資本、それに従属するギルド職人、ではなかったかと想像しています。この長期にわたる内乱を抱え込むことでスペインの封建制と中央集権制の樹立は西欧諸国に対して不徹底に終わり、それが後の近代化の流れから取り残されていく遠因の一つではなかったかと想像しています。

大量虐殺については、おっしゃる通り、ナチス・ドイツが行った蛮行に比べるならば、児戯に類することです。ナチスの生命に向けられた工業主義的発想とそれを支えた近代的「物質」概念は、まだこの時代人類には知られておりません。大量虐殺という事実があったにせよ、なかったにせよ、この相違については十分認識しています。

この時代のユダヤ人大量虐殺の事実については、小岸さんの本に次のような記述があります。「国土再征服運動<レコンキスタ>をいよいよ確実にして行った14世紀半ば頃、ユダヤ人憎悪はますますはっきり社会の表面に現われてくるようになった。この世紀の終わり頃になると、スペインのほどんどの町で大量虐殺が繰り広げられた。ピレネー山脈に近いカタローニャとアラゴンとは、こうした血腥いユダヤ人憎悪爆発の最初の舞台となった」

当時のローマ法王庁プロパガンダによって増幅されたユダヤ人陰謀説により、「たけり狂った暴徒が1391年6月6日、セビリアユダヤ人居留区<フデリア>に押しかけ、町中に大虐殺の狂宴を繰り広げ、4000人ものユダヤ人を殺害したのである。」

セビリアにはじまったユダヤ人迫害は、遼原の火のようにスペイン全土に広がって行った。フリードリヒ・ヘールによれば、<コルドバでは子供をふくむ男女の遺体が2000体以上も道路にころがり、カステーリアでは70ものユダヤ人共同体が消滅した>という。カステーリアからさらに暴動の火は、翌月アラゴンにうつり、マヨルカ島にまでおよんだ」

「先祖の信仰を貫き通すため外国に逃れる道を選ばないとすれば、キリスト教徒の要求にしたがって、カトリックに改宗するほかなかった。ユダヤ人の歴史のなかでおそらく最初の出来事であろうが、こうしてスペインのユダヤ人は試練に直面して節を曲げ、集団で信仰を捨てた。・・・以上が、新キリスト教徒と呼ばれる<マラーノ>発生の第一段階である」

マラーノの第四の道についてお尋ねですね。――

「マラーノの第四の道」――これは勝手にわたしが名づけたものです。マラーノの人たちは、たしかに我が国の隠れキリシタンに似たところがありました。信仰の立ち返り!という事態の中で、ネーデルランド北部7州は彼らを受け入れてくれる数少ない場所であったわけですが、ここで形成されたユダヤ人特有の厳格な階級と戒律社会とは、少数のマラーノが長年夢見た共同体とは似ても似つかないものでした。

小岸さんは、このように書いています。
「だが、この入信者を待っていた世界は、およそ根源的で神聖な宗教知識とはかかわりあいのない、あるかなきかのユダヤ教の伝統によって、ともかく内部の結束を固めようとする人々を中核に構成されていた。・・・それゆえ彼らは、正統的なユダヤ教の名のもとにマラーノ流民の統合をはかり、そのため異端思想を極力排除しようとしていた」

「教団を率いる指導的なユダヤ教徒たちはもっぱら教派争いに明け暮れ、偽善的で醜悪な習慣や制度の弁護に浮き身をやつすといった狭量な人物たちばかりで、聖書本来の純粋にしてかつ真に神的な教えを体現するような人はひとりとしていなかった。こうして、この自由都市にたどりついて復帰した憧れの宗教を担う人々に、ダ・コスタは自ら反抗者として向かい合わざるを得なかったのである」

今度はピレネーを超えることができるでしょうか。やはり震源地はカステーリアとアラゴンでしたね。アンダルシアはイスラム教、キリスト教ユダヤ教という三つの宗教と多民族が800年の長きにわたって共存したヨーロッパ史の夢のように儚い思い出として記憶にとどめられるのかもしれません。子猫さんたちと犬どもとアンダルシアに舞い降りた天使さん、いかがですか。伝承によれば、天使は最も自分に相応しい土地と場を心得ているとか。