アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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セルバンテス”ドン・キホーテ” アリアドネ・アーカイブスより

 
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 名前のみ有名でいまだ手に就かずという本が私には沢山ある。
 程よい蔵書というものは便利なもので、思い出したように手を差し伸べればよい。10年以上も前に精神病理学と児童書を読んだ時期があり、100冊程度はある。最近、シェイクスピアのことが気になっていたので調べていたら、同時代にセルバンテスのことが紹介されていた。イギリスとスペイン、いずれも国家理性の黎明と光芒の時期に偶然にも海を隔てて対立する、ここにかの有名なる海戦の趨勢を暗示する文学史上の奇妙な一致にはうならせられた。整理のできていない書棚を探すのは多少苦痛だが、埃を被ってその本はあった。
 
 小説というものは、時代背景や作者を知らなくてもそのものだけでも楽しい。それが芸術や文学の自律性というものだろう。しかし、背景や自伝的な手がかりを知れば、つまり読む側の情報量が広がればより楽しく読むこともできる。同書のあとがきに記載された事項を書き写しておく。
 
”「ドン・キホーテ」は全篇が1605年に、後篇が十年後に出版されているが、それはちょうど、16世紀に「太陽の沈むことなく大帝国」であったスペインが、急速に衰退していく時であった。つまり、カトリックによる世界制覇という、身の程をわきまえぬ願望に翻弄され、無茶な戦争を繰り返したスペインが、次第に身をすり減らして衰えつつある時であった。そして、スペイン大帝国の全盛期に活躍したセルバンテス1547-1616年も、その生涯において、祖国と同じ命運を辿ったのである。”(同書・あとがき)
 
 ちなみに、百年ほど遡って、同時代史的なスペインの主要な出来事を記しておく。
・1474年 イザベル女王とフェルディナンド王子の結婚
・1492年 グラナダ陥落、ユダヤ教徒追放令、コロンブスアメリカ到達、ネブリーハの”カスティーリャ語文法”出版
 
 こののち、カトリックの矜持と領土拡大の意思を秘めてスペイン歴代諸王のヨーロッパ各国への侵攻の時代が開けるわけだ。
 
 セルバンテスはスペインの画期となった黄金時代のほぼ百年後に生きたことになる。それは歴史が自分史となるに十分な時間であったろう。ここは、スペインの黄金時代の凋落を読み取るとともに、王朝から国民国家への脱皮の時期と捉えるべきかも知れない。
 
 カトリック信仰の覇者としての欧州統一の理念と諸国への侵攻の時代は、国内的には国民国家の形成と多民族国家の解体、ディアスポラ、ヨーロッパで最も先駆的な異端審問の開始の時期と重なっていた。
 
 ”ドン・キホーテ”は解説にもあるように全篇と後篇に分かれている。これが通常の編纂の仕方と若干の違いを見せるのは、後篇の物語の展開においては全篇という書物の出版が既成事実として前提されており、後篇を読む場合キホーテの冒険の数々に立ち会う人々は既に書物を通じて彼の人となりを理解しているばかりでなく、その狂える物語に進んで参画しようと企む野次馬の代表でもあることである。つまりキホーテの物語は単なる時系列に語る語り物ではなく、語りが書物になり書物が語りになるという意味で自己言及的なのである。
 
 自己言及的物語とは、物語のアナクロニズムを社会が批評し、その社会を書物が批評するという、互換的相互性、流行の言葉で言えば、間テクスト性のことを云う。
 
 キホーテの物語は、騎士道精神を妄信した者の幻滅を描いた物語、あるいは文学的な妄想から醒める物語では必ずしもなく、書物とロマンとの別れの物語でもある。彼は遺産相続人たる姪に与えた付帯事項は、その婚約者となるものが騎士道が何であるかに熱中するような者ではないこと、つまり本を読んだりロマンに耽ったりする余暇人、でないことを厳に義務づけているのである、つまりこの条件に違えた場合は遺産執行を無効とする、と。
 
 これは巧まざる寓意であって、映画などでは死を直前に迎えた彼が炎の中に幾多の書物を投じる凄惨な場面を映じていたと記憶する。つまりこの場面はユダヤ人追放令やイスラム改宗令以降の、焚書という事態の反映だとする解釈がある。歴史には書かれていないが、この時イスラム関係の膨大な図書が歴史から姿を消したのは明らかである。イスラムの文化と言語に翻案されて命脈を保っていた古典古代の文献が稀有な命脈を保ち生き延びていたのは明らかである。ルネサンスを先立つ遥かむかしよりピレネーを越えて、古典古代の文献の秘密に通じるという知的な風習がヨーロッパの知識人の一部にはあったのだろうと思う。そうでなければ東ローマ帝国からの亡命やトルコとの交易の結果としての影響を加味するとしても、ルネサンスという形でいっせいに開花するわけが無い。
 
 既にスペイン時代におけるイスラムとは何であったかは、地域のスペイン人、ユダヤ人を含んだイスラム圏の人々による他民族の統治という、言い換えれば納税等の最低の市民的経済的な条件さえ満たされば異民族の共存が許された、市民社会的日常的な時間の喪失でもあった。
 
 それは文化の喪失でもあった。騎士道とは起源を探れば、レコンキスタ以前のイスラムの青年貴族の風習であったという。没落した階級や非征服の王朝の遺習を受け継ぐことは十分ありえることであり、キホーテの騎士道へのオマージュも単純にはキリスト教精神やレコンキスタへの賛美や信条告白と観る従来の見方もそのものとして受け取るには疑問が残る。キホーテや作者の口吻をそのまま受け取るにはキホーテの物語は完結した物語は一個の書物として、あまりにも批判的、自己言及的書物である過ぎるのである。セルバンテスの時代を超えた自己韜晦があると見るべきだろう。
 
 スペインの国民性にとっては不満かもしれないが、文字どうりの国民文学であるかどうかには疑問がある。真の文学とは国民を超える。世界文学とは、元来そうしたものだ。
 
 もう一つは、銀月の騎士に打ち負かされたキホーテが最晩年に幻影のように夢見る牧人の生活、つまり狂気から日常的な生活への回帰という、従来施されたドン・キホーテ解釈のストーリーまでもが、周囲の人間の目には新たな狂気の世界の出現かと危惧され動揺を引き起こすくだりの予見性、書物が未来に投げかける認識の恐ろしさである。
 
 つまり物語り人物ドン・キホーテの狂気から理性への復帰の物語は、歴史的展開としては新たな狂気の時代のことぶれを暗示していたのである。
 つまり国民国家の影と異端審問所の開設という。