アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ゲーテの冷酷さと暖かさ・2 オティーリエの場合 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 シェイクスピアのジュリエットとは言わないまでも、文学作品に描かれた可憐な少女はありますが、オティーリエの場合は創造されてから二百年の歳月を閲した後でも、ひとり孤独の中に、闇の不吉さのなかに佇んでいるように見えます。
 
 家庭生活を知らず、修道院か寄宿舎のようなところに預けられていて世間も知らず、初めて知った成熟した男の愛に翻弄された生涯でした。
 意志堅固だとも思えない彼女が、いったんは逃げおおせながらも連れ戻され、熱烈な求愛に対して身を守ることすらできない愛の奔流に流されて、最後に自らに下した決断とは、生命界の自分自身の幕引きをすると云うことでしかありませんでした。
 魂の不倫と云う、いままで誰もが経験したことの稀な事態に対して彼女が取った、否認、という行為、これをどう理解したらよいのでしょうか。自らが犯した行為を神がお示しになった象徴ととって、命と引き換えに懺悔する。この行為は正しいのでしょうか。また彼女の懺悔と改悛の行為が向けられた神の在り方は正しいのでしょうか。
 魂の不倫と云う事態に陥ったとき、彼女は世俗の道徳や倫理だけではなく、内面的な道徳律にも触れていました。つまり外の世界にも内の世界にも安住の地はないと、神は示されたのです。
 絶食による自然死と云う在り方は、自殺とどう違うのでしょうか。その緩慢なる長い苦しみの死の過程には、悔悟があり、改悛があり、長い祈りと懺悔の時があったとしても、光りは見えたのでしょうか。
 彼女は、俗世界に見捨てられただけでなく、精神的世界に於いても罪を犯し、行き場のない不決断の行為として選び取った自然死と云う過程すら、死の骸に巣食い始める蛆虫のように不気味に蠢く、愛の受難者としての聖女化と云う宗教政界の因習的な、生き残った者たちの手前勝手な欲望に屈し、利用されなければならなかったのでしょうか。