アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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近世武士道の諸相――下村湖人生家記念館をあとにして アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 武士道とは死ぬことと見つけたり、とは山本常長の葉隠れのさわりですが、下村湖人の生家記念館を訪れたおりには館長をされてい方が感慨深げに話されました。佐賀の気風の中に葉隠れの精神が潜んでいること、それが近代日本の隠された原動力になったことは今日においても佐賀の誇りでもあるのでしょう。
 朝に熊本の城下を発って、肥後には、もっこすと云う、葉隠れに似た精神があって、これは佐賀の新規性、先進性とは対照をなす、後進性、反骨、時代遅れを意味する、半ば誉め言葉、半ば自虐の意味がありますが、肥後にはもう一つ、森鴎外歴史小説などに取り上げられた、戦国の気風の遺制を残した阿部一族や武蔵の武士道のようなものもありました。
 葉隠れの武士道の根幹をなすのは恋慕の情であり、その対象は主君であり目上の人と云うことになります。周知のように、主君や目上の人に対する敬愛や恋慕の情を普遍的に拡大し、そこに明治の国家や天皇崇拝の念を導いたのは幕末の士と乃木希典の功績です。人の命を軽く考える志向は、その後の産業化や軍事国家の形成期に役に立ちました。
 比較が際立つのは阿部一族の場合の武士道、戦国の遺風を残した武士道です。その神髄は、武士は権威や権力の妾ではない、とあります。つまり主君や天皇陛下のためには死なない武士道がここにはあると云えます。しかし意地のために命を全うすることを潔しとしない武士道、これもまた命を粗末にしたと云う意味では葉隠れの武士道と変わりはありません。
 それでは上田秋成描くところの、雨月・菊花の契りの武士道は如何でしょうか。旅に行き暮れて、幸せに暮らす母一人子一人の一家に助けられた恩を、自分の命と引き換えにすると云うお話です。命を粗末にすると云う意味では同様ですが、色気がまるで違います。男同士の友情もまた愛に似ているようですが、異性の愛はここまでは至極とも至宝の純情に至れないでしょうし、といってホモセクシャルの愛を描いただけに留まらずに、母と子が細々とではあれ、それなりに自足して暮らす理想の風景の中に、この人生に行き暮れた武士が、死んでも悔いがないほどの至高ななにものかを見たことも間違いのないことでしょう。感性の至純さのゆえに、これもまた権威や権力と云う世俗の一切のことどもを遥かに超え出でる何ものかを蔵しています。
 そしてこれらの武士道の諸流に対して、葉隠れの武士道の山本常長が厳しく批判したところの、赤穂浪士の武士道があります。
 これについては有名なのでくだくだしく書く必要はないことですが、武士道が単に生きるのではなく、人として如何に良く生きるか、と云うことを模索した武士道であることには変わりはないような気がします。潔く散っていったものも、またそうではなかったものも、命なりけり!とでも云うような感慨を感じます。
 赤穂浪士の武士道は、武家諸法度法に代表するような封建制の権威や権力機構に対する果敢な挑戦であるとともに、武士であることを志向する人としての良き生き方が広く庶民の共感を得たという事例なのだと思います。