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N・ニコルソン 評伝”ヴァージニア・ウルフ” アリアドネ・アーカイブス

N・ニコルソン 評伝”ヴァージニア・ウルフ
2010-02-06 11:00:56
テーマ:文学と思想

ヴァージニア・ウルフについては長年月気になりながら、小説は”灯台へ”と”ダロウェイ夫人”を四十数年前に読んだだけ、初めて今回ウルフのまとまった評伝を読んだ。ウルフのような現代作家は交友関係も含めて多彩であり同時代人としての証言も多い。ナイジェル・ニコルソンはヴァージニアからみれば甥にあたり、近親者ならではの知見と暖かさを含んでいる。とりわけニコルソンの母ヴィタ・サックヴィル=ウェストは一時ヴァージニアと同性愛関係にあった恋人であり、秘め得られた関係は年少時代以降の多感なニコルソンにも有形無形の影響を与えた。

ヴァージニア・ウルフの生涯をたどりながら、一見現代イギリス文学史に燦然と輝く存在でありながらつつましやかな生活、優しさと思いやりに満ちた知人との交友ぶりを印象付けられたのは、近親者の筆致のなせる技であろうか。にもかかわらず彼女に四人の仲良い兄弟姉妹、ブルームズべりグループのような知知的な雰囲気、夫レナードに代表されるような私的な交友関係の緻密さというものがなければ、彼女はあれほどの生を長らえることができただろうか、あれほど生きのびて現代文学史に残る個性的な刻印をと止め得ただろうかと感慨深いものがある。

ヴァージニア・ウルフは60歳近くまで生きながら遂に女性としては未完の存在であった。それは外面的な特徴、彼女が母親にならなかったことや正常な性生活がなかったことだけを言っているわけではない。彼女は幼少のころ性的虐待の形跡があり、これが思ったほどの影響を彼女の後半生に投げかけなかったにしても女性的な感性は育たなかった。夫レナードとの関係は父と娘の関係であり、性生活の不全性を補完するように生じた複数の女性との交友関係も深刻なものではなく、少女的な清純さを趣味的なレベルで保ったというにすぎず、決して過大評価されてはならない。彼女は時代背景や自伝的要素の如何にかかわらず”芸術家”であった。いかなる実人生上の事実も彼女の芸術的な世界に本質的な影響を与えることができなかったという意味で、彼女は”天才”だったのである。

にもかかわらず人はヴァージニア・ウルフの私生活を知ることによってよりよく彼女の小説的な世界を理解しうるようになると思う。この評価は通常言われているウルフ評と異なっていることを十分自覚している。文学史的な事実としては彼女は作家の背景や属性に囚われない純粋文学の世界を目指した、彼女の小説それ自体だけを読んでもその卓越性については凡その想像はつく。しかし具象を排した象徴性ゆえに、あるいは音楽的純粋さを愛するが余りの過度の省略法ゆえに、小説的世界では多くのものを見落としてしまいがちなのである。例えばこの度久し振りに”灯台へ”とこの評伝を読んで気づいたのは、父親のレズリー氏はラムジー氏ほど偏屈ではなかったし子供たちに愛されていないわけでもなかったし、何と言っても学校に行けなかったヴァージニアの文学上の最初の指南役であったことだ。

また女性読者の顰蹙を買うかもしれないが、フェミニストとしての彼女の活動も過大評価はできない。また現代史の生き証人としての客観性や先見性も期待できない。彼女は人間としては未完成であったがある一面において卓越しており、その非凡さは彼女のあらゆる弱点や短所を集めても彼女の純粋性を凌駕することは決してできなかった、ということなのである。

今年からは春を迎える度ごとに3月28日金曜日という日を通常の思いとは少し違った日として迎えることになるだろう。1941年春のある日、彼女はいつものように散歩に出た。それはひと時の思い付きではなく十分に熟慮された結果ゆえの決断であったが、自分の人生の幕は自らの意思で引くという決断性のゆえに、やはり第一次大戦以前の良き時代の、あのブルームズべり時代の余香が漂っていなかったとはいえないと思う。

彼女の墓碑銘は、次の如くであったという、


         汝に向かいて飛びこまん、征服されず

            屈服せず、おお、死よ。

 

この本の巻末に、落合恵子さんの大変優れた”In Sisterhood・・・・・わたしたちの、かけがえのない姉へ”がおさめられている。

 

ナイジェル・ニコルソン 評伝”ヴァージニア・ウルフ” 市川緑 訳 2002年6月 第一刷 岩波書店