アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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プルースト”スワンの恋”再読 アリアドネ・アーカイブス

プルーストスワンの恋”再読
2010-10-14 14:36:14
テーマ:文学と思想

最近スワンの恋を読み直したのですが、恋に限らず悩みや苦しみというものが如何に人を偉大にするものか、というように読めました。それでスワンは恋の苦悩が終わったとき、オデットに対して、何ゆえあんな女のためにかくも苦しんだかのかが解らない、と述懐するのですが、プルーストはすかさずこう書きます。――

”かれの倫理の水準が下がってしまった「結果としての」再び彼に現れた世間的な愚かしさ”を”取り戻して。” (「」の強調はは筆者)

スノビズムとはプルーストにとって両義的でした。
スノビズムとはプルーストにとって自分にないものを求めずにはいられない生の形式、憧れの形式だったのです。スノビズムをこのように普遍的形式において理解するならば、スノビズムとは人生そのもの、これを欠いては人間であることが出来ない、人間の条件の如きものなのでした。

今回とりわけ二人の人物の描き訳が印象的でしたね。
一人はカンブメール(若)夫人、もう一人はコタール夫人です。

カンブルメール若夫人が侯爵家に嫁したルグランダンの妹であることを読者は知っていますし、医師コタールがどんなに戯画化されて描かれているかも読者は知っているわけですから、特に印象に残るわけです。ルグランダンとは芸術的センスがあるのにスノビズムに妄想のように囚われたプチブルジョワとして、彼が社会階級的に背伸びする動物的なパフォーマンスは徹底的に嘲笑的に描かれていますし、コタールにおいては新参の彼としてはブルジョワ階級の機知や話題に無知なため、終始曖昧な微笑を浮かべて、ニュートラル「中間的」な立場を奉じて自己防衛的な態度を取らざるを得ない小人物として描かれています。19世紀後半のフランスの上流社会のサロンにおいては、話題を瞬時に機知に転換するという才能なくしては軽んじられ何時かはその場からお払い箱にされかねない反面冷徹極まりない社会なのです。近代ヨーロッパ社会においては、階級を上に上ろうとする場合に、医師と学者と軍人は、ともに階級超越が可能な数少ない選ばれた職種であることを憶えておいたほうが良いでしょう。

さて、カンブルメール若夫人についてなのですが、彼女が古い侯爵家に嫁いだことが背景としてさりげなく説明されます。彼女は知識人であることによって階級的な上昇を果たせなかった何といってもあの比類なきスノップ、ルグランタンの妹なのです。いっぽうカンブメール家は古い家柄であるにもかかわらずパリの貴族社会では重んじられず何ゆえか二流と見做され、田舎の領地にに引きこもることが多かったように書かれています。それで田舎の貴族の邸宅に嫁したこの娘は貴族社会が何たるかはいうにおよばず、世間一般を知らない自然児のように紹介されます。それがサント・ヴェールト婦人の夜会に招かれた折の、あの日の出来事なのです。

この夜会の出し物の一つとして、ヴァントイユというプルーストが想像して造形した音楽家ピアノソナタ演奏の場面があるのlですが、モレルという名のヴェルヂュラン家のお抱え演奏家が熱演の余りピアノの端から転落させそうになった蜀台を思い余ったカンブメール若夫人が”キャッチ!”しようとし、その彼女の半ば”勇敢?”ともいえる振る舞いが、当日お忍びのような形で来ていたローム大公夫人に目撃されてしまい――この方は後のゲルマント公爵夫人と名前を変える方なのですが、――19世紀以前の王朝的貴族社会では丁度日本の歌舞伎の社会のように階級が上昇するに連れて名前も”襲名”して変わっていくというのはよくあることだったのでしょうね――その階級に属するものの目で見られた冷たい軽蔑観が、まるでサロンの風景が凍結するかのような、プルースト特有の物象化の手法によって描かれているのです。貴族階級の新参者に対する徹底的な冷酷さを描いた場面といえます。

カンブルメール若夫人はその少し前に、またこのようにも描かれているのです。――演奏会が始まるとカンブルメールの老婦人?は、若夫人を顧みるように後ろの若夫人を確認します、それは常々音楽に若干の知識のある若夫人が、ショパンは古くこれからはワーグナーの時代であるなどという最新の受け売りの知識を披露していたからですね。ここにも新旧の対比に代えて彼女を環境から浮き立たせてしまう、何重にも張り巡らせた境界性というものが暗示されています。彼女の先端的な知識や感度の高い感受性は、どのような場所においても少しずれてしまう、彼女の精神構造の異常とは云えないまでも多少不安定な位置の結果であったのかもしれませんね。

さて、貴族階級の冷酷な目によって徹底的に値踏みされた彼女の行動も、当日この場にいた少なくとも三人の目にはそれが違ったふうに見えました。一人は話者であるマルセルであり、後の二人はスワンと、あともう一人何やらという名の将軍です。この三人にはカンブルメール若婦人の果敢な行動が、社会制度や階級性に汚染されていない初々しい自然さ、として映じていたのです。スワンの目にそれが理解できたのは、彼が自分の一生を翻弄し続けたスノビズムがもはや重要な意味を持たなくなってきていたからなのです。端的に云えばそれは彼が”恋”によって高められていたからなのです。

マルセル・プルーストの”スワンの恋”は、スノビズムの諸形式、階級的スノビズム、芸術的スノビズム、そして生の条件としての普遍的スノビズム、愛のスノビズムの諸相を実に多用に描き分けています。スノビズムとは、マルセル・プルーストにとって、母親の接吻をせがむというあの有名なコンブレーでの就寝劇以来の、生きることと全く等価なものとなった人間の条件なのであり、反面普通の人間として生きることを不可能にさせた作家プルーストの実存の条件の如きものなのでした。それは作家であることを受託する”マルテの手記”のライナー・マリア・リルケと幾分似ていたようなきがします。

もう一人のコタール夫人については、サロン界の夫の病的なスノビズムを補償するような位置に、とは、つまり可もなし不可もなしといつたいっけん目立たない叙述にプルーストは終始しているかに見えます。それが突如、物語の最終場面で、失意のスワンに恩寵を賜る使者のような栄光ある立場のものとして再登場してくるのです、この場面反転の意外さですね。

乗合馬車で偶然に同席した夫人はスワンに、彼が疎外されたと思っているヴェルデュラン家のサロンでは、終始いまでもスワンのことが話題になっえていると話して、いたく彼を感動させます。こうした一瞬の単なる思いつきや思いやりを秘めた小さな善意の嘘を咎めることができるでしょうか、それ自身を詮索したいと思わせないまでに、もはやスワンにとって過去のものとなってしまったと同時に、日常の偶然を決して知識人の目から一蹴するのではなく、ルグランダン兄妹やコタール夫妻のような平凡人を過小評価することのなかったことに、真に物語作者としてのマルセル・プルーストの偉大さがあるのだと思うのです。
乗合馬車を降りようとする間際、コタール夫人は言います。

「・・・・・恐れ入りますけれど、羽は真っ直ぐでございましょうか」

”そういってコタール夫人は、マフから白い手袋をはめた手を出してスワンにさしのべた。”とプルーストは書いているのです。

コタール夫人の手袋の白さが眩しいまでにいつまでも懐かしく記憶に焼きつく名場面ですね。


しかし、プルーストの文学はこれで尽きるのではありません。

長編小説”失われた時を求めて”の後半部分まで読み進んで我々が再会する後日談、時に晒された二人のたち姿は、一人は時の刻印を受けて単なる俗物に成り果てた姿であり、もう一人は、あれほど夫のために尽くしながら裏切りの事実に直面することになる貞淑な夫人の姿なのである。プルーストのレントゲンのようなレアリズムは、地獄篇の詩人のようにこの点容赦がありません。プルーストを怖いと時折思うのはこうゆう時ですね。