アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

キリスト教をめぐる三冊 アリアドネ・アーカイブスより

キリスト教をめぐる三冊
2012-05-16 19:25:28
テーマ:文学と思想

http://ec2.images-amazon.com/images/I/41F83AQ4WJL._SL500_AA300_.jpghttp://ec2.images-amazon.com/images/I/51R3AEC0SYL._SL500_AA300_.jpg


http://ec2.images-amazon.com/images/I/51W1Q742REL._SL500_AA300_.jpg

 

・ 無作為に図書館で三冊を手に取った。
 『中世哲学への招待』は、ヨハネス・ドゥンス・スコットゥスの哲理を借りた、中世キリスト教の紹介、である。この耳慣れない14世紀の神学者を、一般には忘却されている事情に於いて、現代社会は何を得、何を失ったか、と云うことを論じている。その前に、スコットゥスとは、スコットランド出身のと云う意味らしく、それ以前に、何ゆえこのようなアクィナスとならぶカトリック碩学ブリテン島の北限・スコットランドから出てくるのか、と云う方に興味がわいた。つあり史上有名なゲルマン民族の大移動の時期に於いて、地中海世界よりヨーロッパ大陸全体に広がった布教の種は荒廃したのだが、僅かに法灯を伝えるものとして各地に散在する修道院と、北限のアイルランドスコットランドに保たれていた、と云う事情である。つまりアイルランドスコットランドも単なる僻地ではなかった。宗教史だけに限らず、英国の政治史に於いて重要な折節にこの両国が出てくる理由の一半が分かった。その影響は20世紀のジョイスの『ユリシーズ』の屈折した神学的構造にまで影響を与えているのである。つまり今日のアイルランド問題の遠因とまで言わないにしても、両国の深刻な宗教的な対立の根源に於いて、国民国家成立以前のかかる不均一性は何がしかの示唆を与えるのである。
 黎明期の中世においては、アイルランドスコットランドは、神学的な言説に於いては「野蛮」への防壁、つまり先進国だったのである。

 さて、八木のこの本によれば、スコットゥスの功績は、人間の自由意思に正統な位置を与えた点である。初期キリスト教の歴史は三位一体の解釈を巡る理論闘争であり、それが宗教とは思えないほどの過激さと徹底性をもってなされたと云う点が、良かれ悪しかれキリスト教とヨーロッパ文明の特徴なのであるが、単純化して云えば神は一人なのか複数なのか、つまり神の本質は絶対的な善であるとした場合、この世に悪が存在するのは何故か、という議論を基に展開された。
 スコットゥスが三位一体に与えた定義は、善と悪が存在するわけではなくて、また神と救世主イエス・キリスト聖霊とは、別のものではなく、神の三つの位格である、と云うものだった。人間は原罪ゆえに神と人との間には深淵が開き、この深淵を埋める者として人であり神であるキリストがこの世に降臨された。最終的には未来の方向にある最後の審判によって正邪が裁かれるものであるにしても、今この時に於いて神の恩寵を顕現させるものが聖霊というものの役割なのである。救いは彼方にあるのではなく、眼前にある、と説いたのである。
 これがスコットゥスの自由論であるのだが、しかし自由とはそもそも何に基づいていたかが問われなければならない。古典古代のギリシアにおいては市民の政治参加や兵役の義務などでありえた。キリスト教に於いては、それは恩寵と呼ばれるものなのだろうと思う。しかし、近現代社会は、スコットゥスの自由の概念だけを受けとり、それが基づくものを受けとらなかった、と八木は云う。キリスト教の世界に於いては、自由が根拠なきものであることは自明なことであり、いまさらハイデガーが自由の無根拠性として「無」を発見したかのように云うのは、現代人の不勉強のゆえである、と云うことになる。
 さて、三位一体における神とキリストは解りやすいにしても、聖霊とは何であるのか。スコットゥスはそこに自由意志の根拠を認めた。同様の問題がスコットゥスから遡ること凡そ千年、紀元四、五世紀に生きたアウグスティヌスこれを「愛」である、と説いた。西洋文明で云う愛は恋と同じではない。恋は何時の世にも何処の地に於いてもあり得る。しかしキリスト教で云う愛とは、人間の実存と云うことと結びついていた。『アウグスティヌス』の富松保分によれば、愛と云う事が語られるためにはかけがえのない内面性、つまり人格としての神と個人が一対一で対峙する内面的な構造が必要である、と云う。つまり神の前の実存とは、人と人との間を繋いでいた「魂」が失われたことによる、――別様の表現をすれば神の恩寵が遠ざかった「隠れたる神」の時代の到来が前提される、と云うことになる。つまり公共的な救済が崩壊した、古代のもう一つの神なき時代の賜物だと云うのである。事実、アウグスティヌスが生きた時代とはどういう時代であったか。東西に並びたった一方の雄、キリスト教を公認し庇護を与えていた西ローマ帝国の崩壊は久しく、ゲルマン民族の大移動と云う蛮族の侵入によって古典古代の世界が崩壊した時代であった。その余波はアウグスティヌスの住む北アフリカにまでもおよび、町を包囲され、三位一体と自由意思を巡る何十年にもわたる熾烈な異端闘争の最中に於いて陣没すると云う、何とも波乱に満ちた、生涯の終わりが古代世界の終焉と重なると云う、何とも象徴的な一生だったのである。
 ただ、ここで面白いのは、自由意思を巡る思想的ポジションが、スコットゥスとアウグスティヌスでは丁度正反対になっている,あるいは逆の面とそうでない面がある。つまり過度の自由意思を制限し神の恩寵の元に導こうとしたアウグスティヌスの自由論が、永い間キリスト教世界では正統とみなされ、スコットゥスは千年の時を隔てて、形骸化した自由の概念をカトリックと云う枠踏みの中に再生しようとした、と云えるのかもしれない。
 面白いことにアウグスティヌスの位置は、遥かに時を隔てたルターらの宗教改革と逆になっている面とそうでない面がある。アウグスティヌスが執拗な異端闘争において妥協なき徹底性において対抗したのは、厳格主義であった。アウグスティヌスの生きた時代に於いても司祭や僧侶階級の堕落というものはあったのであろう。後の宗教改革がこの点を発端としたことは如何にも象徴的である。つまり千数百年の時を隔てて、キリスト教世界の世俗的組織を巡って正反対の立場からアプローチしていることになる。つまり宗教改革が前例のないものであったのではなく、古代から中世的世界への移り行きと云う過渡期に於いて、同一の問題を巡ってキリスト教の世界内部で激しい思想と武力闘争がなされたと云う事実である。
 さて、ここまで書けば共通するものは明らかである。つまりプロテスタントの誕生は、唯一神の前にひとり立つ個人の実存である。かかるルターらの基本的なスタンスとなったものこそ、アウグスティヌスによって定義された愛についての考え方だったのである。キリスト教の恩寵が、教会や教義、規律や戒律の中に留まるべきか、と云う問いである。同じ磁場を巡って、ドゥンス・スコットゥスは神の恩寵の現在性を、つまり人間の自由意思を導く。
 さて三冊目の、余りにも有名な実存の思想家としての『キルケゴール』。彼の思想は難解で苦手なのだが、彼が生涯を通して戦ったものこそ、やはりキリスト教社会の世俗性であった。彼の厳格な思想を見ていると、アウグスティヌスの時代に生きていたら面白かっただろうと思わせるものがある。アウグスティヌスが武力闘争をも辞さずに徹底的に闘ったものこそキルケゴールのような純化主義であったのだが、しかし一対一の個人として出会っていたらどうだったのだろうか。「実存」と云う枠を巡って両者には深く共通するものがあるような気がするのだが。

 最後に、市民としてのキルケゴール!ビッコで変人。問題が無いところに問題を造ってしまうなかば妄想、半ばタナトス的な性格。市民のプチブル性にとことん逆らった反抗児、しかし彼が死んだとき、市民の反応は意外にも温かかった、と云うのだが。つまり単なる嫌われ者ではなかった、と云える反面、信仰の堕落はキリストと云う名の犠牲者を必要とすると云う事情、組織と既得権の温存に猛進する、キリスト教の根本的な原罪的性格を思いだしてやりきれない気持にもなる。