アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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文楽「鬼一法眼三略巻」より――”異化”なるものとしての演劇形式 アリアドネ・アーカイブスより

文楽「鬼一法眼三略巻」より――”異化”なるものとしての演劇形式
2012-11-05 13:10:11
テーマ:映画と演劇

 

 

 

 

 

 


・ 文楽の粗筋と云うと、歌舞伎と同様に簡単に説明しようとすると難しい。むかし源氏に仕えていた吉岡家には鬼一法眼、鬼二郎、鬼三郎と云う兄弟がいて、源氏の再興を約束する秘伝の兵法書を代々伝えている。三人の兄弟の父親は源氏方であったが源氏の滅亡を予感し、二男と三男には熊野の奥に身をかくし源氏の再興に尽力するように、長男の鬼一にはなにゆえかこの世に生きながらえて秘伝の兵法書を源氏に伝える様に言い残して死ぬ。この曖昧な遺言が鬼一に屈折した人生を歩ませることになる。単に源氏方であれ!と云えばよいものを、この世に生きながらえてとは、この世とは所詮わが世の春を謳歌する平家の世であれば、平家を無視しては生活の在りようは成り立たない。平家に仕えて志は源氏に仕えよとは、残酷な遺言とも云える。言い換えれば、現下の源氏の残党は心もとないゆえに、そして幼い鬼二郎・鬼三郎はいまだ幼少にあるゆえに心もとなきものゆえに、明敏な総領の鬼一には平家にまぎれて二股を賭けて生きよと云う生涯の選らせ方であったとも云える。平家が勝っても源氏が勝ってもどちらかが生き残ると云う戦国の世の冷徹な計算もほの見える。

 吉岡鬼一は、現在は平清盛に使える家臣である。清盛が鬼一を高禄で報いているのは吉岡家が代々伝えているその兵法書の存在にある。今日こそ鬼一に秘伝の兵法書を差し出すようにと厳命したその朝の出来事である。鬼一は病と称して出任しない。代わりに三大した娘の皆鶴姫は、あろうことか父親行動を諌める平重盛の諫言書を読んでしまう。清盛は激怒する。その理由が江戸の歌舞伎草紙じみてユーモアに溢れている。曰く、――子に従うは親ばかと云うもの。

 ところで、鬼一の中間に虎蔵と云う者がいて、実は源義経のこの世を偲ぶ仮の姿である。その中間を、先の皆鶴姫の参内に付き添わせたのだが姫を置いて一人で戻って来る。鬼一はその不忠をせめて、もう一人の奉公人智恵内に鞭打たせるように命じる。ところが智恵内と云うもの、実は熊野に潜んで育てられた三男の鬼三郎で、いまは義経と主従の関係にある。だから鞭うてと言われても出来るわけが無い。そこで鬼一が自らその役を果たそうと進み打たところに皆鶴姫が帰って来て制止する。静止したのは良いのだが、二人とも鬼一に首を言い渡されてしまう。これでは何のために自分たちは鬼一法眼の屋敷に潜み仕えたかの意味が無いではないかと云って、義経は智恵内こと鬼三郎を責めるのである。それを皆鶴姫に立ち聞きされて露見を恐れた鬼三郎は姫を殺そうとする。

 姫が将に殺されようとする時、湛海と呼ばれる姫に横恋慕する悪役が仲介に入って、代わりに切殺されてしまう。一片の同情もない、歌舞伎とは哀れなものである。

 話の方は、二三の曲折があって、全ての仔細を見届けた鬼一法眼は自分こそ鞍馬の天狗として幼き義経に兵法を伝えた伝説の者だと正体を明かす。平家に仕えながら、志は源氏のもので、昼間はサラリーマンとして夜間臨時講師としては鞍馬で義経に武術を伝えていたと云うのである。
 とはいえ、忠臣と云う江戸時代のイデオロギーによればこれ以上の不忠、罪悪はないわけであって、この教条主義者は自らの手で義経に秘伝の兵法書を手渡すことが出来ない。それで娘に遺言としてそれを伝えるから、娘は自らの信ずるものに、つまりが自分が恋するものに伝えればよいと云って、腹をかき捌いて死んでしまう。娘の皆鶴姫が義経に奉げる姿を今わの際の死期の瞼に焼き付けて死んでいく姿が哀れと云うよりも、壮絶である。

 このお話は、こうしてもう一人の源氏再興のキーワードである弁慶との京都・五条の橋での腕比べに姿を借りた「再会」の場面を、まるで歌うような踊るような華麗さの幕切れまで演じて、鬼二郎、鬼三郎も合流して、華やかなオペラのようなフィナーレとなる。

 こうして二時間余りの、それでも「端しょった」昨年の大阪・文楽劇場の「抄訳」上演ライブを観ながら、歌舞伎と同様、私は釈然としない。全編を演じるのであれば、三日三晩を要するものかもしれない長大さと涎のような冗長さ。まるでワグナーの『指輪』もどきである。
 鬼一、鬼二郎、鬼三郎の忠臣・忠孝の人情物語と、保元・平治の乱の時代の歴史劇がどうしても結びつかない。それに加えて、男性陣は裃や中間姿で、女子陣はお姫様と越元装束で表現されているので、余計にしっくりとこない。 
 
 それに主人公である鬼一法眼の教条主義的なものの見方についていけない。心は源氏、外向けのスポークスマンとしては平家と、割り切って考えると云う訳にはいかないのだろうか。
 それから、三人の兄弟に、それぞれに源氏と平家に託して生きさせる、どちらに転んでも家名は保存されると云うイデオロギーを、源氏の再興などと云う美談話にカモフラージュさせて語る、鬼一の父親の非情さが許せない。ダブルバインドと云うのでしょうか、こんな曖昧な遺言を残されたのでは、やわな精神では精神病になってしまう。そうはならずに、それを律義に使い分けた鬼一の存在が哀れである。息子の律義な性格ゆえに父親は秘伝の兵法書を鬼一に与えた。鬼一はその律義な性格の故に世過ぎの手段として平家の家臣となることでカモフラージュし、兵法書を密かに保全する、追及の手が迫ると病床にあると称して兵法書の提出を日延ばしにする。万事休すると、死を選ぶほかはなかったのである。おまけに、秘伝の兵法書義経の手に自ら手渡すことをあれほど望んでいたにも関わらず、律義な正確な故に、平清盛への忠臣のイデオロギーゆえに、それを娘の手に託さざるを得なかった、というわけである。心中お察し申し上げる、とでも云うしかない心境である。

 私は歌舞伎や人形浄瑠璃と云うもののわざとらしさ、仰々しさ、不自然さの秘密が分かるようにな気がした。荒唐無稽で、反自然的な表現形式でなければ表現できない「異化」としての真実もあるのではないのか。一人の人形を三人も四人もの大の大人が扱う文楽の仰々しさ、男が厚く化粧を塗って裏声で愛を語る不自然さと反人間性、それが語られ演じられた歌舞伎や文楽の内容の反人間的な内容とぴったりと一致しているのだ。

 私は、こうして見る芸術作品としての演劇と云うものを考えながら、こうした表現するものと表現されるもの、形式と内容の極端な不一致をみながら、このような不調和を成り立たせる歌舞伎や文楽と呼ばれるものの不思議さを想った。仮に散文で書かれたものを読んで、果たしてこうした感想を持つことが出来たであろうか。いわば、言語と云う静態的な在り方を超えた、身体を使って語感で演じ、発声発話する演劇の表現形式が、内容の荒唐無稽さもさりながら、男女の役割が不自然にねじりこまれて、小さな人形を大の大人が寄ってたかって演じる煩いほどの煩雑さの極点として、異化作用なるものの極北としての歌舞伎と文楽と云う日本演劇の白眉の表現形式が成立するのである。

 私は、芸術における”異化作用”の例証を次の三つのジャンルに見た。
 一つは、叙述した歌舞伎と文楽である。
 二つ目は、モーツァルトのオペラ、『コシ・ファン・トゥッテ』である。
 三つ目は、宮崎駿の『隣のトトロ』と『崖の上のポニョ』である。

 モーツァルトは、例えようもなく下卑たことをこの世のものとも思われない美しい旋律に於いて謳った。人は美しくある時なにゆえ滑稽であるのか。モーツァルトの音楽には、人生の悲しみと美しさが凝縮されていた。
 宮崎駿は、『崖の上のポニョ』で、中年の女同志の立ち話と云う長閑な風景の中に、同時にこの世は果たして存続する価値があるのかどうかと云う形而上学的な問いを、沈黙の言語で、つまりマイムを通して語った。
 そして歌舞伎と文楽、人は清く正しく生きようとする時、なにゆえ反自然的な生き方を選択せざるをえないものであるか、例え、その反自然な結果を真っ直ぐに批判しようとしても、言語と云う飼いならされた二股膏薬のように頼りない表現形式を用いなければならないがゆえに、反語的にしかその志は生かされることはない、言語とはほんらいそのような断念の上にしか成り立たない、つまり江戸期の演劇作者にとって、芸術とは”異化作用”を含む言語批判だったのである。近世を生きたドイツの哲学者インマヌエル・カントの哲学が理性と言語の批判であったように。

(追記)それから忘れていましたが、村上春樹の『風の歌を聴け』の中で、深夜番組のDJの語りを「引用」=インターテクスチュアりティ=間-テキスト性もまた、「異化」の効果を与えています。小説の文脈とは異質なものを「引用」することで、時を壁を超えて時代の雰囲気を再現するとともに、DJの語りのけたたましさと悲哀を同時に描き出すと云う離れ技を村上は披露しています。
 当時も今も、インターテクスチュアりティの意義は、本人にとってだけっでなく、多くの村上ファンにとってもその小説文体上の意義が意識されていないと思うのですが、如何でしょうか。


≪データ≫
「鬼一法眼三略巻」より 「清盛館の段」・「菊畑の段」・「五条橋の段」
第124回文楽公演(国立劇場開場45周年記念)
主催:(公財)福岡市文化芸術振興財団/福岡市
協力:国立劇場人形浄瑠璃文楽座むつみ会/(公財)文楽協会
日時:平成24年11月4日日曜日 10:30/14:00
場所:福岡アジア美術館8階 あじびホール