アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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独歩の『忘れえぬ人々』を北多摩の春に求めて アリアドネ・アーカイブスより

独歩の『忘れえぬ人々』を北多摩の春に求めて
2014-04-12 10:40:46
テーマ:旅と文芸・民俗学





・ わたしの独歩を求めての散策は、大岡山から始まる。私鉄のとあるこの駅の近くには、奥沢、緑ヶ丘、洗足、雪谷、碑文谷などと云うそれらしい地名が散在する。
 この地域の中心の一つである自由が丘は、さながら、往古は武蔵野の雑木林と渓流が流れていた窪地の面影を、繁華街の喧騒の中に、幻視的経験として伝えており、今日、しゃれたブティックや飲食店街の喧騒の中にそれを探ることになるのだが、複雑な起伏を繰り返す往来や小道や路地の奥行きの中に、異化的な幻想として彷彿と感じさせるものがある。

 

大岡山の桜並木道


 しかし独歩の武蔵野は、渋谷の道玄坂から始まるのであった。当時の渋谷は東京の市街地が終わるところ、武蔵野が遥かに開けるところであったらしい。はためく茶店の旗、暖簾や、馬車の馬子が飼葉桶などに水をやったり、一服付けながら時代の今昔を語る場所でもあったらしい。
 最近は、道玄坂の雑踏を横切る度に、そんな思いにとらわれるのだった。


渋谷の道玄坂を望む

坂の町渋谷の桜


・ そんな春の麗らかなある日わたしは、大井町線溝の口に独歩の『忘れえぬ人々』の面影を求めた。
 今日の溝口は東急大井町線田園都市線南武線が交差する交通の要衝である。これは国木田独歩が生きた時代も変わらなくて、古来より相州の大山詣でとして開けた大山街道が、都下の青山に発し、ようやく大河である多摩川を渡ろうとするところで二子の渡しを小舟で越えて一泊する、その宿場町が溝口である。
 独歩の『忘れえぬ人々』はそんな溝口の亀屋と云うとある旅籠に一夜の旅の宿りを求めた二人の青年の物語である。見知らぬ、行きずりの旅人の、触れ合う袖も何かの縁と云う程度の束の間の儚い出会いでありながら、何か旧知の全てを了解したかの如く始まる会話は、考えてみれば異常である。主人公が語る旅の回顧談の幾つかも異様であるが、志を得ぬ明治期の二人の青年の間に流れた時間も異様である。画家である相手方の青年は当然の事のように主人公の手記を話題にし、読んでもいないのに夜半の会話は当然予想された予感のうちに終わる。
 しかも独歩の『忘れえぬ人々』の落ちは、主人公が書き継いでいる忘れぬことのできない人々の回顧録からは、この溝口の一夜が欠落していることにある。理由の一つは前に書いたように、稀有の時間と云うものはこの世に持ち帰る術がないと云う事もあろう。もう一つは、人は大事な時間を忘れてしまうと云う事である。功成り名を遂げた大人が、昔はこうだったと自慢話の序に過去を懐かしかっても、それは回想と云う時間的遠近法によって構成された枠組み的時間に過ぎず疎外され物象化された時間、「いま」と「ここ」観に根差した子供の頃の血が出るほどの初々しさの臨場感を欠いているように。



 

 



・ (上)国木田が一夜を投宿した亀屋があった辻と、(下)その面影を伝える、解体される以前の亀屋の写真の一枚、溝口のふるさと館にあります。

 


忘れえぬ人々』の石碑



溝口の家並


多摩川のサイクリングロード