アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

神谷美恵子の「精神的なもの」をめぐって アリアドネ・アーカイブスより

神谷美恵子の「精神的なもの」をめぐって
2009-04-12 10:58:56
テーマ:宗教と哲学

4月12日 日曜日 晴れ 昨日は終日、ほったらかしにしておいた技術士倫理論文を仕上げる。一昨年より年一本、今年で三部作は一応完了ということになる。テーマはいたって壮大で、ヨーロッパ理性の命運である。アリアドネの部屋の縁起にもなっている。かくもミステリアスな話題を、わずか12pで仕上げるというのだから、龍頭蛇尾はやむなし。できあがった原稿は、すぐにメールで発信する。忘れっぽいので、そのつど済ませるようにしている。

夜、長女が東京より帰って来た。就職活動は多難を極めているようだ。その中で銀座の和光にも行ったらしいのだが、お店方は立派すぎて入りそびれたとか。二泊三日の小旅行。最後の夜は友人とその妹の三人で、どこに行こうかと決めかねて、神楽坂のレストランにいったと話していた。フランス人が多くて都内に出現した一種の居留区のようなものになっているのだろうか、とこちらは無知なので想像する。東京は年に一度ぐらい行く程度なので、良く分からない。友人の妹さんというのが上智なので、あの須賀敦子さんのイグナチオ聖堂があるところか、といったこともないところに想像を馳せるのであった。

一昨日より神谷美恵子さんの本を少しづつ読み始める。生きがいについて、これは神谷さんの思想が確立されて以降の本であるような気がするせいか、共感するところが多く、反面かえって物足らない。思想と格闘する臨場感が、私の方に不足している。

彼女の「精神化」をめぐるポーランを引用した部分では、彼やフロイドのようには生物学的なものとは関係させていないと論じる部分で、わたしは神谷さんは、あまりにも愛生園との対象的自己同一化のために、精神的なものの独立性を強調しすぎているのではないかとの印象をもった。

わたしはへそ曲がりだから言うのだが、もともと認識者であるよりは<聖なる人>を志向した神谷さんであるから、これは当然のことなのだが、しかし私は、神谷さんの中に根深い遺物のように残っている、精神と肉体的なものというキリスト教の二元的構図に納得がいかないのだ。

理由を説明すれば神谷さんならきっと分かってくれると思うんだが、身体とはもしかしたら精神の及びもつかないほどの霊性を秘めた存在であるのかも知れないのだ。身体を、身体性として、とは世界内存在として考えるならば、そこには叡智的存在ですらあるその存在性の全貌が、やがて明らかになるはずなのだ。

わたしは専門家ではないので臆断を述べるにすぎないのだが、精神的疾患に伴う肉体的変調は、もしかしたら平衡を失いつつある精神を、必死に支えようとする肉体的霊性のリアクションではないのか。もしそうであるならば、外部的変調を対症療法的に対処する薬物療法のようなものは、人間的尊厳に対する畏敬の念を欠いた、不遜で、下卑た行為ではないのか、そのように理解したのである。

どう思われます, 釘宮さん?