アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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神谷美恵子の後姿 神谷美恵子”こころの旅” アリアドネ・アーカイブスより

 

 ほぼ十年前の書き込みである。

 生と死の誕生と臨終を廻って書いた、神谷美恵子、死の五年前の書への言及、その時何が分かっていたわけでもない、世俗からの解放感をしみじみと味わいつつあった当時の私が、なに気なく書いている、その何気ない記述が、いま、私にとって真実となりつつある。文体とは、当時の当人の想いを超えて真実となる。

 私に先立って、先行して歩いた、先人としての神谷美恵子の足あと!その時、今日ある日があるとは思っていなかった。

 神秘的な、暮色に泥む(なずむ)うしろ姿である。

 

神谷美恵子”こころの旅” アリアドネ・アーカイブスより

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神谷美恵子”こころの旅”
2010-01-28 11:01:34
テーマ:文学と思想

神谷さんはこの本を書く時の執筆の動機をごく普通の人間の在り方であると繰返し語っている。例外的なものを極力省いて平均的なものを紹介したいという動機はこの書が発表された雑誌の性格にもよるのだけれども、ことが例外的なもの、特異的なもの、境界域にあるものに多くかかづずらわって生きてきた精神科医の彼女がこう書くと、実は普通であるということが何かとてつもない奇跡にも似た僥倖であったように感じられて神谷さんの何気ない記述にどきりとさせられたりするのである。

そういう意味ではこの書は彼女のデモーニッシュなものが感じられなくて物足らない気もするが、この書が書かれた1974年とは彼女の死が5年後に迫っている段階でもある。それゆえこの書はギリシャ的な意味で良く生き得た人間としての神谷さんの、幼年期の神話的時間とも言える時の輝きと、迫りくる死の受容と諦観が交錯する書となった。

印象に残るのは母親と生後間もない赤ちゃんの関係を描いた場面であろう。赤子か母親に返す原初のもう一つの行為――微笑むということ、について神谷さんは書きながら、この時得られた信頼関係が人間の原型的な基礎を形づくるものであるという。この部分には母親としての彼女の経験と人生への感謝が信条告白として投影されているのであろう。

最終章の死の受容については、人間は生と死の未分化の状況から凡そ二十年を費やして自己の確立をなしえたように、ちょうどそれと逆過程が――二十年近くをかけて死の受容に至る営みが自然な過程ではないのか、と彼女は言う。死と生が未分化のカオスに帰るときそれを生の側から描くことはできない。生と死の混沌の底に彼女は愛のヴィジョン幻影を見るのだが、それが信仰に至るものとしての彼女のストア的結論なのである。


神谷美恵子”こころの旅”1974年12月第一版 日本評論社