アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

『修羅』1971--松本俊夫の世界その⑵ アリアドネ・アーカイブスより

『修羅』1971--松本俊夫の世界その⑵
2018-06-24 19:35:05
テーマ:映画と演劇


 赤穂義士の仇討ちに加わるための百両の金子をめぐる、不可解な巡り合わせの数々を語る、鶴屋南北の世界に原作を求めた映像作品である。松本俊夫が優れた映像作家であり、同時に映像作家に過ぎない事情については後述する。
 ここに優柔不断な武士がいて、手代の自己犠牲的な忠義真の結果として得た百両の大枚を、芸者の見受け金として使ってしまう。それもあろうことか、その芸妓には夫も子もあって、全ては仕組まれた罠だったと知った優柔不断の武士もその心は鬼となって炸裂する!西部劇の活劇シーンを思わせる、残虐な殺しの場面が延々と続く。映像美と云うよりも殺戮美、残虐美の世界である。
 この映画の特徴は、この優柔不断な男の行動についての映像的注釈である。ここに映像的注釈とは、男にある行動を起こさせる場合に、実際に観客がそうなるであろうと思わせる直裁な行動と、映画のなかで実際に撮られた、第一の行動の修正版である。つまりこの映画の仕組みは、行動の直接性や心情の直情性が絶えず現実の側から修正を受けると云う形で進行する。この映画が、仮定と修正と妄想と空想の世界が共存しつつ描かれた特異な世界であるのは、かかる松本の特有の映画文法による。そうして松本の映画文法が明らかにするものこそ、リアリティの質と云う意味では、現実は空想や妄想に及ばない、と云うものである。
 リアリティの凄さは、仮にリアリティが現実的諸条件や環境によって修正や干渉を受けても、最終的には己の理念に忠実たらしめる、と云うものである。個々の人間の情念よりも、ドラマのリアリティの方に現実性があり、現実がリアリティの方向へと引き摺られていく、こうした手法は六十年代の『薔薇の葬列』にも共通する点である。
 妄想や空想と云うものは、個々の人間の思惟的な制作物などではなく、人間に先立つ悲劇の原型性がリアリティとして猛威を振るう過程で、現実の側から及ぼす反作用の程度に応じて生ずるものなのであり、もし、直截にリアリティに殉じる純粋無垢な行為だけがあるのであるとするならば、およそ世界は妄想や空想と云う概念とは無縁のものであったに違いない、そういうことをこの映画は考えさせるのである。

 最後に、ふくそうせるこの映画の物語を後語り的に要約するとこうなる。
 優柔不断の赤穂浪士である薩摩源五兵衛には、映画では一度も登場しないもう一つの面があって、その人間もまた義士に加入するための金子を求めてある寺に滞在している。その寺の住職は赤穂義士の理念に共感するゆえに、息子の勘当をその差し出された金子ゆえに、その出所も確かめずに許してしまう。疎の金子こそ、件の優柔不断の浪士、薩摩源五兵衛がだまし取られた金だったのである。つまりこの物語の骨格は、二人の人物が同一の人物の二つの面であり、自業自得的に因果が自らに帰ってくる、と云う話なのである。
 であるから、最後の場面では、薩摩源五兵衛は、自らが騙しとられた金子を、何も事情を知らぬ住職から受け取る羽目になる。つまり金子百両が世間をひと廻りするうちに、十人近くの人物たちが殺戮される、と云う無残極まりない話になる。江戸文学なりの、ありそうもない奇想天外の仕組みである、と云えば云えると思う。

 (追補) リアリティと実感
 通常はこの二つはカタカナ書きと漢字表記の違いがあるだけで同じ意味である。
 しかしこの映画を観ながら感じたのは、この二つを区別したほうが説明しやすい場合があると云うことだった。思い付きや屁理屈に過ぎないと言えばそれまでだが、日本人の感性のレベルでは通常当たり前のこととされる「現実」なるものの構造を説明するためには、多少役に立つかもしれない。
 この映画が描いたのは、人間の行動にはリアリティと云うものがあり、それは現実のなかでストレートに出てくる表現行為である。つまり世界なり状況が強いる論理のようなものがあって、もしそれを理念と言い換えるならば、理念と行動の一致が生ずるときリアリティと云う概念が成立すると考えられる。つまりリアリティとは理念的行動であるから、現実的行動とは何ほどか背馳する関係にあると云うことだ。
 他方、世界や状況が強いる複雑さは、人間が現実的世界で執る行動は理念と一致するとは限らないし、かといって理念の呪縛から抜け出すこともできず、理念の影響下に何ほどかの修正を受ける。つまりリアリティ理念的行動と現実的行動すなわち実感との間には距離があり、距離の大きさや質的な隔たりにおいて、恣意性を帯びた観念の跋扈や、つまり空想や妄想が這い出てくる余地を残すと云うことである。ドストエフスキー的世界の誕生の秘密と関係がある、と云う意味である。
 この映画が主人公の武士の優柔不断さを通して描いているのはそういうことなのである。かれがリアリティを感じながらも実際には取れない行動があり、それを実感として受け止める現実的に取らざるを得なかった細切れの非理念的行動があったというわけだ。前者がリアリティと云うものと関係があり、後者が実感と関係がある。
 かかるリアリティと実感の背馳が生ずる背景には、この映画の舞台となった義理と人情が対立した元禄期の江戸は兎も角として、六十年代に於ける理念的現実と現状を一致しえなかった時代背景があったのかもしれない。六十年代に於ける政治的世界の崩壊が、社会や文化をも含む総体的なものであったがために、こうした人々が生きる言葉や実感の上にも不吉な影を落としたのではなかったか。
 そう云う風に考えるとこの映画は六十年の理念的現実の崩壊を描いた極めて隠喩に満ちた物語となる。人は如何にして自らが生み出した観念と云うものの虜になり、妄想や空想と云うものを生み出していくのか、その秘密の一端を描いているという意味で、この映画は極めて象徴的でもあれば寓意的でもあるのである。
 つまり『修羅』という映画は極めて興味深い映画のひとつと言うことができる。しかし映画監督としての松本俊夫が映像として表現し得たものを、つまりリアリティと実感の違いを言語として理解し、七十年以降の状況を説明しえたかと云うと、それは無理だったように思う。所詮は映像作家として評価され、そこに自足した者の限界ではなかろうか。映像は先‐言語的に現実を語ることができると云う優位を持つが、もし対峙する現実を言語にしえないならば、それがそのまま彼の限界になる。つまり映画世界に於いても、言語表現に対する映像の有意などと云うことはないのである。もしそれを映画界のニューウェーヴであり、ヌーヴェル・バーグであると云うならば、それは当時の若者たちの錯覚である。
 この映画の最後に語られるナレーション的語りに於いて明らかにされるのは、このあと挙行された赤穂義士の名簿に彼の名前はなかったと云うことであり、それは元禄期の現実においてリアリティ的世界と実感的世界は乖離したままに終わった、という意味であり、同時にこの映画が製作された七十年代以降の現実に於いても、世界がリアリティを恢復することはなかった、と云うことなのである。
 思えば六十年代とは、三島や高橋和己の文学に代表されるように何がしかドストエフスキー的であった。それは彼らの文学がドストエフスキー的であったと云う意味ではなく、彼らの生きた時代がドストエフスキー的であった、という意味である。松本俊夫の映画『修羅』は、その彼らが生きたドストエフスキー的状況を極めて興味深くも象徴的に描き出している。リアリティと実感の背馳は、同時に行為と行動の違いとなっても現れる。主人公薩摩源五兵衛は、理念的現実と世俗的現実との狭間に引き裂かれて状況に強いられて種々の悲劇的行動をとるのだが、それが行為として人間化されることはない、つまり強いられた無数の行動はあり得ても、唯一の真実に届く行為と云うものを欠いているのだ。この映画はかかる七十年代の痛切な時代感覚を描いている。

 (追補・2) 映像的表現か、文学的言語表現か?
 かく書くと、映像的表現と文学的表現の優劣論に至りつくような気もするが、確かに六十年代に於いて映像的表現が卓越した表現性を見出したのは、言語が体制の走狗として、堕落していたという説明も可能だろう。ここまで言わなくても言語は汚染されていて、言語を介さない映画の先‐言語的な表現が当時の現実が持つリアリティによく拮抗しえた、という意味である。
 しかしそこから言語表現に対する映像表現の優位が証明されるかと云えばそうではなくて、優れた映画監督と云うものは映像作家や映像詩人などと云う評価に甘んずることなく、何ほどか言語表現を目指したもの達のことなのである。つまり映画的表現と文学的表現の間に対立があるわけでもなく、優劣の関係があるのでもなく、文学者は言葉の汚染に対して敏感でなければならなかったし、映像作家もまた自らの置かれた非言語的な状況について自覚的であらねばならなかった、という意味である。
 なぜなら、映像的な表現もまた言語化と云う自覚化された表現の過程にあると理解することができるからである。