アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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日本の政治システムーー凡庸であることの禍について、安倍晋三氏のことなど

 

 大げさな表題を書いてしまいましたが、昨日でしたか、田中さんという退役した外務省の高官の方が――確か数年前六か国協議のアジア太平洋会議の座長を務めた方ではないかと思いますが、――個々の一一の話題についてではなく、思いつめた感想として、日本の政治システムの素人化について疑問を提示されていました。政府による唐突な緊急事態宣言発令から安倍のマスクに至るまで、政治家や官僚には専門家や見識深き人がいるにもかかわらず、なぜ活用できていないのか、という自らの体験を滲ませた、半ば回顧的な発言でしたね。

 

 専門家がいない、専門家が活用されていないという現状認識は私の持論ですが、それは様々な問題点や課題的局面から論じることができるでしょう。ただこの落書き帖で言いたいのは、学問や知的活動に対する国民の無関心が背景にはある、という点ですね。国民の劣等的な気質を後押しするように、アベノミクスなり安倍のイムズなるものが大きな背景と後ろ盾になっている、という点ですね。なぜ国民が安倍晋三やその官邸型政治システムの粗雑な対応に点が甘いか、理由はその他にもあるのは重々承知の上で言えば、原因は安倍晋三にあるのではなく、安倍明恵夫人にあるのでもなく、背景にある国民の気質をこの二人が是認しているからなのでしょうね。

 

 他方、教育改革の名のもとに近年、顕著に行われていることは、大学教育の専門居学校化、あるいは株式会社化、という事態でした。学長には企業のトップ並みの能力が求められ、教授会の議題は膨大な資料を基に企業並みの多義な議題が扱われていると聞きます。誰しもオールマイティではありませんが、こうした多義の話題や課題に対応する能力が大学教授には求められている、というわけです。ここから多分言い訳だと思いますが、――研究する時間が足りない、などという愚痴が出てくるのです。ここでも問題なのは個々の教授殿の感想や感情の吐露にあるのではなく、その背景にいある知的な領域への国民の無関心です。

 安倍晋三氏の、知的な領域に対する無関心、あるいは敵意をご存じですか?

 

 本来的に経営学的な発想は、社会が安定していた平常時の社会を前提としています。その平常的な発想が、今世紀に行ってからの急激な、ぎくしゃくした社会と世界の環境変動に対応できない、というわけですね。私たちは、軍隊を別とすれば非常時における発想というものを学んでは来なかったのです。

 

 哲学とは、ヘーゲルも言うように黄昏時に羽ばたく、というものです。――ということは本来人文科学とか文学や芸術というものは、非常時に生きる知識や知恵としてのアイテムを、あえて言えば平常と非常時の両領域に渡る私たちの長い文化的な資産と蓄積を積み立ててきた領域である、ということですね。ところがそういう領域に対する素養や知性を書いた者たちがいまや世界では、政治システムのトップに居座ったり、企業や役所と生産の場を牛耳っている、というわけです。平時であれば彼らの中にも有能な能力を発揮できるものもいますが、平時と有事の違いを知らず、非常時を認識できない頭脳にとっては、打たれた方策や手段がどれもこれも似通ってきていて、素人じみている、といわれる所以です。

 私たちが生きているのはコロナ禍下の、こういう時代なのです。

 

 ルネサンスとは、学問や諸文芸の復興という意味がありました。私たちはいま学問や技芸・文芸を!復興させなければならないのではないでしょうか。