アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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藤田正勝 『京都学派の哲学』・下 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 
 この書の後半は木村素衛久松真一下村寅太郎西谷啓治の紹介に充てられる。木村の心身論は心身関係論ではない。身体とは木村にとって何よりもまず、「自然に食い込んだ(人間の)意志」なのである。人間とは本質的に精神即ち物質的な存在なのであり、即事態としては、内面を身体に於いて外に表現する。第二に対自態としては、何事かに働きかけ目的創造的な形成的存在なのである。つまり人間的主体性の問題が、形成とか生産であるとか終始動的な契機に於いて捉えていることが覗える。ここにおいても、人間の認知作用の理想を観照的態度に置いた西洋的な世界観に対する自覚的反省の立場に立っていたことが、他の京都学派の人々と同様、うかがわれるのである。
 久松真一は思想家であるよりは、禅や茶道を従来の家元制やセクト性から解放し、より広い視野に於いて紹介した実務家であったように思われる。東洋的な「無」のの問題は、「有」に対する対概念ではなく、比較を超えたもの、無を主体性において考えれば自らを外側からは対象的知としては語りえないがゆえに絶対的なものである。ここにも主客未文化に於いて認知の基礎に置いた西田の影響のもとに軌跡を展開して行ったことがわかる。
 下村寅太郎は京都学派の中では1995年まで生きた。大半が終戦前後に死去、または活動を停止を停止しているのを見ると、半世紀後まで生きた事になる。事実、戦後凋落著しい京都学派の中にあってひとり西田哲学の忠実な祖述者として弧塁を守ったことは、戦後一貫として西田幾多郎の名前が忘れさられることが無かったことは彼の功績だろう。彼の唯一のハイライトは、あの悪名高い「近代の超克」論議の中で西洋文明Vs日本精神という残薄な対比を退け、「機械を作った精神、それを問題にしなければならない」と云い放った点であると云う。何れにしてもこの孤高の科学史哲学者は戦後の過程に一人あって、ルネサンスの人間像の営々とした研究に従事したと云う。
 西谷啓治の京都学派にあっての特色は、その実存的契機である。これは京都学派全体に云えることであるが、京都学派とは右翼的な思想家の集団でもなければ日本精神の高揚でもない。科学と技術と機械化の時代にあって芸術文化の存立の条件を問うたことであろう。かかる特色が宗教へと深まり実存の思想と深く響いたところに、西田の最大の後継者とも云われる西谷の位置が在りそうである。これからも時を見て研究してみたいものである。