アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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アレクシェービッチ、フクシマへの旅路 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
「アレクシェービッチの旅路」NHK・BS
 
 
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【参考資料】
「とあるユートピアの物語」~アレクシェービッチ
「学生との対話」
 
 2015年度ノーベル賞受賞作家アレクシェービッチの昨年秋の福島への旅のドキュメントである。
 彼女の代表作の名前は『チェリノブイリの祈り――未来の物語』。長年、ドキュメント文学の聴き手として過去の記憶に拘った彼女が、意図せずして添えた副題「未来の物語」が現実のものとなる。チェリノブイリの事故から三十年の時間、ここから様々に被災地を廻って見聞した彼女の未来への未然の闘いのが始まる。彼女が主要な著書に書いた副題が持つイロニーを彼女はその時は知らないでいたと云う。自分で添えた副題の持つ意味の現実に裏打ちされた暗澹たる予感に震えたとき、彼女は未来と云うものが持つ恐るべき意味について理解した。それで彼女は、さらなる意味を求めて、3・11の出来事以後願い続けてきたフクシマに、彼女の「小さき人々」を求めて日本を訪れる。彼女が追い求めた「小さき人々」とはどういう人たちなのであろうか。
 そこで見聞したフクシマの現実とは、その既視感に驚かされる。なぜなら彼女が三十年来記録し続けてきたチェリノブイリと余りにも重なり合う、いまだ見えない未来の現実の、ありありとした既視の感性と現実性を感じてしまうからである。
 今回、彼女のインタヴューに応じた複数のフクシマの人びとは、ここの事実認定を超えた領域で、以心伝心とも云える心の伝達機構をマイムで伝える。この映画で語られたのは実際に語られた言語ではない。言語と言語の間にある、所作や身振りによって伝わる波動の如きもの、感動の漣である。
 彼女のインタヴューに応えた一人、詩を書きながら被災地で教職であった校長を定年退職した一人の男はチェリノブイリを訪れた意味を、フクシマの未来を観るためだにだったと答える。
 規制区域解除を受けて帰村を決意した男性たちがいる。一人は酪農家であり一人は町の三代続いた魚屋さんである。男たちは自らの郷里で再起できることの希望と喜びを語りながらも、それが自分たち一代の物語であることを冷徹な認識を踏まえて語る。彼の脳裏をある風景が流れる、帰村した老人たちが亡くなって廃村化した未来の風景が重なり合って、自然の姿に帰りつつあるチェリノブイリのある村の風景と混淆されて、未来の出来事なのに過去形の文体に、言語の文法において語られると云う不思議な体験に晒される。彼もまた三十年後のチェリノブイリを念頭に置いて語っていたのである。
 被災した村を離れることなく百二歳で自らの命を絶った老人を持った義理の娘の怒り、――百二歳まで生きて何を見何を学び何を見聞したのか、その無念さを晴らすために帰村を決意したのだ、とも。
 
 福島の見聞を終え、東京のさる国立大学でシンポジウムも開催し、日本の若い人たちとの意見交換を終えて帰途に就くアレクチェービッチに答えはない。彼女に怒りみもまたない、感情の表現も表出もある種の感慨も。彼女は今までそうであったように受容的な態度を貫く。しかし今回だけは、ある種の既視性と実在感を帯びた失望のようなものがもの言わぬ無言の蟠りのように広がる。漣のように広がるざわめきに似たもの、それが彼女の内面に及ぼした波動を、波立つ白波の慄きを彼女は制御することができない。自分たちは過去の全体主義国家の機構の故に真実を知ると云う自由の存在が知らされなかった。しかし自由な国であるべきはずの国民であるあなた方の間に抵抗権と云うものがほどんど育ってはいないのはなぜか。それは偏見がなく比較的既得権益に染まることの少ないと云われる若い世代の人びとの間においても事情は変わることがない。結局、資本主義であろうと社会主義であろうと、国家と云う枠組みのなかに置いてなされるあらゆる思考や行為や試みには、さしたる違いも生じようがないのだとも。国や行政機構の保全は守られても、人間を守る術を学ぶべく人類への道のりは程遠いものがあるのだ、とも。
 旅立つ彼女は言い残す、――たとえ未来が閉ざされてある状況においても、「人間」であり続けることだけが抵抗を確かな手応えとして、生きることの応答として感受しえる数少ない人々がいるのではないか、と。小さきものの人びと。希望がないのになぜか彼らの存在は、わたくしたちのこころを慰める。彼女は福島を離れる日、意をもって伝えてあった元校長の書いた詩を向かい合わせの席で読んでもらう、それは彼女の脳裏を阿修羅の頭部のように激しく回転し、喜怒哀楽を超えて流転した。祈りの形式が、祈願となり哀願となり悲願となるとき、悲しみは怒りの無機的な表情になぜか似てくる。チェリノブイリから福島へと旅して彼女は、あらゆるこの地上場の希望が断たれたあとも、断たれてある一見不毛とも言える土壌のうえで腹ばい、生きることの限りない慰めの意味を知る。
 
 アレクチェービッチの百分の一の重みもないけれども、前々稿「人生の四季を生きる!――自己実現の諸段階についての一考察」でわたくしは僭越ながらもこのように書いた。
 
”この段階(第三段階)で人は満足することもあれば満足しないこともある。前者を「人」と云い、後者を「人間」と云う。”
 人間とは、ファジーであること、揺れ続けること、震え続けることの能力なのだ。
 
 置手紙のように彼女が飛行場でさりげなく語り置いた言葉、――「人間」であり続けること!その言葉がいま重なり会って響いてくる。「人」はいかにして固有な意味での「人間」であり得るのか、と。
 ようこそ、スベトラーナ・アレクシェービッチ。