アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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武田百合子の『富士日記』・1 アリアドネ・アーカイブスより

武田百合子の『富士日記』・1
2014-06-03 11:19:03
テーマ:文学と思想


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上中下三巻、1500ページに及ぶ武田百合子の『富士日記』を読み通すことは、その文章の読み易さ、平易な表現を考えても簡単ではない。優れた日記文学であることは間違いないのだが、天衣無縫であるとか島雄敏雄のような「森羅万象やっ世事万端を貫く」「本質」を貫く洞察力、とくると、声高な賛辞はかえってこの人には相応しくないのではないかと云う気がする、少なくともわたしにはそのようには読めないのであった。

 まずこの本がどのような動機で書かれたかを考えてみなければならない。それはこの本に書かれなかったこと、それでいて二人の間に無言のうちに共有されたものを想像してみることである。
 日記を付けることを百合子に勧めたのは夫の泰淳氏らしいが、最後の十三年間になると云う意識があったかどうかは分からない。武田泰淳は当時、自らの死期がそう遠くの出来事でなはないことを半ば理解していたのか、それは分からない。少なくとも梅崎春生の死を看取った頃から全然よそごとの出来事とは思わなかったはずである。また、日記中に執拗に挿入される交通事故の目撃証言や災害の死亡記事通知、知人、有名人の訃報に関する記事などは、かえって百合子の側にある種の危惧が、主動モ的チーフの秘められた潜在性が濃厚であったことを語っている。

 この日記の記述の仕方には、幾つかの左右均衡のバランス感覚があるが、そのひとつが日常些事に類する別荘村での喜怒哀楽の記述であり、病的なまでに執拗な日々の献立表と家計簿的な記録である、もちろんこれらは過ぎ行く時間性として富士山麓の春夏秋冬の描写を背景にして語られるのだるが、これが詰まりは逃れることのできない確定性の出来事としての死に拮抗する、バランス感覚なのである。『富士日記』の平易で簡素な表現の背後にあるのは死に向かって雪崩れ落ちる、時に驚くほど早く迅速に流れていく時間であり、それに掉さそうとする手弱女のシジフォス的な偉大な営みなのである。

 『富士日記』の魅力の一つに愛犬ポコをはじめとする、小さき生き物たちに関する儚い記述がある。それら小動物たちは、ポコの死よりもはるかにあっけなく最期を遂げる。このエッセーで好きなのは、新聞の投書欄から引用されたミツバチに関する記事である。マッチの軸先大の蜂蜜をいかに蜜蜂が膨大な労力をとおして採取しているのか、しかも彼らの命はほんの最後の二三週間に過ぎないと云うのである。どうか蜜蜂に逢ったら邪険に振り払うようなことはしないでほしいと云うようなことを投書家は書いている、それを百合子がそのまま自分の日記に挿入している。
 この世の昆虫類や小さき生き物たちの生態について語るのは果敢なさについて語ることである。小さき生き物たちのなかにはもちろん犬や猫などの動物類も含まれる。一般に人がペットの類いを愛するのは、生きると云う事の中に本質的に内在している哀しさと云うようなものが彼らの生態のなかで純粋化されるからではないのか。少なくとも愛犬ポコの死に関する記述はその優れた症例のひとつであるように思われる。
 他方、かかる昆虫や小動物の生態と対比的に描かれるのが別荘村を囲む人間たちの生態である。ここには武田泰淳氏を敬慕して親交を結ぶ人々も存在する。あるいは生活の必要上好むと好まざるとに関わらず利害関係を結んでいる人たちも存在している。特に隣の住み込みの別荘管理人である老夫婦はおかしな人たちであるが、人間一人ひとり見れば本当はみんな一人一人はおかしな存在なのである。最後に、まったく無関係に視野の外の人たち、百合子氏に興味本位の卑猥な野次を掛けるような突っ張ったその他大勢も存在している。またこれとは逆に大岡夫妻のように親類以上の深い交わりを結んでいる少数の人々も武田家のホームドラマに顔を出す。それらの中には昆虫類に似た人爬虫類に似た人、小動物に似た人、牛や馬に似た人、様々であるが、総じていうならば人間たちの生態に関して語ることは少なくとも『富士日記』に於いては、生の横溢さ、生命の旺盛さについて類比的に語る事なのである。ここでも「死」と云うキャスティングボードを間に置いて、小さき生き物たちの儚さと人間たちの生の旺盛さ貪欲さが対比的に語られて、百合子の日記に死を間に挟んだ微妙な平衡感覚を与えているのである。平衡感覚、微妙なバランス感覚こを百合子に死に抗わせている拮抗力であることを理解すべきである。

 『富士日記』の魅力に関して言うならば、百合子のおきゃんな性格であるとか自由奔放さについて語られることがあるが、それもそのまま信用してよいだろうか。たとえばわたしたちは1960年代の初めに煙草を銜えサングラスをかけてハンドルを握る女性ドライバーとイメージが当時どのようなことを意味したかについて考えてみなければならない。また一週間をほぼ当分分けて東京都赤坂と富士山麓を往復すると云う気違いじみた生活スタイルが当時何を意味していたかについて考えてみなければならない。そして読んでいくとお抱えの運転手がいるわけでもなくお手伝いさんが一人としているわけでもない別荘生活の中で、料理洗濯掃除から、買い出し、そして頻繁に訪れてくる雑誌関係者、別荘や故障の多い乗用車の修理に訪れてくる訪問者のいちいちをもてなし、そのほとんどは手料理とビール付きと云う接待の仕方であったことを考えると、これは殆ど超人的な努力か多動性成人病?としか思えなくなる。これだけのことを詰りは泰淳氏の別荘地での無聊を癒やすために行った献身的な行為であったろうと想像するのだが、なんとそれが13年間の長きにわたって百合子氏がほとんど一人で、独力の孤立無援でこなしたのである。これは尋常なこととは言えない。
 これは泰淳氏への妻の献身、と云う言葉だけでは説明できない。わたしたちは武田家のメニューを一覧することでその和洋折衷性、別荘生活からくるやむを得ない事情があったにしても、食品事情に関するそのレトルト性、食生活のバランスの崩壊のような者を感じる。今日から見れば当然のように思われる事象も、当時の生活環境から考えるとやはり特異なあり方だったと思う。当時わたしも東京に出たてで驚いたことのひとつにハンドルを片手に持ってもう一方の手にはコカ・コーラをお茶代わりに飲まないといけないように言う「中毒症」を称する人たちの存在があった。そんなことを長年続けていれば糖尿病やその他の成人病を併発することぐらいは今日の人ならだれでも知っている。しかしそれが当時はナウいことなのであり、最先端を生きると云う事の意味なのであった。はなはだ厳しい言い方になるが、百合子氏が泰淳氏にお金があるって素晴らしいことねとしみじみと語る場面はそういう意味なのである。すでに60年大の半ばに武田家の家庭で繰り広げられた生活がやがて一般化し普遍化し、読者の多くが違和感を感じなくなって、まるで武田百合子の生き方が雑誌「クロワッサン」や「マリクレール」にあるような、ハイブローでハイセンスな生き方であったかのように共感するならば、それは悲しい誤解なのである。
 わたしがこんなことを意地悪く、世評に反して書くのは、百合子の人柄、飾り気がないとか、分け隔てなく素直であるとか、まるで目に見えるように武田家の生活が描かれていると云うような形式的な賛辞(水上勉)、どうかすると天衣無縫の文章!森羅万象を貫く物事の本質を見抜く洞察力(島雄敏雄)!、などと云う表現が決してこの本の魅力を語るものではないことを言いたいのである。