アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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プラトン”饗宴”を読む アリアドネ・アーカイブスより

プラトン”饗宴”を読む

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プラトンの生涯を通して見るソクラテスの姿はイエス・キリストに似ている、と思う。2500年前に生まれたプラトンと2000年前に生まれたキリスト、本人を見た人もいなく聴いた人もいなく直筆の書簡等があるわけでもなく全ては伝承と伝聞ん世界である。一つ言えることは今日伝わるソクラテス像にはキリスト伝説と相互に浸透し合った面があったのではないのか、という想像である。

今回”饗宴”を読んでみて不思議な作品だな、と感じた。まるで造られた劇の一齣のように人物造形が鮮やかなので、これ自体近代劇にしてみても遜色がなかろうという気がする。アポロドロスやアガトンは言うまでもなく、ディオティマ、それから最後に闖入してくる狼藉者アルキビディアスに至っては文学史上最も印象に残る人物造形がなされているのではなかろうか。しかもプラトンの心にくさはただ一人の批評的人物アリストパネスを劇の周辺近くに配していることである。この人物だけに詳細な言動が許されていないのだが、そこにかえって巧みなプラトンの作劇術を感じてしまう。

この書でプラトンが言おうとしたのは、簡単にいえばエロスには対象オブジェに関する面と作用プロセスに関する面、対象性とプロセスがあるということである。この宴の登場人物が繰り広げるエロス賛歌は如何に愛が素晴らしいものであり、生きて行く上でなくてはならない至上の価値を有するかということではあっても、必ずしも対象に向かう愛の作用面を自覚的に語っていたわけではない、とソクラテスは言う。

そして愛の信託者ディオティマの登場となるわけだが、これだけをとってみても、対象性としての愛と作用性としての愛の違いを論じることを通じて天井的な愛の無条件性を謳う愛に関する特異な思想書の一つと成りえていたであろう。ところがアルキビアデスの登場は単なる愛に関する所見や意見の開陳というだけにとどまらず、ソクラテス的な世界そのものを相対化してしまうほどの起爆力を秘めていたのだ。

アルキビアデスの登場には正直ソクラテスといえども困惑したであろう。この後宴ははかばかし議論の進展も見ぬまま不意の複数の狼藉者たちの乱入によって終わる。この混乱をよそにソクラテスその人のみが悠然と酒杯を傾けていた、ように書かれている。もちろんアガトンとアリストパネスだけはソクラテスに最後まで付き合おうとしたようなのだが、いつの間にか酔いつぶれてしまったようだ。神聖な劇のまま終わらせぬ経緯、宴のあとのだらだらと白けた雰囲気を描いて、ソクラテスといえども関わらずにはおれない日常の一齣、を作者は書き忘れていない。ここでも無言のアリストパネスの影を舞台の片隅に書き忘れないプラトンの作為には敬服するばかりである。

わたしたちは”ソクラテスの弁明”などに書かれたソクラテス像を文字通り信じてはならないのではないのか。プラトンが伝聞の伝聞による対話劇という手の込んだ作劇法を駆使して描こうとしたソクラテスとは、例えばマタイ等の四福音書の作者がイエスの面影を伝えようとしたシンプルな姿勢とは異なるのではないのか。”ソクラテスの弁明”に出てくるソクラテスは滑稽ですらある、とわたしは思う。悪法といえども法である限り従わねばならないという彼特有の言説を通じてソクラテスは何に対して責任を取ろうとしているのだろうか。それは戦場においても勇敢であり果敢ですらあった完璧な知恵者としての人間像の言行に一致させることにおいてであった。

ソクラテスへの思い愛憎半ばするアルキビアデスが言おうとしたのは、無知を装って青年たちを挑発してやまない定住なきものとしての流浪性、流浪性を核とした超越性の高みからあらゆる世俗的な価値を告発してやまぬ予言社的・ヨハネ的言動ではなかったか。時は将に栄華を誇ったアテネ民主制の最後の時期に当たり、アテネ民主制を支えた市民階級のモラルとノモスは風前の灯の状態にあった。そのような時代背景において正しき教説という形で現れたソクラテスの思想そのものの中にある流民性とは何を意味したか。ソクラテスは正しすぎたのである。

この書はエロスへの賛歌というよりも、一面ソクラテスその人への賛歌である。ソクラテスが話したと言えば感激し、立ち止ったと言ってはため息をついて付き合う、散歩の途中わき道にそれてしまったと言っては懸命に探し出すために迷路にはまりこんでいく青年たちの恋愛感情にも似た慕情、しかも行けるその人は品行正しく、貧苦をものともせず社会的名誉を拒否し、しかも知力体力に優れ、戦場にあっては勇敢・果敢であり、たとえ劣勢の時においても沈着冷静でありなすべきことを知っていた、そのソクラテスが最後の駄目押しのように死を自死という形で受け入れるという形で自らの思想の最後の開陳をなし得た時、何が起きたか。

わたしはソクラテスはフェアでないことをしたのではないかと思う。一個の思想にとってそれとは外的な人生上の出来事を取り上げて、しかも生涯の最大の出来事とも言える”ソクラテス裁判”という見世物によって自分の思想を補強することは思想家として正しい行いであったろうか。いまだ年少のプラトンの眼の前で優れた思想の開陳とその言説に殉じて見せるという意志的な死の行為によって、ソクラテスの思想は変更できないまでの絶対性を帯びたはずである。その言説が正しいにせよそうでないにせよ死という名の障壁に隔てられた思想には手の施しようもないほどの絶対性が付与されるのである。まして日頃のソクラテスの言動が超越的で宗教的な霊感に満ちていたのであれば、なおさらのことであったろう。

若きプラトンには愛憎相半ばするソクラテスへの思いがあったと思う。それが生涯にわたって彼にソクラテスものと呼ばれる一連の対話編を書かせる原動力になったのだと思う。アルキビアデスこそプラトンであった。彼はその長い生涯の終わりにおいてもこのソクラテス的課題に対峙するために無意味といえる数度のシケリア行きを敢行し、最後はクーデターに連座して牢獄の中にあった。シケリアの澄み渡った空の彼方に、若く多感であったころ見聞したソクラテス在りしころ、民主政変下のアテネ・三十人委員会の一員として時代を生き時代に翻弄された揚句暗殺されて不本意な生涯を終わることになった在りし日のアルキビアデスの命運に自らの生き方来し方を重ねながら、同様の軌跡を辿りつつある自分自身の運命を、プラトンはどのような思いで受け止めてたであろうか。


”饗宴”鈴木照雄訳 世界の名著6 ”プラトン1”より 昭和41年4月 中央公論社