M・ウェーバー"プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神”――ライオンとペリカンの会 アリアドネ・アーカイブスより
日時:2010年2月26日(金)18:30~20:50
会場:福岡市赤煉瓦文化館(天神)
テキスト:マックス・ウェーバー”プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神”岩波文庫
”このゆわゆる「プロ倫」に取り組んでみようと思ったのは、ドストエフスキーについての論考を書いていた折、ロシア正教のことを少し調べたことがきっかけでした”(レポーターの談)
(高田):一昨年初めて海外に旅し、ヴェローナのアジェディ川に佇んだ時感じたのは、意外に北方から川伝いに吹き降ろしてくるドイツの風であった。イタリア最後の日の夕日は対岸に連なる城や森の陰を薄いオレンジ色に映えて眩いばかりに美しかった。石畳を踏む靴音の響きにラテン的な精神の光芒に目覚め、プロテスタント的なものとどう対峙するか、というようなことをぼんやりと考えていた。あのときも今も、そして40年前初めて読んだ時以来、ウェーバーの名前を忘れることはなかった。準備不足だが、様々な各人の思い、意見を聞けるかと思うと楽しみである。
会場:福岡市赤煉瓦文化館(天神)
テキスト:マックス・ウェーバー”プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神”岩波文庫
”このゆわゆる「プロ倫」に取り組んでみようと思ったのは、ドストエフスキーについての論考を書いていた折、ロシア正教のことを少し調べたことがきっかけでした”(レポーターの談)
(高田):一昨年初めて海外に旅し、ヴェローナのアジェディ川に佇んだ時感じたのは、意外に北方から川伝いに吹き降ろしてくるドイツの風であった。イタリア最後の日の夕日は対岸に連なる城や森の陰を薄いオレンジ色に映えて眩いばかりに美しかった。石畳を踏む靴音の響きにラテン的な精神の光芒に目覚め、プロテスタント的なものとどう対峙するか、というようなことをぼんやりと考えていた。あのときも今も、そして40年前初めて読んだ時以来、ウェーバーの名前を忘れることはなかった。準備不足だが、様々な各人の思い、意見を聞けるかと思うと楽しみである。