アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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☆栃折久美子 ”森有正先生のこと” アリアドネ・アーカイブス

栃折久美子 ”森有正先生のこと”
2012-01-14 15:35:00
テーマ:文学と思想

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   栃折久美子の ”森有正先生のこと” は、有名人の没後にきまってある固有の現象のひとつで、不愉快な印象を綴った書評もみたように思った。それらの本の中には、近親者にしてみれば、こんな事まで書かなくてもと云う気もあるらしいのだが、不思議とこの本の場合は森有正の読者層の方から複雑な反響を生んだようである。事実関係の当否を云々すると云うのではなく、愛憎こもごも、云って悪ければ出しぬかれた、と云う感じなのだろうか、このへんは異論もあることだろう。この本の著者の云うことをそのまま信じるつもりはないのだが、近親者との間は概ね良好らしく、適度の距離が保たれた関係性のゆえか波風も立たず、その幾つかはナイーヴでさえある。

 時は1960年代、フランスと東京を股にかけて活躍する当時の輝ける知識人・森有正と30代後半のナイーブであると同時に、何事かを成し遂げたいという野心を秘めた女性との間に交された、およそ10年間の男女の物語なのである。この種の話にありがちな湿っぽさがないのは、周囲の温かい眼差しによって半ば公認されていたことにもよるのだろう。栃折さんは本書においても野心を隠してはいない。何度かの森とのすれ違いや肝心なところに来ると意図的なタイミング外しを経たのちに、彼女は幾度か愛よりも自分の仕事の方を優先させたことを語っている。本人は気分を害するかもしれないが、彼女は自分の仕事を成し遂げるために、自らの履歴や交友関係その他、利用できるものは全て利用しても悔いはないと云うほどの境地にすら達していたと云うことが出来る。秘書として、あるいは実務家としての有能さもまた利用して憚らなかった。森有正との交際もその選択肢の一つにすぎなかったと云えばいいすぎになるのだろうか。

 栃折さんは、日本には珍しい目的意識のしっかりした人なのである。しかし栃折さんの不思議さは通常はそうした外交的な性格がマキャべリズムや俗物性と隣あっているものだが、一芸は神に通じるとでも言えそうな天職意識が、人間的な嫌らしさとか男女関係の細々とした湿った情感を含めて、全てを救っているのである。

 書き方によっては極もの的な内容なのに、読後は限りなく清々しい印象を与える。書物の章だてのひとつに ”修道女” と云う名称がさり気なく書かれている。森が彼女をそのように感じたように、かく形容したくなる世離れた感じが彼女にはあったのだろう。聖人には品行方正な回顧録も必要かもしれない。しかし赤裸々なことをそのまま書いて、清冽であり得ることは難しい。その限りない難しさをこの本は果たしている稀有の一例なのだ。まるでモノクロのフランス映画でも見るような60年代のパリと東京を結ぶ抒情がそこにはあった。

 栃折さんが七十歳も遥かに過ぎて、過去に経験した森有正との愛欲の物語を語っても悔いはないと思わせたものは、彼女の世俗的な無関心にあった。装丁や染色画といういまだ形を成さない中世フランドルの製本技術と云う日本では未見の朧な工芸技術の対象を実現したいと云う事業欲もまた世俗的な関心のひとつではないかと云われるかもしれないが、そうではないのだ。そのために親類縁者、ジャーナリズムを含む知己関係の全てを利用しても、本人が如何に否定しようとも森有正と云う有名人との交友関係の中に打算がくっきりと見てとれるにしても、そして事業に目鼻がつく時期と森との関係が終焉に向かう時期と一致していたにしても、彼女の一途でわき目も振らない清冽な印象は少しも変わらないのである。魅かれあう一方で退路にも気を配る中年の二人を ”大人の関係” と形容することも可能だが、見当違いもはなはだしい。彼女は最初から自分を、決して自分自身を壊すことのない ”自動制御装置付内蔵” の人間であると紹介しているではないか。精神の二重構造とも自分を分析している。栃折さんの世俗の汚濁をものともしない秘められた清冽さを理解しないから小市民的な用心深さとしか理解できないのである。天性の純真は世俗に染まらない、それを森は1967年の初対面に感受して ”修道女” のようだと名付けたのだった。そして二人は生身の男と女であることも理解していた。

 この本で、栃折さんの生き方を鮮やかに語っているのは、以下の文章である。――それは、初対面の頃、森の著作をむさぼるように読みつくして、読書では得られない森その人の存在の在処を求めて書いた長いラブレターのような若書きと返書を森が炎の中に投じたことを伝え聞いて、彼女が自分自身の行く末を静かに見直し述懐する場面である。

”手紙は「先生が好きです」と言って絵を描くわけにはいかないじゃないか、と思って書いた。けれども、つきつめればその想いは、絵を描くこと、言葉にするなら本を書くことでしか表す方法はないはず。引き合う二つのものを抱えているのは、人間であればあたりまえのこと。情理の失調状態なんて「この世」のことでしかない。そこを越えたところに、作品の世界が成り立つ。「この世」の自分に充足してしまったらそれで終わり。抱えているものが重たいほど、しっかりと足を踏み出して、同じくらいの重さの仕事をするしかないのだと、今は思っている。”(本文p41)

 栃折さんの場合、ここで「この世」と表現されたものより、仕事の方が概念的に広かったのである。それは愛が、実際の恋愛関係よりも高度で遥かに広い領域を持っていることともパラレルなのである。所詮、「この世」と見定めたとき、人生には「この世」に尽きない価値を持ったものとして現れてくる。人生と云うものは何もかもが不確実で、確かなことは自分が何時かは死ぬ、と云うことでしかない。しかし何もかにもが空しくなるわけではなくて、死ぬことによって生き始めるものがあることもまた本書が我々に教えてくれることのひとつなのである。


 最後に、生の清冽な息吹を感じさせる場面をひとつ。――
 
 愛すらも遠く、彼女はひとり異国に立つ!
 
” 学校は十四世紀に建てられた修道院の内部を改装したもので、アベイ・ド・ラ・カンブルと呼ばれる日当たりのよい窪地にある。そのはずれに細長く二つ続いているのがイクセルの池である。この街に来た時は裸木だった、池のまわりの大きな木々には、濃い緑の葉がたっぷりついていて、ぼんやりベンチに座っているのが、こころ心地よかった。
 まわりの空気が優しく、身体全体をつつんでいて、まるで木がそこにたっているように、足元には湿った土があるように、私がいる。今までに味わったことのない、不思議な気分になっていくのを感じていた。
「ここに来るために、いままで生きて来たような気がする。」
 と、おだやかな気持ちでつぶやいた。
 心の中にあちこちから集まって来たものが、一つの考え方をかたちづくっていく。”(P167 )

 いままでの人生の諸経験が、ひとつの特権的な時間に向かって集合され統一される瞬間である、真に、人生をして価値あらしめると感じさせるあの至高の瞬間の到来である。