アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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森有正における文明と文化、あるいは経験と体験 アリアドネ・アーカイブスより

森有正における文明と文化、あるいは経験と体験
2012-03-06 10:05:08
テーマ:文学と思想

 文明と文化は森の経験思想の中では明瞭に区別されている。文化とは学ぶことができる対象的な知の総体である。一方、文明とは学ぶ事の出来ない潜在的なもの、先‐言語的な様態、伝統や習慣・慣習のような蓄積された人称的知を超えたものである。つまり対象を明証・明示的にそこだけ切り取って「認識する」ということが不可能なのだ。

 対象的な知とは、例えて言えば一眼カメラのように、焦点距離を合わせることで図形と背後の地が明瞭に区分されてでてくる認識の一様態である。しかし認識はこの他にも複数存在する。例えば認知を静態的な相に於いてではなく、行為的直観の相に於いて観る、と云うあり方も存在する。その時世界は違って見えるはずだ。また認識論に限定しても図形と地を区分しない全焦点的な神的直観、あるいは焦点というものを要しない神的観照と云うものを想定することも、ポテンシャルとしては可能だろう。有名なプラトンイデアなどはそうしたあり方のひとつなのである。

 文明と文化の違いは、森の良く使う比較を用いれば、経験と体験の違いに相当する。経験に対応するのが文明であり、体験に対応するものが文化である。経験と体験の違いは存在論的な範疇の違いではなく、時間性における経験が外化あるいは物象化したものである。森はこの事態を経験の「過去化」と云うように呼んだが、それは西洋からの知識の直列的な開陳を嫌った、日本語によってものを考える思想家でありたかったこと、日本人の日本語による日本語のための哲学者であることを目指した森有正の矜持のようなものだった。