アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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☆伊藤勝彦 「天地有情の哲学」――大森荘蔵、森有正、ヴィトゲンシュタインそして坂井秀寿 アリアドネ・アーカイブスより

☆伊藤勝彦 「天地有情の哲学」――大森荘蔵森有正ヴィトゲンシュタインそして坂井秀寿
2012-03-07 09:08:49
テーマ:文学と思想

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この本に注目していた理由は以下の通り。
 表題が長らく気になっていて、何時かは手に取りたいと思っていた。
 第二に、それが図らずも「大森荘蔵森有正」と云う副題を持つ書物であることが分かった。
 第三に、なんと!なんと!著者が、あの森有正の『生きることと考えること』のインタヴュアー兼編集者の役割を果たした、かっての伊藤勝彦であったことだ。
 これだけの条件を揃えれば、読まないわけにいかない。

 読みながらしばしば伊藤の発想の若さに気がついて何度も彼の生年月日を確かめた。旧知の著作家だとは云っても、森の解説者であると云う以外は、どんな人か詳しくは知らなかったのである。1929年の生まれとある。森にインタヴューしたのは40年以上も前になるわけだから、八十歳をとうに超えておられる。しかし精神は実に瑞々しい!

 ところで、大森荘蔵とは何ものか?哲学関係では知らない人もいると思えるので、伊藤の同書から孫引きしておく。1996年11月12日の朝日新聞の記事である。読んだように記憶する。

「事実は、世界其のものが、既に感情的なのである。世界が感情的であって、世界そのものが喜ばしい世界であったり、悲しむべき世界であっありするのである。自分の心の中の感情だと思い込んでいるものは、実はこの世界全体の感情のほんの一つの小さな前景にすぎない。(中略)
 簡単に言えば、世界は感情的なのであり、天地有情なのである。其の天地に地続きの我々人間もまた、其の微小な前景として、其の有情に参加する。それが我々が「心の中」にしまい込まれたていると思いこんでいる感情に他ならない。」

 これだけのことであるのであるいは分かり難いかも知れないが、大森はかのヴィトゲンシュタインに影響を受けた論理哲学者でもある。彼の主著の一つが『知の構築とその呪縛』であるように、知そのものが持つ意味とそれを受けとめる受容性としての形式が、我々の認知の在り方とどんな関係にあるかを終生の主題として思索した哲学者のことであるから、この文章にはなかなかの決意が言外に述べられていると考えないわけにはいかない。

 この大森晩年の述懐は、『論理哲学論考』を書いた後のヴィトゲンシュタインの、いまは、ざらざらとした感触の大地を目指さなければならない、と云う述懐を思い出す。正確な引用になっていないのはお許し願いたい。私はあの1960年代、彼のこの述懐をマンの『魔の山』のハンス・カストロプの気持ちで読んだ。全てが足元から崩れ去っていくような時代であった。

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坂井先生共訳の『論理哲学論考』 法政大学ウニベルシタス

 私がまだ初々しい一年生の頃受講した哲学の講座に坂井秀寿という若い先生がいた。坂井先生を通じて初めてヴィトゲンシュタインを知った。まるで恋人への想いを告白されるかのように事あるごとにヴィトゲンシュタインのお話しを聞かされた。二番目がトーマス・マンのお話であった。大森の御自宅を友人と二人で訪問したのはその頃である。その時はまだ『論理哲学論考』読んでいなかった。講座の終わりと前後する頃かあるいはそれ以降か、その書をひとり読んで感銘を受けた。その後,坂井先生とお話しすることはなく時は徒に過ぎた。
 最後にお会いしたのは皮肉なことに、大学が逆封鎖されてからであった。逆封鎖とは大学当局の圧倒的な優位のなかで敷かれる戒厳令のようなものである。先生はゲートの処にひとりぽつんと立っておられて、お互いに目を伏せて通り過ぎてそのときは過ぎた。その頃のことを想うと何時も耳鳴りがしていたような気持に捉われる。
 それから何十年も経った。その何十年間かは私にとっても少しも良いことはない歳月であったが、あるとき坂井先生が亡くなられたことを知った。時はヴィトゲンシュタインのブームから二十年も経っていた。先生は先駆者として果たしてこのブームの恩恵に与ることができたのだろうかとふと思い、あの最後の日のすれ違いの日々の寂寥を思い出した。

 話はあらぬ方向にそれてしまったがいたしかたない。
 それで肝腎の森有正のことなのである。伊藤勝彦にとっては先生と呼べるほどの人はこの人しかいない。偶然は重なるもので森が1950年に一年間のつもりでフランスに旅立ったときに最後の東大での講座を受けた受講生の中に若き日の伊藤がいたと云う。関係は60年代半ばころから森が日仏間の複雑な国際的二重生活をするようになると、日本側のホストとして伊藤の役割が復活する。当時、伊藤は北大で助教授をしていた。その札幌で最初の森の症状の変異が出たと云うのも思えば因縁である。

 伊藤が、病状にある大森を見舞って今頃こんなことに気がつくなんて!と述懐するところがこの本の最初の方にある。過去が単なる命題の集合ではないことは、例えば恋愛の経験を思い出せば分かるではないか、と彼は言う。学究としての大森に語るに足る過去が無かったのではないか、という断定は余りにも過酷な裁断ではないか、そう思う。しかし哲学界に君臨する大森の業績の大きさからすれば、これは八百長が仕組まれていると考えるべきだろう。

 過去は、森有正にとって、集合命題の集積などではなく、ありありと思い出される現成する過去そのものなのであった。

「遥かに行くことは遠くから自分に帰って来ることなのだ。そしてこの遠くからかえってきた自分は、旧い日本に帰ったのではなく、自分にかえったのだということである」(『バビロンの流れのほとりにて』)