アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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伊藤勝彦 『デカルト』――観念論と「感覚」の発見 あるいは観念の外部性を巡って アリアドネ・アーカイブスより

伊藤勝彦 『デカルト』――観念論と「感覚」の発見 あるいは観念の外部性を巡って
2012-03-24 18:05:59
テーマ:文学と思想

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  デカルトと云えば通常は、我思うゆえに我あり、というテーゼのみが有名である。つまり感覚や想像力はしばしば思い込みや錯誤に陥りやすいものだが、その時の疑っている自分自身、つまり懐疑する我と云うものは疑いようがない、と云うものである。ここを出発点として、彼は明証的知識を得るための明晰・判明たる思惟の基礎を得たと信じた。

 しかし単なる思惟は存在を導けるのか、と云う問いの前に彼は逡巡した。意識と存在のどちらが優位にあるかという問題設定ではなく、彼は意識と存在の照合関係を問うた。そこから人知を超えた意識と存在の同一性の保証を神に求めた。神は完全なる概念であるがゆえに、また人も完全なる概念を有するがゆえに、人間を通して神の世界とは通底しており、ひいては其処から現実存在の実在性も保証されている、と云うjものであった。つまりデカルト的思考の特色は方法的懐疑を基準として、その両側に神概念の発見と、延長としての物的な世界の誕生が同時に成立している点である。
 しかし単なる意識から存在が帰結できない以上、神概念と云うキーワードをどう考えるかの如何によって、この壮大なるデカルト的な近代的世界観は崩壊するのである。

 伊藤勝彦の「デカルト」の特色は、通常観念的な思惟の人と考えられていたデカルト哲学の、それも方法的懐疑と名付けられた主意主義的な方法の齎す限界点を指摘し、デカルト個人としてはだたそれだけの人ではなかった点を明らかにしたことであろう。これは、デカルト研究者として思惟に先立つものとしての感覚の発見を繰り返し述べた森有正の弟子としての自負がしからしめるところでもあろう。実際に森有正デカルトとは、何よりも意識や思惟の人としてではなく、感覚の発見者としてのデカルトを解釈しなおした、有名な経験の思想家としてとしてあった。

 デカルトが単なる思惟の人ではなかった証拠は幾つか挙げることが出来る。若き日の有名な、神学校を去って世間と云う名の学校に学ぶための放浪生活に入った頃の彼個人の決意がそうだったであろう。
 そうして今一度は、1640年に既に事実婚の関係にあったヘレナとの間にもうけたフランしーヌを亡くした経験も、もっと重視されて良いだろう。一人の幼子を看取ると云う経験が、単なる意識一般の超越論的な哲学者であることを許しはしなかったのである。デカルトの伝記的事実とデカルト哲学の関係について文献を確かめたわけではないので、これはあくまで私の直観であり想像である。しかし嘆き、呻き、感情に付き纏われる私自身とは何だろうか、それはデカルトに方法的懐疑とは異なったもう一つの、実存的懐疑と云うものを強いた筈である。

 事実、長年月に渡って彼の庇護者の一人であり続けたエリザベート王女の問いかけもかかる思惟の外部性を巡る問い掛けであったと云う。そうしてデカルト最晩年を彩る女性専制君主クリスティーナの劇的な招聘は、愛をめぐる論議であったと聞く。冬のストックホルムの厳しい環境とクリスティーナの偏愛が彼に死を齎したのだろうか。近代主義哲学の開陳者にして哲学の王者でもあるデカルトをして、死を賭してまでも向かわせた全面的な対決の地響きの反響があり、北欧の陰鬱な空と雲の沈積にこそ聞くべきであろう。


(追記)
 最後に書き手の伊藤勝彦さんのこと。森有正の貴重な自伝的な記録となった「生きることと考えること」のインタヴュアーをなさった北大の先生ですね。また、先にご紹介した「天地有情の哲学」を書かれた、今日では数少ない森有正の弟子を自認される方ですね。あの森有正ブームの時の追従者たちはどうなったのでしょうね。森は今日では過去の人になってしまったようです。その数少ない森の衣鉢を継ぐ伊藤さんのデカルト論ですから、森のデカルト体験が何であったかを外側から、第三者の目で分かりやすく理解することが出来ました。と云うのも、意外と森はデカルトその人についてはあれほど多く語ったにもかかわらず、随筆では纏まった記述の仕方を控えているためです。