アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

小津と成瀬巳喜男の名場面解釈を通じて・・・・・アリアドネ・アーカイブスより

小津と成瀬巳喜男の名場面解釈を通じて・・・・・
2013-09-06 11:31:32
テーマ:映画と演劇



http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/01/Yasujiro_Ozu_cropped.jpg/200px-Yasujiro_Ozu_cropped.jpg               http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/76/Mikio_Naruse.jpg/250px-Mikio_Naruse.jpg


 小津と成瀬の本質を際立たせるために、二つの映画から特徴的な場面を取り上げてみよう。小津の映画からは、有名な『晩春』の京都での旅寝の晩のシーン、――

 この映画は、北鎌倉の茶席の場面に始まり京都の神社仏閣への参詣で終わるように、変わらない日本の自然によって戦争の傷跡が癒されていく過程が語られ、それと重ねて婚期の遅れた娘の縁談話がめでたく実を結ぶ、と言う物語である。
 小津は繰り返し娘の婚姻話を語ったが、大きく分けて二つの系列があって、一つは婚約の相手がスクリーン上に出でてくる場合である。いまひとつは、伝聞だけで顔が出てこない場合である。後者の場合は、その容姿がゲーリー・クーパーに似ているけれども鼻から下のあごの場面だけだとか、出入りの電気やさんに似ているとか、散々に茶化される。小津調と呼ばれる作風を確立したかに見える戦後の間もない時期に作られた『晩春』はこの点極めて辛らつであって、縁談話と鶴岡八幡の境内で拾った財布の偶然を等価の幸運としてごた混ぜにして語るという、冷徹ぶりである。小津が一面、皮肉屋であることは記憶にとどめておいた方が良い。
 それで肝心な京都の宿屋の場面に戻るのだが、娘は旅の日の感傷も手伝ってか、本当は今回の結婚話に乗り気ではないことを仄めかす。結婚が人生最大の幸せではなく、いま父と二人で何の気兼ねもなく旅する時間の中に回想される自分達の今までの時間こそ、平凡だったけれども日常の中に顕れた至福の時ではなかったろうか、と言うようなことを娘は語るのである。
 しかし娘がこんな、一生に一度あるかないかの重大事を語っているのに、父親と言うものは軽い鼾を立てて寝てしまう、この表現が実に秀逸である。小津は本当に大事なことは日常の時間秩序の中に生かされることはない、と言うことを語っているのである。人生とは、どうでも良いことの集積に過ぎない、と言うことを小津の映画観は語っているのである。あるいは男と言う人種は、大事な話になると鼾を立てて寝てしまうような存在だと言う冷徹な認識がここにはある。
 小津の父親が嘘つきであることは友達に方位を聞かれてみせる不親切さと言うかお惚け劇にも表現されているが、この映画自体が父親の再婚話と言う「嘘」に纏わる大きな骨組みの上に構築されていることでも、「嘘」と言うものがこの映画に対して持つ本質的な意義を中心に廻っていることは明らかだろう。父親が自分の縁談話に本気であったかどうかは最後まで分からないのである。あるいは監督自身もこの点については責任がないかのような描がかれ方なのである。
 それで父親の旅の宿での鼾は、狸寝入りであったという見解も出てくるのである。戦前の父親像はあからさまな感情の表現に慣れていない、大事な人生の物事を受け止めるための正当な感性を欠いている、そうした普遍的な古い型の人間像を小津の映像は過不足なく描いているといえるし、笠智の与えられる役割はいつもそうである。京の宿の父と娘の場面の中に、近親相姦のタブーを読み込むような過剰な理解の仕方もあるけれども、何でもフロイト流の隠喩を用いれば性的な関係を読み込むことは可能だし、そのように見えてしまうと言うことだろう、下衆は下衆なりにものを見る、と言うことだろうか。
 旅の夜が明けると父娘が、トランクの蓋を開けて中の荷物を整理する旅立ちの場面である。人生は欲を言えば限がないが、自分達の生活もほどほどに幸せだった野ではないか、と父親はしみじみと自らの述懐を語る。そこで娘は昨晩の果たせなかった念願を果そうと、近未来に鎮座する結婚生活に対する危惧をもらす。そこで父親はそれはならじと初めて真顔になって娘を諭す場面が続く。
 もともと教師であるから紋切り型の説教は得意なのだろうけれども、心情溢れる訓話でありながらその意味論的な紋切り性を小津は容赦なく描き出している。親子だから誰しもここに一番親密な感情が、そこに親子の心情が、真実があると思うだろう。しかしどんな場合もそうだが、子供が子供なりの真実を言おうとするとき親は往々にして定型的な表現に頼り、紋切り型の感情表出に安住するものである、決して親は子供理解しようとはしない、と言うかもともと親子の関係はそうした真実を理解しうるためには不向きなものだという点を人はしばしば忘れがちのものである。大人には分からない、あるいは男には分からない、そうした、世の中は変化しても変わることのない親子や男女の関係を、小津は感傷に曇らされることなく描き出しているのである。
 こうした娘の意識の世界には受け入れられなかった真実を疎外しているという潜在的な罪悪感があればこそ、最後の林檎の皮むきの場面が生きてくるのである。父親は、娘に去られた結婚式の晩の、何処の父親もが感じるであろう「普遍的」な感情に浸っているのではなく、自身の寂しさに重ねてあの時代においては結婚が女性を必ずしも幸せにするものではなかったという、決して建前としては語られなかった時代の真実を語っているのである。
 この映画は、許婚者がスクリーンに登場するか否かのいずれの側の作品であったかを思い出せば、この作品が自ずからなる理解の仕方も生まれよう。

 
 成瀬巳喜男『乱れる』は大変美しい作品であるのだけれども、最後の結末に戸惑う映画でもある。
 戦争未亡人となって戦後一家の生業としての酒屋をを支えた義姉がいて、彼女をを密かに想う義弟がいて、二人の関係が抜き差しならぬものに成り、人の噂も経ちかねない頃、家に居辛くなって実家に帰省する義姉を追って、東北の車窓に展開する物語である。駅弁や立ち食い蕎麦を食べる場面が印象的な作品であるが、何故映画の最後の場面で、義姉は目的地の手前にある最寄の温泉駅で降りてしまうのだろうか。そしてこのあと明らかにされるのは、ノンシャランな生き方をしていたかにみえた青年が実は全てを捨てる決意を秘めていた、と言うことである。
 ここで戦災未亡人を演じた高峰秀子は語る、――「わたしだって、女よ!」そして初めて旅籠に二人の宿を取る。しかし義弟が意を決して思いを表出しようとする段になると、義姉は罪悪感に囚われたように抗い、床に泣き伏してしまう。
 この場面から普通に想像されるのは、打算のない一本気の青年の純粋さと、三十台の年増女の、多少は世間と言うものを知っている既婚経験のある女の分別、と言うものが最大公約数としてあるのだろうか。
 この理解で概略は間違っていないと思うのだが、男女関係の愛に近親的な関係が重なったの時に愛がどのような化学変化を遂げるのかと言うミステリアスな領域の出来事のことでもあろう。これについては、本作品に近接する成瀬の遺作『乱れ雲』では、交通の死亡事故を契機に憎みあう妻と加害者の青年の間に生じた不思議な関係について語っているが、それが恋愛感情の形を取ろうとすると、この場合も女の「分別」が顕れて恋愛感情を冷却させてしまうのである。
 この成瀬最晩年の二作は、それぞれ愛は実ることなく、一方では青年の余りにも純粋さが卓越した自殺と言う形で終わるし、もう一つの作では青年は社命を受け入れて遠いパキスタンのラホールへと去ってしまう。つまりこの場合も当時決して安全が保証されない場所と言う意味で、精神的な死を選んでいるという結果になっている。

 恋愛感情と言うものが、その極限態において如何なる変容を遂げ如何なる形態をとるのかと言う点については難しく、愛を冷却させたものが世間体であるとか年増女の節度や分別だけでは説明できないことは容易に想像できる。
 成瀬の世界が偉大であるのは愛の風景が、ある条件下に於いては、愛の最高感情はその極限態に於いて、性差を超越する、と言う認識不能のミステリアスな領域があるのではないのか、男であるとか女であるとかがどうでも良くなるような、聖なるものの領域があるのではないか!
 こういう意味で、成瀬の『娘・妻・母』においては、高峰演ずる長男の「嫁」は「妻」となることで、初めて性差を超えた「人間」に直面するのであり、原節子は種々の小津映画の中で、性差を超えた超越的な顕現の中に繰り返し自らを表現することが出来た稀有の女優の一人だったのであるから。
 
 共に最晩年の白鳥の歌とも言うべき二つの世界――『秋日和』と『乱れ雲』は疎かには見れない厳かな世界である。
 『秋日和』の原節子は、最後の方で娘に指摘されるまで自分自身に縁談話があるということに気付いてはいないし、世俗の寄せる波をもろともしない気高さに満たされていて、その姿勢は最後まで微動だにしない。『晩春』の父親のように泣いたりはしないのである。
 『乱れ雲』の加山演ずる青年は未亡人への愛が純粋さとその高まり行く絶対性ののゆえに凍結し、結果として愛がひとをして寄せ付けぬ結晶体と化したとき、おもむろに正座に向きを改めて津軽の国褒めの歌を歌うのである。それは恋人への惜別の辞であると共に、愛に正対した時の畏敬の現れなのである。語りは歌に唱和し、歌は語りを超える。日本語と、それを語りとして歌う歌謡の、これほどの卓越、これほどの美しさに出会うことはそう度々あることではない。