アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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夏目雅子の死 アリアドネ・アーカイブスより

夏目雅子の死
2014-11-20 16:45:47
テーマ:映画と演劇



 ここに一枚の写真があって、名前のように褐色の肌は夏の日に輝いている。裕福な家庭に育ち、両親の深い愛情を受け、芸能人としても、ほとんど些細な悪意を受けることすらなく、誰もから大事にされる、しかも友人知人には愛情深い、見識の高い人が何人もいて、そのうえ本人には人一倍の高い向上心がある。望月の如く、何ものにも欠けたることがない感じであるが、たった一つのことがかなえられなかった。寿命である。

 高倉健の哀悼のために奉げられた記念番組のが流れている中で、無関係のように、昭和の偉人伝シリーズと云うことで、もう随分昔の夏目の死を扱ったドキュメンタリー番組があっていたので、途中から見た。
 死がいよいよ彼女の記憶を輝かしくするというのはあるだろうけれども、彼女の死には、何かいまでも怖いと思わせる無惨な気分がある。つまり夭折したものに固有の、死の準備が出来ていない、未だいとけない子供を死神に手渡さなければならなかった親の無念さがあるのだ。
 彼女は、新境地を開くつもりであった舞台公演の中途で死に屈する運命になったと云う。体調がおかしいのをおして舞台を通していたらしいのだが、それは共演者の目にも異常と映じてドクターストップがかかる。

 夏目雅子の死の物語が特異なのはここからである。
 点滴を受けるためと云う説明で病院に連れ出そうとすると駄々っ子のように、あるいは悲鳴のように抗う姿を共演者は意外な思いで見出す。あの大きな目から想像されるように、自分の身体が容易ならぬことになっていることを透明な眼差しは理解していたのであろう。

 ここからは母親の物語である。
 母親は終始、娘の芸能界進出に反対し続けた人であるらしいが、彼女は初めて娘の出演した映画を改めてはじめから観直して観ることになる。夜遅く、人知れず居間にほの明かりが燈っていたことを、後に家族は回想している。つまり娘と最後の時を語るために必ずしも関心が深いわけではなかった映画を観直していた、と云うのである。

 この挿話は、ラザロの説話についてのあるホスピス院長先生の話を思い出させる。荒唐無稽とも思われる新約の奇跡の話でこの挿話が語っているのは、人間がこの世に於いてなしうる最高の行為とは、人が望んでいることを、その日その時、ともに願うことである、と云うのである。

 この話の怖ろしさは、死の円陣に囲繞されてあるとき、非力な親に最終的に何が出来るかということ、医学も経済力も学識ある友人知人も力にはなることが出来ないときに最終防御壁である親に何が可能かということである。そのような状況に立たされて、母親は孤立無援の状況に立たされ、風前の灯と化した娘の境遇に向かって、ひたすら、ひとり激流を渡る武者のように松明を掲げて漕ぎいでるのである。捨て身の生き方が素晴らしい。

 夏目雅子には病名は知らされてはいなかった。公演の休止が決まっても、代役を立てない、彼女の回復を待ちながら延期して待機する、と云うのが言わずもがなに自然に出来上がった彼女を取り巻く環境であったと云う。
 死の運命に泰然と耐え、立派な死に方をする人もいるけれども、最後まで恵まれた周囲の思いやりはいっそう彼女の哀れさ非力さを際立たせるのである。
 
 夏目雅子と云う俳優と「偉人伝」は必ずしも一致しないが、彼女の死を見届けた周囲の人々の気持ちこそ偉人伝の名に相応しいと云う意味なのだろう。