アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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冬はつとめて アリアドネ・アーカイブスより

冬はつとめて

 



煌々と月の光が地上に落ちてきます。外装工事中だった久しくので締め切っていた窓を開けはなつと、ベランダに手すりの模様が月影に投影し、床から冷たく反射を返しています。月の光とはこんなにも明るかったのだ、と思いだし思いかえしました。
 いぜん、湯布院の山奥にやま蛍を観に行ったおりに、肝心のやま蛍はとうとう姿を現しませんでしたが、山道を歩いていく折節に路面が光るのですね、朧げに、ぼおっと下から銀色に盛り上がるように浮き出すように。人工照明の環境下で長らく暮らさせられてきた生物種の感性が目覚めるひとときの曖昧の気の遠くなるような一瞬を思い出された気がいたしました。
 真っ黒な、漆黒の闇と言っていいのでしょうか、やま蛍を求めて木立の中を三々五々歩くのですが、草木や樹木の幹に反射する鮮やかな銀色の斑点模様を見つけてはやま蛍ではないかと、詮索する若い華やいだ声が低くくぐもって遠く伝え漏れるように聞こえてきて、山の静寂を際立たせてていたのを憶えています。




 今年の年明けの数日間は極端に寒かったので外出の折、若者が行くようなカフェに入りました。こちらはいつもエスプレッソを注文するのですが、隣の席をふと見ると、何というのでしょうか、ミルクとコーヒーを続けて注ぐと自然に泡が盛り上がり、自然とトランプのカードのような模様が泡の中から浮き出てきて、なにか手品を見るようでした。何時もは軽くみ過ごしているのにばかに感心してその様子を断りもなしに隠し撮りしてしまいました。ときに理由もなく浮き立つ?礼儀を知りませんね!年寄りは、と思われたことでしょう。


 このところ玄米雑穀粥に凝っています。炊いた玄米をとろみが出るまで煮詰めてスープのようにして食べます。京都の瓢亭の朝粥は聴いたことがありますが、むかし山口県のとある禅寺で朝粥をいただいたことがありました。一人分ずつ膳にのって運ばれて、朱塗りの、色醒めた漆器の、ところどころが欠けて地肌を見せたお椀を持って口に運んだことを憶えています。味は忘れてしまったのですが、使い慣らした縁のとれた漆器を客前でも自然に出してもてなす禅寺の気風、小暗い書院の庭に面した静寂と、黒い脚高の御膳に配された、仄かな漆器の朱を帯びた明るみと、冬の日の朝の椀を包む立ち上る湯気の暖かい気配が、なぜか欠けていた縁の白さだけが記憶と記憶を繋ぐ結界の象徴のように、夢の中の記憶のようにも尾を曳いて、いまでも消えるともなく暫し揺曳しています。