アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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イスラムの谷のナウシカ――日本人人質事件 アリアドネ・アーカイブスより

イスラムの谷のナウシカ――日本人人質事件
2015-02-07 10:54:34
テーマ:政治と経済

 


 イスラム国による日本人人質事件が報道されているあいだ落ち着かない気持ちでいたのは誰しもであろう。特に後藤さんは報道者として、言葉で、報道の表面的で見えにくくなりつつある世界の現実を伝えることをもってして自らの使命であり義務であると考えていた人であるから、なおさらのことであろう。見えにくくなりつつある現実とは、戦禍に晒された避難民の苦しみであり、とりわけ、老人、妊婦、子供たちの現実である。見えにくくなりつつある現実とは、他国の現実ではない。自分自身の内部にある現実の「その」部分が各々自我の中で死ぬのである、自分自身の一部が内面的に死ぬのである、後藤さんはそのように考えたのではなかろうか。

 今回の出来事で一番分からなかったのは、イスラム国の動機もそうだが、度重なる諌止にもかかわらず後藤さんが湯川さんの消息を訪ねに行った動機である。自らみすみす罠にかかりに行くような無防備すぎる行動と予想された結果、イスラムと戦場の現実を知りすぎる彼であるから、なおさら不可解な感慨を持ったのである。
 その後、繰り返し流されるTVの映像を見ながら解りかけてきたのは、湯川さんと云う青年の年齢とはかけ離れた無邪気さや幼さであった。そしてある日、童心に近いと云うだけの二人が戦場で見たもの、日本にいては分からないものを二人は共有しあったのではないだろうか。戦場を観て、もやは無邪気であるとか童心であるとか言えない湯川さんの成長があったのかもしれない。そのとき避難民のキャンプ村で子供たちを見つめる後藤さんのあの柔和な眼差しと、湯川さんを見つめる眼差しが一致したのではなかろうか。まして後藤さんはクリスチャンである。一匹の迷える子羊がいるならばみすててはおけないのである。まして過去に、一期の機会ではあったとはいえ、シリアとイスラム社会の最前線の現実の中で何事かについて二人は話したはずである。その内容については推測の域を出ないのだが、湯川さんが捕虜として拘束されていると云う報道がなされてからは、常々放ってはおけないと感じ続けていたのだろう。

 後藤さんの死が報道されてからずっと考えていたのだが、風の谷のナウシカの事を思い出していた。世界最終戦争の前夜の物語、アニメの世界の出来事とばかり思っていたのだが、それが現実の出来事になりつつあるのである。心優しいナウシカと後藤さん、憎しみ合う二大勢力の間に立って、ナウシカは愛と超能力の力で凌いだが、後藤さんは普通の人間であるから無惨な殺され方をした。無惨で理不尽な殺され方をすることで、戦禍で命を落とし、これからも落とし続けるであろうと予想される弱い立場の人々に対して、連帯の挨拶をしたと云うことなのだろう、結果としては!