アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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村上春樹現象 アリアドネ・アーカイブスより

村上春樹現象

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 ノーベル文学賞をめぐる喧しい話題もほぼ消えたころだから、論点として取り上げることにする。わたしも熱くはない春樹ファンの一人として、今年こそは、という気持ちであることは日本人の心情として間違いないことなのだが、何度も話題の俎上に載せられては虚しく消える現象を脇目で眺めながら、今年は、それではどのような作品が受賞に値したのであるかと、該当作を読んでみることにしたのである。
 村上春樹が毎年の定例行事の義務めいた儀式のように、ノミネートの線上に残り、幾たびか踊り踊らされ振り振られながらも、なお残り切れない落胆の青息吐息を吐息を吐く前に、文学的検証と云う、少々、手がかかる作業を自前でもしてみたら、と考えたのである。
 
 スベトラーナ・アレクシェービッチと云う1948年生まれの女性のルポルタージュ風の文学、簡単に要約すれば、――兵民一体の総力戦の間があったロシアの西部戦線、その惨状、その極限状況については、最近、スターリングラードレニングラードをめぐる攻防戦の映画によっても僅かに、偏りなく伝えると云うことは無理にであるにしても、断片的ではあれ、知られるようになってきている。スベトラーナの書物は、主として対独戦線に志願していった女性兵士の活躍と、その後における彼女たちの戦後の軌跡を追跡したものである。
 結論を、このような場で一二行で書くなどと云うことは愚かな仕業であると思うから存分には書かない、あるいはそもそも書くことができない。彼女の書物が、今日この場所における適宜性、社会的情況における適合性、文学としての必然性と云うレベルで論じるならば、伝えるべき重い内容を持った世代がどうにかこの世に生存としてあるうちに、――どうやらここ五六年ほどがその限界だと思われるのだが、――それを聞き語りとしてなるべく広範なものとして伝えるべきその作業に着手してみた、ほかならぬこの自分が!――と云う、書くことの臨場感が、まざまざと感じられる文学なのである。
 もう一つスベトラーナの文学の特色として云いうることは、戦争を体験した世代が今後、ほとんど死に絶え、他方、戦後に生まれ、戦争と云うものの記憶をほとんど持たない世代によって、悲惨な戦争の記憶をどのようにして後世に伝えていくのか、と云う、これもまた文学のひとつの機能ととしての文学的営為の普遍性についても問いかけているのである。つまり直接経験と云うものを欠いた場合に、いかにして伝えることが可能か、可能でないとするならば、文学的な営為とはそもそもなんであるのかと云う、文学としての良しあしと云うよりも、文学としての性質と云うか性格と云うか、文学的な構えがまるで違うのである。
 翻って、世界史的な状況に目を広域に転ずると、昨年のパリ11・13のテロ事件が明らかにしたのは、世界史的状況の過激化と云う事態だった。それまではわたしたちは先進諸国の空前の繁栄がある一方で、世界のどこかに貧困と悲惨があること、世界の三分の一の民が何らかの意味で飢餓の状態にあることなどを報道として、あるいは情報としては知っていたけれども、それがリアルな映像としての在り方を超えて、ある種の心的な体験としての臨場性と云うものを伴って現れてきたのは、少なくとも、世界的規模として生じ、告知を受けたのはこの事件が初めてであったような気がする。そして他方、11・13パリのテロを、わたくしたちが「同調的な受容的な感性」として受け入れることの下地は、因果関係や外観は随分違うけれども、3・11を、パッションとしての洗礼を受けた国民でもあった、と云うことと関係していよう。ここで「同調的」と云うことを強調するのは、それが「同情」とはどう違うのかとと云うことを説明することにもつながる。同じ不幸な出来事に遭遇しても、同情とは、それから免れ得た自己と云う感情を、無意識のうちに前提している利己性を含んだ感情であるからだ。そういう意味では、戦後史思潮において、同情は解するがそれ以上の意味を持ちえない国民性が、言語の受容的構造においては、一段と進化したのだ、と云うことは言い得るように思うが、如何?
 かかる世界史的状況を踏まえて20-21世紀の文学的な状況を鑑みて考えるとき、スベトラーナの文学は世界の悲惨化と云う状況に、いかにも――状況整合的に――対応する文学であると云うような気がするのに――あるいは悲惨なことには!と言い換えるべきか――村上春樹とそれをめぐる日本人の感性が、いかにも長閑で特殊であると云う気持ちにとらわれてしまうのである。それは日本人が民族として特殊であるとかと云う言い方ではなくて、自らの在り方に無邪気とも云える百パーセントの自信と確信を持ち、かくも朗らかに疑念がない国民の天真爛漫と云ってもよいあり方に、いかにも特殊日本的なありかたを感じると云った方が、相応しいのだろうか。一言でいえば、世界の過激化と云う現象に、村上春樹あるいは日本の文学は付いていけていないのである、と感じるのである。彼の、児童文学じみた長閑な手法は、敬愛するフランツ・カフカの文学に似ていると云うよりも、あまりに無邪気にすぎる確信が、ある種の安全圏に居続けることの心持よさ加減に安住しすぎていると云う気がしてならないのですが、如何ですか。
 そこでもう一度翻って村上春樹の文学の特質と云うものについて考えてみた。デヴィユー作『風の歌を聴け』のもつ新しさは、村上が新しい語り口、新しい文体をどうやら探り当てたと云う感慨が当時あった。この文学の特性は、通常の「文学の文体」の外側で語るもう一つの文体、――わたくしの名付け方によれば、ディスクジョッキーの文体と云うことになるのだが――の乾いた、無機的な、スピーカーを思わせる文体の音質!にあった。実際に、この小説の最後に語られる肢体不自由の少女をめぐる感動的な場面は、この文体で語りつくされている。
 この村上の、従来の日本文学にはなかった、無機質で乾いた文体が意味する第二の特徴は、文学の質が「伝統」から解放されたのだな、と云う感慨が当時あった。つまり村上の小説を読みながら、わたくしたちは、彼がどのような過去の日本人作家の影響を受け、それをどのように引き継ぎ、引き継ぎけいしょうするなかで、文学の戦後的言説空間の内部においてどのような位置配列関係に占めるのか、と問う必要をわたしたちは感じなくなったのである。わが国の近代日本文学の「伝統」と云っても、それは必ずしも「私小説」における「伝統」や日本的自然主義の「伝統」などの用例からも分かるように、肯定的な意味でばかり言及されたり伝えられてきたわけではなかったから、村上春樹の文学における戦後史の「切断」はその当時、伝統が途切れていると云うことは、いっそ爽やかな感じすら与えたのであった。
 そうして第三に、彼の文学にみえる歴史の切断こそ、実は六十年代の経験の、あまりにも重苦しさを伝える文学的言説の過剰なる空間!――たとえば高橋和己や吉本隆明の文学など――にうんざりしていた世代の広範な支持を受ける背景的な要素としてありえたのではないかと考えている。
 かかる戦後のエポックに対する反作用としての、体験の重みに対する大規模な歴史健忘症的なニーズの存在は、七十年以降の世代の支持を受けただけでなく、戦後戦中世代とも云える当の六十年の世代においても、それ以前の世代においても「世代を超えて」受け入れられ、それが彼の文学が、一種の国民文学めいたものとして受け入れられる下地、その尊敬の理由のひとつになった、とも考えられるからである。(戦後史のエポックに対する反動としては、村上春樹の文学と司馬遼太郎の存在には共通するものを感じる。村上の文学は、よい意味でそうでない意味でも、時代の重荷、時代の十字架を外す役割が感じられたし、司馬遼太郎の文学は近代日本人への自覚と自信を、まるで祭壇から語る教祖のように示唆した!事実を鑑みて)
 村上春樹ノーベル賞をめぐる昨今の話題と、世界内存在としての彼の文学の不整合性は、彼と世界の関係や、彼の文学観そのものについても云えようし、かれを必要なニーズとして受け入れた広範な読者層、それをシーズとして提供したマスメディアや出版各社の諸事情、さらには同巧異曲としての一般化され拡大化された環‐世界の広域読書界と云う事態が、世界の過激化と云う現象と如何に乖離を始めているかと云うことを占う象徴的な出来事であったように思うが、いかがでしょうか。