アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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J・L・カー『ひと月の夏』 アリアドネ・アーカイブスより

J・L・カー『ひと月の夏』

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 現代の擬古典主義と呼んでもいい、カー(James.Lloyd.Carr)と云う本国でも必ずしも知名度の高いとは言えない作家の掌編『ひと月の夏』、――第一次大戦後のイングランドの片田舎の廃墟にもにた教会の天蓋に描かれたフレスコ画の修復に訪れた傷痍軍人としての元画学生の青年と、中世遺跡の神秘の陰りを曳きずった牧師の妻との間のつかの間のロマンス劇は、わが国で云えば水上勉の『越前竹人形』と高度成長期の時代状況の対比と、どこか似ている。谷崎潤一郎をして、どこか古典のようなと言わしめた擬古典主義の様式は、むしろその仕組まれた反時代性として際立つのである。
 この小説にも筋と呼べるほどのものはなく、ある種の塹壕トラウマと後遺症としてのパニック症とも云える顔面痙攣に苦しむ元画学生の青年が、漆喰に塗り固められたフレスコ画を復元する過程と、薄命感を漂わせる牧師の妻――ボッティチェリプリマヴェーラに似ていると表現される――や心優しき村人たちによって癒されていく過程が、夏から秋へと美しく移ろっていくイングランドの田園風景とともに語られていると云ったら、この物語の大半は語ったことになるだろうか。
 美しいイギリス東部の草深き田園風景、廃墟のような中世以来の小さな教会、礼拝堂の天蓋に塗り込められた最後の審判を描いていたと思われるフレスコ画の復元作業、その忘れ去られたような廃墟の一隅に蜉蝣のように住まう美しき牧師の妻、他方には同じ傷痍軍人で中世古期のカテドラルの跡を調査し、その調査過程を論文にすることでアカデミズムの世界に復帰しようと云う野心を秘めた同性愛の男も登場してくる。そうして、これらの影のようなロマネスクの背後には、堂守や駅長の家族などが属する温かみのある日常世界が控えている。
 物語の結構は、それぞれの落としどころを見つけて収斂する。フレスコ画の修復作業は時代と地理的環境を考慮しても予想外の財力が背景にあったことを物語る程美術品としては贅を尽くしたものであったことが明らかになる。そして修復作業とは別に、地獄に堕ちる深く漆喰に塗り込められた人物を通して、ある一族の歴史が明らかになる。その三日月の印を背負った人物こそ、――三日月とはイスラムの象徴である――教会のなかに葬られることが憚られ、聖堂の直ぐ脇に葬られた石櫃の主と一致するのであるが。
 そしてこの人物が、聖堂の石畳に葬られて伝説ともなった貴族の妻と関わりがあったのかどうかは読み取れないのだが、この早世した薄命の美女は醜いこの世のことどもを見ることなく旅立ったと云う感慨が主人公たちの間で語られていることからすれば、貴婦人の死を悼んだ哀切極まりない墓碑を刻んだ当人とも思われる。あるいはそう読んだ方が物語の首尾としては一貫する。牧師の妻が気配もなく音を立てることもなく聖堂の暗がりの片隅に現れて画家の修復作業を見守っていると云うのも、もしかしたら彼女が謎の伝説上の騎士によって哀切極まりない墓碑を奉げられた、当人の生まれ変わりであったかもしれないのだ、と云う暗示すら与える。
 この小説を読み終わったあとの上質の紅茶を飲んだような読後感は、二か月にも足らぬイギリス北部の片田舎でのささやかな経験が美しき風景の実在となったのは、一人の女性(にょしょう)を愛すると云う、ロマンティシズムの経験のなかでこの世が観られ語られたからである。フレスコ画の修復や中世古期のカテドラルの発掘、駅長と云う職を持ちながら他方では伝道師としての側面を持つ不思議なメソジストの家族たち――イギリスでは少数派である――との交流などなどと、舞台装置も道具立ても様々で、まさにイギリスの古典趣味を彷彿とさせる装置や仕組まれたエクステリアの数々は、ここに伝統工芸品か宝石箱のような、精緻で華麗な小品を夢淡き現代の読書会に送り出すこととはなったのである。
 
 魅惑的だが蜉蝣のように廃墟の壁を伝って歩く美人の牧師の妻について語る機会を得なかったから最後に語っておくと、最初は如何なる気配もなく忽然と足場の下の暗がりから現れる、後には足場の梯子を上って来てフレスコ画の修復過程について間近に語る介在する距離感は、彼女が葬られた中世の美女の亡霊であり、秘められたタブローの精霊であることを暗に語る。
 最後に、修復作業を終えて給金を懐にして離別の逡巡に彷徨う主人公を、その住まいであった鐘楼の部屋に妻が訪れてくる場面がある。途切れがちの話の接ぎ穂がなくて、ひと時石造りの小窓の窓辺に寄ったそこからは、発掘作業を終えた現場の一望を見ることが出来る。気が付くと窓辺の後ろには牧師の妻が立っていて、二人して珍しい中世の秘密を覗き見するかのように、重心を前に倒した胸の膨らみが語り手の背中を押す。本編のなかで唯一エロティスム溢れる場面であるが、なぜか主人公は振り返ることができない。永劫とも呼べる時は永遠に失われたのである。
 このあと、自暴自棄になった主人公が無人となった広大な牧師館の呼び鈴を狂気のように鳴らし続ける場面が続く。人気のない広大や館の部屋から部屋へと、虚しく響く呼び鈴の音が彼の魂に成り代わって亡霊の如く彷徨う。固く閉ざされた牧師館の扉に前進を阻まれながら、遊離した魂が呼びリンの音と化して自らの孤独と寂寥とを幻聴のなかに魂の軋みとして聴く、この哀切な物語はここで終わっている。
 
 
 
 
J・l・カー『ひと月の夏』A Month in the Country (1980) 白水u ブックス1993年10月 小野寺健=訳