アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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安住恭子 『《草枕》の那美と辛亥革命』――漱石を恥じ入らせた女性――『草枕』と『三四郎』の間 アリアドネ・アーカイブスより

安住恭子 『《草枕》の那美と辛亥革命』――漱石を恥じ入らせた女性――『草枕』と『三四郎』の間
2012-05-08 22:05:29
テーマ:文学と思想

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 文豪・夏目漱石明治29年から33年、英国留学までの四年間を第五高等学校の英語教師として過ごした。 この書は、夏目漱石の『草枕』のヒロインと云われる那美さん、こと前田卓(まえだつな)実像をめぐる真偽の周辺と、それだけに尽きない多面的な生き方を綴った本である。

 一読して、『草枕』以前の明治初期の熊本、とりわけ熊本の城下とは金峰山の山塊と二つの峠で隔てられた一村落の動向を通じて、明治維新後における地方の政治史のいち断面が描かれていて、とても啓発的な記述となっている。薩長閥に牛耳られつつあった新政府の中で、後発の肥後藩の若き人材たちが御一新と呼ばれた時代を如何に考え構想し挫折したか。こうした改革の芽は、実学と呼ばれる肥後藩固有の、ヨーロッパの近代主義とは異なった日本固有の近代主義的な思想の土壌があってこそ初めて花開こうとするわけだが、過剰な進展を危惧した新政府の元であえなく積みとられてしまう。前田卓の父親・案山子が偉大であるのは、右傾化に抗うように自由民権運動と連動しながら民のため、百姓のためギリギリの妥協を認めさせる粘り強さにある。肥後の実学とは、華々しいだけではなく、妥協と己の限界と言うものを知る、粘り強い保守主義でもある。『草枕』の那美さんのモデル・前田卓は、かかる案山子を父親として裕福な郷士の家の長女として何不自由なく育った。悪びれることなく、果敢に行動する直情的な性格は、育ちのよさの賜物である。
 この本は、『草枕』の那美さんの実像を詮議する以前の、彼女の生い立ちと絡めて、中央から遠く隔たった県庁所在地でもある地方の都市の、それでいて決定的に田舎ともいえない地方中都市の近郊における、維新史の一側面を伝えていて、とても精彩がある。地方の都市のそのまた郊外の、峠を越えてその中核都市とも繋がり得る、本書の何度か出てくる表現を借りれば他家の敷地を通ることなく熊本市へ出掛けれれたともいう不思議なと云うか絶妙の地理的な位置、つまり中央の動向を覗うに近からず、それでいて決定的に遠隔地にあるでもないと云う盛事の前田家の広大な敷地を舞台に、埋もれた近代史の記憶を発掘した本書の意義はとても大きいと言わねばならない。

 また本書が語るところでは、那美さんは『草枕』に描かれただけの、明治期の所謂「新しき女」の一人であるだけではなかった。本編第二章とも云うべき活躍は、孫文辛亥革命を裏面から支え続けた女性闘士の一人としてであり、三番目の転身は捨子保育院で育児に携わった保母としての側面である。そして何よりも特記しなければならないのは、明治期を通じて没落していった地方名家の子孫の行く末を案じながら、支え続けた旧家の長女としての特異な役割であった。まさに封建制における家族という視座を軸心とし、家長の視座を代弁しながら戦い続けた闘士、という印象が相応しい。ここに闘士と言う意味は、あくまで戦士達の背後にあって目立つことなく信義を尽くしたあくまで日本風の伝統的女性の生き方であって、それが一家の一族郎党を育む、古い言い方を借りれば「刀自」と言う、いまは死語化した言葉が最高の意味で彼女には相応しい。若き漱石の眼に映じた「新しき女」とのみ見えたややエキセントリックな女性は、古風な地方の旧家に相応しい日本女性の典型でもありえたのである。

 この書が如何に一読に値するかは、夏目漱石との関係云々以上に、この書が、中央の歴史において語られがちの近代史を、異なる観点から照明を与えた点にある。このような史実を知ることによって、私たちは地方史の異なった展開を知るだけでなく、実は、オーソライズされた日本近代史の展開とは異なった可能性の一端にも触れることが出来るのである。つまり近代化の道筋は欧米流のただ一つの道のみが存在したのどうかと云う、根本的な問題。とりわけ20世紀世紀末から今日に至る、世界史的な展望の不透明さが増しつつある今日においては、このような観点こそ、原理的に思考する姿勢を私たちに与えるのである。

 さて、最後に注文を二つ。ひとつは『草枕』論についてである。二つめはこの書を一貫して流れるフェニミズムに就いてである。
 一番目の方から云うと、夏目漱石と那美さんこと前田卓との関係が、実際に何がありどう展開し、それが思い出として回顧されたか、それは漱石の高弟小宮豊隆らが言うように、本質的な問題ではないように思う。この本の著者が願うように、前田卓が漱石の恋人であったとするなら素晴らしいことであったと思うけれども、『草枕』はそのような本ではない、と思う。著者は晩年の漱石と前田卓の再会のくだりを感動的に語りながら、尚二人の間には微妙な温度差があったと書く。つまり大成して後の漱石は『草枕』の文学論や美学論をもはや信じてはいなかったのである。

 では、過去の、文豪に相応しいいちエピソードであったかと言うと、そうでもない。実はこの書では一度も言及されない『三四郎』の美禰子の中に継承され再現されてある、と言うのが私の考えなのである。『三四郎』の美禰子は、単なる新しい女の一人であるばかりではない。明治期という時代において青春の呼ばれるものがもしあったとするならば彼女に於いてこそその美称は相応しい、と思う。小説の中では一度も語られることはないのだが、『三四郎』は過去に傷痕を帯びた者たちの物語なのである。『三四郎』の透明なユーモアは地方出身の純朴な青年三四郎のみが圏外に置かれ理解が届かないと云う配列関係から構造的に生じる。そんな近代を経験した都会人の中でも美禰子の存在は特異なものがあって、彼女はその傷痕を達観とでもいえそうな近代的な哀愁、都会的な憂愁のオーラに包まれてそれがとても彼女を輝かせているのである。近代との遭遇の経験は彼女に以下のような人生観を身にに付けさせることになる。すなわち近代の理念は遠い未来に実現するとしても未だそれを実感するには程遠い段階にある、と。恋愛観についてもこうである。金銭的な裏づけを欠いた愛は不毛であり、その洗練された都会的な諦観が、周囲が薦める「社会的身分」との縁談話を何の疑問も感じることなく受け入れ、美禰子の結婚式の場面でこの小説は皮肉にも終わる。同じ近代と言う傷痕を抱えながら、前田卓の生涯と『三四郎』の美禰子の生き方は正反対になっている。敷衍すれば『金色夜叉』の寛一お宮の生き方は近代を経由しないものの生き方だが、前田卓と『三四郎』の美禰子の生き方の違いは、近代以降の二股に分かれる交差点でのあり方なのである。つまり『三四郎』の美禰子とは、明治期の新しき女が挫折を経て成長したその後の姿、つまり那美こと前田卓に、かくありたしと望んだ愛惜の書、明治期青春の頌歌なのである。

 『三四郎』もまた、熊本をゆかりとした物語なのである。前田卓が『三四郎』をどのように読んだのか、資料がないので何も語ることが出来ない。想像を言うならば、那美さんは自分の分身をこの小説のモデルに見出したはずである。
 
 漱石と前田卓との再会にあったとされる温度差は、『草枕』と『三四郎』のそれではない。『草枕』の那美さんと、前田卓の全生涯を貫いていたものとの相違だったのである。

 漱石をして、『草枕』を書き直さねばなるまいとまで言わしめたものは何であったか。実像としての前田卓の行き方は、一代を風靡する文豪である漱石をして恥じ入らせるものがあったのである。彼女の生涯と生き様を聞くに及んで、「絵になる」などという『草枕』風の美学論が吹けば飛ぶようなものであることを今更ながらに感じないわけにはいかなかったのである。言い換えれば、漱石は後追い的に『草枕』の那美さんに辿りついていたのである。最晩年の那美さんと再会する明治の時間とは、漱石における近代と云う時間が持つ意味であった。

 漱石にとって『草枕』は、過去の、克服された御用済みの、抹消されても異議のない、過去の作品に過ぎなくなっていた。
 ここから分かるのは、明治期の中央の知識人が如何に地方史において起きていたこと、日本近代史の黄昏の埋もれた青年たちの格闘の歴史について何も感じず何事も読み取ることが出来なかったか、と言う感慨と反省であった。それは中央の歴史にはないことだった。考古学的にとでも云うように古い、未来の出来事だったのである。少なくともそれだけのことは言える、夏目漱石における成熟、とはそうしたものであった。

 それにしても『三四郎』と言う本は、凄いと思う。夏目漱石の文学の中後期を告げる、象徴的な開始的作品だったのである。『草枕』から『三四郎』を経て『それから』に至る数年間は、最も長い明治の数年間だったのである。その数年間は日本の現実の回帰する時間であり、『草枕』の那美さんと『三四郎』の美禰子さんと『それから』の代助が生きた、共通の時間であったのである。そうしてもうひとつの、漱石や美禰子の知らないもうひとつの近代と云う名の時間だったのである。

 二番目のフェニミズムについては簡単に書く。この書を一貫して流れるフェニミズムの主張は、時に著者の世界観を制限するものともなりかねない。この書の読者層が女性であることを意識した筆致とも考えられるが、男女の問題を一妻一夫性の固定した観方でのみ評価することは、倫理的な良し悪しの問題はともかく、フェニミズムそのものの広がりをも奪いかねない、評価軸としても限界になってしまう嫌いがある、とだけかいておこう。