アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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漱石中期三部作――『三四郎』『それから』『門』 アリアドネ・アーカイブスより

漱石中期三部作――『三四郎』『それから』『門』
2018-04-10 12:03:05
テーマ:文学と思想


 夏目漱石の中期三部作と云うものがある。『三四郎』1908年、『それから』1909年、『門』1910年、である。漱石の熱心な読者であるとは必ずしも言えないわたくしのような門外漢の立場から見ると、便宜的に付けられたもののように見える。三つの作品はそれなりに興味深いのだが、統一したテーマのもとに構成されているようにも思えないし、有機的な繋がりに乏しい気がするためである。
 三部作の筆頭、『三四郎』については、未だにこの作品が正しく評価されてこなかったと書いてきたし、これからも声高に言い続けるであろう。あまり人のことは言いたくないのだが――自分の不勉強のせいもある――例えば、漱石論では名を成した若き江藤淳漱石論のなかに次のようにある。

「この退屈な小説では「猫」よりも現実的に描かれている知識階級の風俗的戯画と、当時としては極めて勇敢に述べられた社会批評のみがぼくらの興味を引くのだ。」(『夏目漱石』)

 こう断定的に述べられては気圧されて「納得して」しまうほかないのだが、この気鋭の批評家の文明批評乃至は文化論」と云う基軸による漱石の一言評価の意味がサッパリ分からない。文明批評なり文化論を論じるのであれば、なぜ評論やその他の社会研究、社会思想の論文の形態をとらなかったか理由が分からないからである。
 むしろ、わたくしなどが読むと、そのような「文明批評ないし文化論」の持ち主たる『それから』の主人公・長井代助の思想や所感が、近代社会が成熟するに従って腐食作用のなかから異臭を放ちつつ発酵するように醸成されつつある近代社会の不気味な影、平岡らに代表される根無し草、エグザイルの虚無の風に晒される、第二インテリゲンツァの物語のようにしか思えないのだが。
 勘違いしてはならないのは、長井代助=漱石の特殊日本的近代史観――後進国日本の特殊な近代性の在り方からくる出遅れ感など――が問題なのではなく、明治末期に於いて、既に江戸・東京に於いては「近代洗礼を受けてしまった」者たちがいたという話なのである。田舎出の、未だ近代の洗礼を受けない三四郎の眼には、それが「謎めいて」「不可解」である(三四郎の里見美禰子評)、と映じるばかりである、と云う小説なのである。繰り返すが、この小説は近代に遭遇しつつあるもの達の物語であるだけでなく、近代に遭遇し何がしかの挫折を経験した者たちの物語でもあるのである。日本近代に対する複眼的な視点を持たないとこの小説は正しく読めない。 
 漱石の中期の代表作『三四郎』と『それから』が以上のようなものであるとすると、ここまで違った小説を一年足らずの間に書き上げる夏目漱石と云う男の特質は並大抵のものではない。この両作を端的に評言すれば、『三四郎』は西洋的な意味での19世紀的西欧流三人称客観小説、『それから』は20世紀的思想的現代文学と云うことになる。
 夏目漱石の不思議さは、かかる対蹠的ともいえる両作を書きながら、『門』においては全く異なった、日本的心境小説とでも云うべき分野を開拓している。
 『門』もまた優れた三人称客観小説である。主人公宗助と御米の日陰者のようなその日暮らしの解決のつかない、永遠の流刑地での生活のような風景を何の起承転結のメリハリもなく語る。そして季節の移ろいのように、桜の咲くころに始まり木枯らしの吹く厳冬期を越えて春の芽吹きを感じさせる季節の到来をもって終わる。小説の終わりが小康を思わせるほの明るさで締めくくられていることは何の救いを意味するわけではなくて、

「『本当に有難いわね。漸くの事春になって』と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を切りながら、
『うん、然し又ぢき冬になるよ』と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。」(『門』の末尾)

 つまり夫妻の気苦労は永遠に絶えない、人生は重荷の車輪を奴隷のように手繰り、そして軋みながら旋回することであり、人生苦終わりはない、と云うお話である。
 ここに最後の場面に鎌倉の禅寺に参禅する事項が書かれているからと云って、思想的な問題を読み込むことは笑止。夫婦の過去にあったとされる罪と罰の物語にも関わらず、清貧に生きた江戸文人の理想的とも云える生活を描いた、一篇の抒情詩と云うべきであろう。

 江藤淳は、わが国の近代文学と云う分野に於いて、西欧的な意味での近代小説は不可能であると云う絶望感に立脚して、漱石のなかに固有な「文明批評ないし文化論」と云う観点を持ち込んだ。文明批評なり文化論をものにしたいのであれば、直接に文明批評文なり文化文明論を書けばよいのである。永井代助の、啓蒙主義を乗り越えたとされる社会批評にしても、その多くは漱石その人のものでもあったと思われるが、優れてはいるけれども、それが出てくるからと云ってそのまま小説の価値を高めるわけではない。
 代表作『こころ』との違いを言うならば、明治天皇薨去に譬えて明治人としての漱石の思想的課題を自己処罰的に滅却させた批判性のなかから、死との親和性と云うおぞましい程の陰気な時代思潮を呼び込んだ不吉の作であるのに対して、『それから』は敵と味方の文脈が分かちがたいほど不分明にはなっていないところに特徴がある。それは『それから』の代助が三千代への時間を隔てた愛の修復作用のなかで、二人が愛を学んだのに対して、『こころ』の夫婦にはその形跡がまるで見当たらないからである。言い換えれば愛を知らないから不倫と云う外部的な出来事が「罪と罰の物語」であるかのように現象してしまうのである。
 永井代助の場合は、如何なる社会的な断罪をも受け入れるつもりでいる。倫理道徳的には自分たちの行為は誤りであるが、自分たちの愛が自然に照らして何の遜色あるものでもないことを彼らは知っている。
 夏目漱石の小説についぞ愛が描かれていないと云うところからくる思惟的な混線を、なにか深遠な思想的な葛藤があるかのように誤読してきたと云うのが、過去の夏目漱石論ではなかったか。