アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『千と千尋の神隠し』の顔なし君に昨今の政局を重ねてわたくしたちのまなこが象徴的にみる近未来の物語  アリアドネ・アーカイブスより

千と千尋の神隠し』の顔なし君に昨今の政局を重ねてわたくしたちのまなこが象徴的にみる近未来の物語
2018-04-17 18:17:54
テーマ:映画と演劇


 宮崎アニメの『千と千尋の神隠し』については、なんどか語ってきましたが、今回は、顔なし君について。
 顔がないとは、誰とでもどこででも取り換えが効く、任意の方のあなた!と云う意味である。大衆社会に於ける、不特定多数の表情、あるいは無表情!と説いても良いでしょう。難しく言えば、顔がないとは、固有の実存を人格として欠く、と云いう意味です。
 アニメのなかでは顔なし君がどういう登場の仕方をしたか思い出してみましょう。顔も何もない素性が分からないものですから、玄関からは入れないのです。ちょうど民主主義の三権分立の門からは入れないようなものですね。縁側先に、頼りなく、蜉蝣のように佇みます。気味が悪いと云うよりも、同情を引く、憐れな(るざん)のなれの果て、と云う気がします。第二次安倍政権もこういう形で現れました。総裁指名選挙では当時石破氏が一位で、彼は二位に甘んじ、三位の者の票を取り込んで数の論理で石破を破りました。擁立されたのがこういう事情でしたから、また第一次安倍内閣崩壊時の事情が事情ですから、今はやりの評言をすれば、謙虚に!丁寧に!と云う形で、下手に出ざるを得なかったのです。
 その彼が、一旦縁側に場所を占めるや否や、次第に態度を変えていきました。やがて座敷の中央に座を占め、最後は権力に物を言わせて飲めや歌えの大騒ぎです。この宴会風の政治が五年間続きました。
 ところで一強とも呼ばれた無敵に見える顔なし君ですが、苦手なものは言語と言葉です。なにせ顔がないことが本人の唯一の特性なのですから、ものに名付けて個性を与えることは本人の死を意味します。ちょうど西洋のお化けが名前を付けられると手を挙げて退散するのと一緒ですね。それで言葉や言語につかまらないように、侮蔑や軽蔑をしてみせて、なるべく近づきにならないように用心しているのです。言より実行力!と云うスローガンは空理空論は虚しいと云う意味とともに、言葉や名付けられることが怖い、と云う意味でもあります。言論統制は彼が最も心を砕く出来事です。とにかく言論と云う言葉が嫌いで広報の統制という言葉が好きです。
 ところで顔なし君、温泉センターの豪華絢爛の客殿で散々の破廉恥と狼藉を働いたのちに、やがて事情により島送りになります。風船の空気が抜けたように表情が不均一にむくみ、ごわごわになった皮膚に落ちくぼんだ眼窩が陥没し、温泉センターと云う名の政界を去ります。一人寂しく見送るひともなく、見渡す限り視界の果てまで水没した水田風景のなかを電車をまって、湯バーバの双子のもう一人のお婆さんに会いに行くことになります。ここで手芸や裁縫などを学んで、老人施設の四季の廻りのように老けていくのでしょうか。
 何故、水没した水田風景のなかをひとり単線の電車に乗らなければならないのでしょうか。ところで湯ばーばと云う年配の双子のお婆さんたち、西洋の童話には良いお婆さんと悪いお婆さんがセットで出てまいりますが、最後は水辺の風景のなかを過ぎて良いお婆さんの方に会いに行くのです。
 水辺とは、死の隠喩でもありますから、死ぬほかに術はなかったという意味になります。ばかは死ななきゃ治らないといいますが、そこまで言うのは言いすぎでしょう。他ならぬ彼もまた、民意と云う名の隠喩に背後から動かされて、気が重たく、投げ出したくなったのです。しがみついて醜態を晒すよりもよいでしょう。でも、最後まで顔なし君、言語や言葉、人類の文化や知的資産(三権分立論と民主主義、そして日本国憲法を記号や符号としてではなく、分は人なりと云う意味での「文」で読む)を習得することはありませんでしたが、地道な手仕事を覚えて、炉辺で余命の尽きるまで幸せに暮らしましたとさ。


今回は、顔なし君の固有な存在感に魅かれて、『千と千尋の神隠し』の全体の主要なテーマについて、重要なことを言い忘れたままにしておくのは片手落ちの感が否めないでしょう。 
 思い出していただきたいのですが、――
 このお話は、まず第一に、ヒロインの千尋が名前を奪われるお話でした。固有の名前を暴力的に奪われて無名化するのです。名辞を奪われることによって、場面は日常から非日常へと反転します。
 第二に、温泉センターの湯バーバの神殿に飼い殺しのようにしてあるハクが、己もまた名称を剥奪されたものとして、自身の名前を思い出す話でしたね。ハクが古代以来の己が名前を思い出したとき、美しい山河は戻り、四季は巡り、全ての呪文が解けるのです。
 もう一方の、「美しき瑞穂の国」の小学校が塵と大地の膿みの上に築かれた空中の楼閣であったことも、この場合象徴的であることも、この場合、有意な逸話として記憶に留めておいてもよいでしょう。
 さて、二十一世紀の十八年目の呪文はどうでしょうか。