アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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鏡花『縷紅新草』と『卵塔婆の天女』 アリアドネ・アーカイブスより

鏡花『縷紅新草』と『卵塔婆の天女』
2015-07-21 10:01:23
テーマ:文学と思想

 

 泉鏡花、最晩年の『縷紅新草』と『卵塔婆の天女』を読んでみる。 
 『縷紅新草』は伯父と姪が展墓の道行の場面から始まる。主題的には語られないが墓参りの対象は今は亡き伯父には従兄妹、姪の母親にあたるさる夫人である。夫人の面影は二人の断片的な会話を通じて、ほかの主題とない混ぜて語られるから例によって判然としない。それで『卵塔婆の天女』を併せて読むのである。母娘の二人はほぼ両作に共通した母娘として出てくる。両者を読むことで謎めいた二人の面影がようやく彷彿としてくる。

 話は伯父と姪の二人が、共通の思い出をともにして墓参りをするところから始まる。しおらしく普段はすすんでは遣らない伯父が墓参に付いていくと云うので、姪は誰か目当ての人がいたのではないかと混ぜっ返す!実は伯父には若い頃郷里の城下のお濠端で心中未遂の出来事が古い思い出としてあり、またその日の同じころ城下の坂道で擦れ違った見知らぬ乙女が、もしかして当日儚く身を投げた娘と同一人物ではなかったかと云う想いが今日までも揺曳しており、考えてみれば自分はこの世にとどまり見知らぬ娘は冥界に入ると云う二つに分岐したそれぞれの命運を思うと、伯父としてはいっそ自分の身代わりではなかったかと思えて他人事とも思えないのであった。

 若き日の伯父がなにゆえそこまで追い詰められた事情にあったか、それは明示的には語られない。たけくらべのように育った従兄妹が人妻となると云う経緯が『卵塔婆の天女』には語られているから、大体の想像はできる。それで今日の墓参と云うことになるのだろう。
 そのことを云うのが伯父は恥ずかしいので、あの日あの時自分の身代わりのようにして死んだ乙女の話とない交ぜにしてひたすら美しき人への面影が語られる。
 ところで乙女を見舞った不幸で悲しい話とは、ある大身のお姫様が廃藩置県のあと没落して今はお針子のような女工として町工場に努めている。流石に武家の子女として嗜んだ刺繍の技は評判を呼び海外でも工芸品としての評価は高いとか。そんなこんなで仲間に妬まれて、ある時縫った二匹の赤蜻蛉の刺繍の柄が何やら体はひとつなのに翅が八枚とはやしたてられた恥ずかしさに堪えずしてお濠に身を投げてしまう。同じ時刻に同じ場所で死に場所を求めて彷徨い歩いていた若き日の伯父と運命的に二人はすれ違い、一方は生き残り他方は来世の至福の方を選んでしまった、と云うわけなのであった。二人の会話をまとめると概略、このようになる。
 さて、その事件から三十年も経って、伯父の方は傷口も癒えたかに見え、他方、刺繍をする娘の方は美しく儚き手弱女伝説として今や町の観光資源として記念碑が建立されそうだと云う様変わり様なのである。
 二人が擦れ違ったのは、乙女の碑を建立する工事の中途に行き合ったのだった。そのために墓石は移転することとなり、それが現場に躯体のまま荒縄に巻かれていたのが、なにか痩せて儚い乙女の肢体が緊縛されたて無惨に晒されているようにも思われて、姪は咄嗟のことに自分の着ていた豪華な羽織を墓石に投げかけて庇おうとする。その所作の颯爽とした鮮やかさが伯父の目には昔日の日の母親の面目躍如たる面影を彷彿とさせて感無量にさせる。何といっても母にしてその娘であるから似ていて当然なのである。
 それにしても、墓石は荒縄が掛けられたまま、物騒な大鋏なども不気味に置き去りにされていて、何事かは分からないけれども事件が起きたことが想像される。やがて、帰って来た作業人と寺男の口から、乙女の墓石の絡んだ怪奇が語られる。口々に蜻蛉の幽霊が出たと云うの。何でも、本来は墓石は仏の身体ゆえに蓆や布で覆うべきところを無惨にも裸体のまま縄掛けした無礼さを咎めるように、二匹の赤蜻蛉が威嚇するかのように幻のように忽然と赤い眼を明滅させて現れたと云うのである。悲しき乙女の伝説は城下では十分に膾炙していることでもあるのでピンと跳ねて、取るものも取りあえず石段を転げ落ちるようにして逃げ惑うたと云う、――かく、つい先ほどまでの怪奇な出来事の経緯が寺男と人夫たちの口を通して語られる。
 伯父と呼ばれる人はまるで乙女の生身のひと肌を抱きかかえるようにして塚の下から手を差し込んで丁寧に鋏を入れて荒縄から解き放つ。かかる経緯を語りながら引き返してきた人夫たちに非礼を詫びようとするのだが、あべこべに功徳として感謝されてしまう。
 さて、それそれとしてではこれからどうするか。姪は羽織を掛けたまま縄掛けにして運んでも構わないと云う。それではあんまりかと云う遣り取りが一同の間で繰り返される。そこで屈強な人夫の一人が決然と表に出て、縄掛けすることなく直に一人で抱きかかえていきたいと申し出る。これには一同が腑に落ちて記念碑建立に関わる一番相応しい行為の形の付け方であったように思えて合点いったのであった。
 こうして長いとも短いとも云える不思議な展墓の一日の午後が終わりに近づいてきた夕間暮れ、昼の間、なんとも昼行燈のように手持無沙汰に下げてきた提灯を今日の一日の主人公であった糸塚の袂に供えて帰ろうと云うことになる。伯父と姪はなおも立ち去りかねつつそのことを問わず語りに話し合い、山門を出ていく間際に苔で汚れた羽織をどうするか、と話し合う、そこの場面、――

「着ますわ」
「着られるかい、墓のを、そのまま」
「おかわいそうな方のものですもの、これ、忍摺ですよ」
 忍摺とは忍草の茎や葉などの色でよじれたような模様を布に写す技法を言うらしい。
 その優しさに伯父は胸がときめいて
「肩をこっちへ」
「まあ、おじさん」
「おっかさんの名代だ、娘に着せるのに仔細ない」
「はい、・・・・・どうぞ」
 くるりと向きかわると、思いがけず、伯父の胸にヒヤリと髪をつけたのである。
「私、こいしい、おっかさん」
 伯父は、この時、色も欲も何もない、しみじみと、いとしくて涙が毀れた。(原文とは少し変えてある。)

 ・・・・・と、云うのである。下手な要約をしてみせたが、何とも素晴らしいお話である。ここでは悲しい乙女の伝説的な墓石が生々しい女体に変じてイメージされている。伯父が墓石を抱きかかえるようにして荒縄を切り捨てる場面などは、伝説の乙女と亡き夫人への想いと墓参の連れ合いである姪の三人の白き女体がひとつになって、それを愛おしいほどに抱きしめると云う感じが良く出ている。荒縄を微塵に断ち切るとは世俗の柵を断ち切ると云う意味である。エロティックな描写であるのに、鏡花が描くように色も欲もないのである。ついでに言うなら、愛ですらその玲瓏たる神域に相応しくはなかった、とわたしなら云いたい。

 ついでに『卵塔婆の天女』のほうの話をしておくと、同人がモデルの母娘をヒロインとして、東京に住む能楽師が久しぶりに郷里に帰ってくるところからははじまる。故郷に錦を飾ったかと思われる名声をめぐって、能楽師の妹と称する中年女の一族眷属が鵜の目鷹の目で接近して来る。受け入れる城下の能楽協会やお歴々もまたこういう時には己がしゃしゃり出ねばとて黙っては見過ごせぬとばかり、歓迎会や宴会への出席を強要してくる。こんなことでは明日の舞台を無事に勤められるか心もとない。しかし『羽衣』を舞おうとするものがかかる俗世間や雑事を超越せずしてどうする。当日橋掛かりに姿をあらわしたシテは、舞台ともなれば入魂の神域に達して舞い始めるかと思われたのだが、観客席に思慮のない妹の不可解な所作に気をとられてうつ伏せに舞台に倒れ込む。これを見るなり若き日の従兄妹は間髪を入れず跳躍して舞台に舞い降りて能楽師の背中を打ち据える。能楽会は無惨な中止の憂目をみ能楽師は何処ともなく忽然と姿を消す。
 能楽師を竹馬の友として幼少の頃より熟知している従兄妹は能楽師の在りかを墓地のなかに見出す。日頃よりの能楽師の高ぶった高踏趣味を難ずるかと思えば、逆に、今日ほどありがたい日はなかったのだと積年の思いを述懐する。憚ることを知らない奔放な愛の告白なのであった。
 能楽師も従兄妹も思えばともにいまは、妻あり、夫あり、子ありの世俗の立場なのであった。しかし能を舞うとは、そんな俗世のしがらみなど何ほどのことがあろうか、励ますように従兄妹は幼馴染を励ますように言葉を繋げる。たけくらべの二人はお互いの想いをいままでないもののようにみなして生きてきたのだった。
 愛に向き合わなければ卑怯である。愛と向き合えば世間では生きてはいけない。しかし能楽師が『羽衣』を舞台に現出するとき、天女の立場を具現したものの目からすればこの世など何ほどのことがあろうか。羽衣を舞うとはそう云う意味なのであった。

 これを不倫などと呼ぶ、日本人の感性が如何に貧しく歪んだものであるか、鏡花が描いたのはこの事なのである。