アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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風の盆とマーラーと旅の思い出 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・ NHKの新日本紀行と云う番組で、風の盆、と云う番組を見去年た。記憶に残っていたので再放送をさらにみた。
 富山を昔は越中と云い、八尾と云う村の盆過ぎの行事である。九月の一日から三日間、十二ほどの町組でそれぞれに伝統的に伝えられた踊りを、昼夜で踊る。もちろん夜の踊りは、流しと言って、観光客などが寝静まってから地元民だけによって思い思いに踊るらしい。
 祭りと云えば、例外的に祇園祭葵祭を見に行った程度で、地元の祇園山笠ですら毎年は見過ごしているほどである。あとは長崎の御諏訪さんの三が日を憶えている程度だろうか。これは一時住んでいたので、住民として日常の目で熱くもなく醒めるでもなく見ていたに過ぎない。三が日の中日は、祭りの日永さを思わせて確かに好い、日本の永遠と云うこと想わせる。
 おわら 風の盆、謡いを聴いているだけで臨場感が遠くから伝わって来る。単調な四拍子で、十に程の町組の約束事と云えば、節のなかに おわら を入れることだけだと云う。その単調な拍子に、引き摺られるようにして手足を動かしていたら、なにか入眠状態に誘われそうだが、さにあらず、地元の人の言によれば、節と謡いが人間の自然な呼吸に近いために、滞ることなく、覚醒したままに昼夜を問わず踊り明かすとか。
 この番組をみながらつくづくと思ったのは、いまだ自分の知らない日本が沢山あるな、と云う感慨だった。
 
 1970年代の終わりころのことである。名古屋から岐阜を越えて越中富山に出た。目的は、白山神社泉鏡花ゆかりの、天生峠を越えることだった。郡上や高山で聞いたっ情報では過年のがけ崩れのために数年通行止めになっていると云うことで諦めざるを得なかった。郡上も高山も天守閣や街並みをみただけで五箇山の合掌造りの家に泊まって、翌朝朝早く立山を越えて富山へと降った。高山に特有の霧が晴れて眼下に濃い緑を敷き詰めた絨毯のような富山平野を降ったときには感動した。富山平野を望むと、あちこちに防風林を廻した人家が島々のように平野に浮かんでいる。豊かな土地であることが納得できた。
 北陸では、金沢の雑踏を避けて平泉寺と一乗谷の朝倉氏の居館跡を訪れた。平泉寺では平泉 澄がまだ御存命で、案内を乞うと、こやつ何者と、鋭い眼つきで睨まれた。一条谷は盆踊りの前だった。村の広場にはひっそりと丸太で櫓が組まれ、準備はこれからという感じで閑散としていた。居館跡は総門の背後の雑草が生い茂る空間の静寂が怖いほどで当時の沈んだ気持ちに妙に一致していて忘れがたいのであった。
 旅の間中、カセットで聞いたのがマーラーの『大地の歌』である。
 
 泉鏡花マーラーと越前一条谷の古跡と、妙な組み合わせだが、郡上踊りや八尾の風の盆などに無関心であったのは分かる。その頃愛読していた藤村の『夜明け前』柳田国男の『山の人生』などとともに、妙に山に魅かれるものがあって、山登り専用の自転車に乗って峠を越えたり峰で野宿をしたこともあった。思えば無謀なことだったが、あるとき里山道で野犬の群れに追われて谷底に転落してから怖さがしみじみと分かった。
  1983年の三月の初めの頃、春先の驟雨の中を西国街道こと二号線を走っていた。播州平野にかかるころ、微かな風向きの変化を感じた。気がつくと背中を押す追い風に乗って走っていた。春の到来が内面の躍動感に呼応するかのように、自己と自然とが目まぐるしく相互浸透しあいながら逐次的に階梯を高め、春の奔流の中を流されていくのを、体の中をに侵入した春の風が吹き抜けていくのを、まるで自分自身の体が幟か吹き流しのようにずたずたに裂けて、宇宙空間の中でただ一人パスカルの葦のように吹きさらしに晒されて空間にあることを、神秘性をおびた透明な思いの中で感じていた。
 音楽は絶えて鳴りやんでいた。
 
 ところで風の盆、里山の恵みに幸あれ願う人々が、風が通う谷間の通り道に奉げる祈りの歌と云えば良いのだろうか。単調な四拍子に刻むリズムが祭りが果てたのちも、いつまでも耳に残ると云う。微かな空耳や耳鳴りですら、三味線の音に聞こえるのだと云う。つまり眠っていても夢かうつつの中で鳴り響き目覚めていても夢のように途切れることなく鳴り響いていると云うことになる。かなり重症だが、それは地元のひとが云うように体のリズムに近いからだろう。リズムは歌になる。あるいは歌はリズムを支える。繰り返させる無限とも思えるリズムの交感はやがて自然を模倣し、自然そのものとなる。あるいは自然との交感が自らの肉体のなかに、自ずからなる自然を見いだし、人間が自然となり自然が人間となる。人間は森羅万象の中で孤独ではなくなる。音楽や芸能にはたしかにそのような役割がある。
 いまなら、かれらの輪の中に入って踊ることが出来るように信じた。
 
 『大地の歌』では、ピアニッシモに消えていく、断片的なモノローグの息遣いが、子守歌のようにも、臨終を迎える自然の静寂のようにも聞こえ、嫋嫋の余韻のなかで終わる。おはら風の盆・名告り歌が村人の記憶の中で鳴り止まないように、メゾソプラノの低い呟きにも似た余情は七十年代を透してもなお、聴こえないと思っていただけで、聞こうと云う意志さへあれば、夕暮れの晩鐘のように、歴史を通して鳴りやむことなくなり続けていたのであった。