アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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デ・シーカにおける”駅”――”ひまわり”と”終着駅” アリアドネ・アーカイブスより

 
デシーカの中でとりわけメロドラマ性の高いこの二作品には、それぞれミラノ中央駅とローマのテルミニ駅が重要な貢献をなしている。とりわけ”終着駅”においては駅の構内でドラマは生れ、終始の全てをここに完結する。”ひまわり”では出征する夫を見送る場面と、戦後のお互いの特別な事情から別々の家庭を営むことになった二人がミラノで一夜を明かし別れる場面に使われ、時の経過を表現している。

この有名な映画を観てなくて、長い間なぜ”ひまわり”なのだろうと思っていた。ロシアに消息不明の夫を探しにいってそこに全面のひまわり畑があったのだが、戦時中戦死した何十万というイタリア兵やロシア兵をその畑の下に埋め尽くした、というのである。スクリーン全面に広がるひまわり畑はあんなに美しいのに、死者の世界から養分を得てあんなにも美しく咲き乱れていたのである。
この映画のテーマは、かけがえのない愛を失っても人は生きうる、あるいは生きねばならない、ということであり、戦後から経済復興を遂げる世の中の変遷を背景に時の残酷さを抒情的に描いていた。

”終着駅”は復興の影すら見いだせない戦後間もない時期のイタリア現代史の諸相を、駅の構内を行き来する群衆の、無目的とも云える彷徨をもとに描いている。このドキュメンタリーと並行してアメリカ人妻とイタリア青年の束の間の、儚い恋の別れが進行する。モノクロの映像は非情な汽笛音とともに叙情性を際立たせて終わる。日常性が崩壊し、いまだ再建の時は遙かに遠く思われる、戦後の過渡期の束の間の時間性ゆえに、あり得ないようなメロドラマが、日常性の尾びれをひきずりつつ映像表現にとどめたのである。

以下、goo映画

あらすじ - ひまわり(1970)

あらすじ
貧無目的とも云える彷徨しいお針子のジョバンナ(S・ローレン)と電気技師のアントニオ(M・マストロヤンニ)は、ベスビアス火山をあおぐ、美しいナポリの海岸で出逢い、恋におちた。だが、その二人の上に、第二次大戦の暗い影がおちはじめた。ナポリで結婚式をあげた二人は、新婚旅行の計画を立てたが、アントニオの徴兵日まで、一四日間しか残されていなかった。思いあまった末、アントニオは精神病を装い、徴兵を逃れようとしたが、夢破ぶられ、そのために、酷寒のソ連戦線に送られてしまった。前線では、ソ連の厳寒の中で、イタリア兵が次々と倒れていった。アントニオも死の一歩手前までいったが、ソ連娘マーシャ(L・サベーリエワ)に助けられた。年月は過ぎ、一人イタリアに残され、アントニオの母(A・カレナ)と淋しく暮していたジョバンナのもとへ、夫の行方不明という、通知が届いた。これを信じきれない彼女は、最後にアントニオに会ったという復員兵(G・オノラト)の話を聞き、ソ連へ出かける決意を固めるのだった。異国の地モスクワにおりたった彼女は、おそってくる不安にもめげす、アントニオを探しつづけた。そして何日目かに、彼女は、モスクワ郊外の住宅地で、一人の清楚な女性に声をかけた。この女性こそ今はアントニオと結婚し、子供までもうけたマーシャであった。すべてを察したジョバンナは、引き裂かれるような衝撃を受けて、よろめく足どりのまま、ひとり駅へ向った。逃げるように汽車にとびのった彼女だったが、それを務めから戻ったアントニオが見てしまった。ミラノに戻ったジョバンナは、傷心の幾月かを過したが、ある嵐の夜、アントニオから電話を受けた。彼もあの日以後、落ち着きを失った生活の中で、苦しみぬき、いまマーシャのはからいでイタリアにやってきたとのことだった。まよったあげく、二人はついに再会した。しかし、二人の感情のすれ違いは、どうしようもなかった。そして、ジョバンナに、現在の夫エトレ(G・ロンゴ)の話と、二人の間に出来た赤ん坊(C・ポンテイ・ジュニア)を見せられたアントニオは、別離の時が来たことを知るのだった。翌日、モスクワ行の汽車にのるアントニオを、ジョバンナは見送りに来た。万感の思いを胸に去って行く彼を見おくるこのホームは、何年か前に、やはり彼女が戦場へおもむく若き夫を見送った、そのホームだった。

キャスト(役名)
Sophia Loren ソフィア・ローレン (Giovanna)
Marcello Mastroianni マルチェロ・マストロヤンニ (Antonio)
Lyudmila Savelyeva リュドミラ・サベーリエワ (Masha
Anna Carena アンナ・カレーナ (Antonio's Mother)
Germano Longo ジェルマーノ・ロンゴ (Etolle)
Glauco Onorato グラウコ・オノラート (Returning Veteran)
Carlo Ponti Jr. カルロ・ポンティ・ジュニア (Giovanna's Baby)
スタッフ
監督
Vittorio De Sica ヴィットリオ・デ・シーカ
製作
Carlo Ponti カルロ・ポンティ
Arthur Cohn アーサー・コーン
製作総指揮
Joseph E. Levine ジョゼフ・E・レヴィン
脚本
Cesare Zavattini チェザーレ・ザヴァッティーニ
Antonio Guerra アントニオ・グエラ
Gheorgis Mdivani ゲオルギ・ムディバニ
撮影
Giuseppe Maccari
Giancarlo Ferrando ジャンカルロ・フェランド
音楽
Henry Mancini ヘンリー・マンシーニ
編集
Adriana Novelli アドリアーナ・ノヴェッリ


以下、名画倶楽部より

終着駅
原 題 : Stazione Termini
(Indiscretion of an American Wife)
製 作 : ヴィットリオ・デ・シーカ、ディヴィッド・O・セルズニック
脚 本 : チェーザレ・ザヴァッティーニ
監 督 : ヴィットリオ・デ・シーカ
撮 影 : G.R.アルド
美 術 : ヴァジリオ・マルチ
衣装デザイン : クリスチャン・ディオール
音 楽 : アレッサンドロ・チコニーニフランコフェラーラ


〈配 役〉
メリー : ジェニファー・ジョーンズ
イタリア人青年(ドリア) : モンゴメリー・クリフト
ポール : リチャード・ベイマー


解 説
 この作品の監督ヴィットリオ・デ・シーカは、ロッセリーニヴィスコンティと共に戦後イタリア映画の芸術的潮流であり、また世界の戦後映画の流れを変えた<ネオレアリズモ>の創始者の一人です。<ネオレアリズモ>とは、新しいリアリズムという意味のイタリア語で、現実(貧しさや社会的矛盾)を直視する態度、ドキュメンタリー的な撮影方法、ロケーションを主体とする現場主義、即興的な演出などがその特徴で、デ・シーカ作品では、1940年代後半の作品である「靴みがき」「自転車泥棒」がその典型的な作品とされています。1950年代に入り、イタリア社会の経済復興にともなって映画芸術運動としての<ネオレアリズモ>はそれぞれの映画作家のもとで分化し解消に向かいます。「終着駅」は、デ・シーカが<ネオレアリズモ>以降の新たな展開を模索していた時期の作品で、ハリウッドのプロデューサー、セルズニックとの合作映画となりました。

 物語は、ローマ・テルミニ駅を舞台にアメリカ人の人妻(メリー)とイタリア人青年との離別を描いたメロドラマです。デ・シーカは、当時新築された大理石とガラス張りのテルミニ駅全体を映画セットと見立てて、完璧なリアリズムの手法で‘終着駅’を映画的に構築しました。メリーとイタリア人青年とのきめ細かな恋愛描写とともに、二人をとりまく駅を行き交う人々(出稼ぎの家族、神父さんの団体、スリや酔っぱらい等々)の描写もまさに<ネオレアリズモ>の巨匠ならではのものです。そしてこの映画の特筆すべき演出手法は、描かれていくドラマの進行時間と映写時間が一致している点です。このドキュメンタリーの究極とも思える演出手法によって、観るものを完全にこのドラマに引きずり込んでいます。私たちは、この二人の男女の激しくそしてせつない別れを目撃したテルミニ駅に居合わせた乗客のような気分にさせられています。デ・シーカは‘愛の物語’を彼ならではのリアリズム手法で描き、映画史上前例のない濃密なメロドラマを作り上げたのです。

 主人公メリーを演じたジェニファー・ジョーンズは、「聖処女」でアカデミー賞主演女優賞を獲得したハリウッドきってのスター女優で、当時のハリウッドで‘恋する女の気持ち’を演じては右に出るものはいないと評されていました。‘恋する人妻’の揺れる心、心を乱しながらも高ぶっていくラブシーンの情熱的な表情など、この作品での彼女の演技は素晴らしく、「慕情」と共に彼女の代表作となりました。また、イタリア人青年の純粋で一途な気持ちを好演したモンゴメリー・クリフトのこの作品への貢献も見逃せません。甥のポール役を演じたのは、後に「ウエストサイド物語」でトニーを演じたリチャード・ベイマーです。

山縣義彦