アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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木下恵介の『風花』(1959年)――美しき日本のために アリアドネ・アーカイブスより

木下恵介の『風花』(1959年)――美しき日本のために
2013-12-06 20:16:11
テーマ:映画と演劇



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・ 橋は人を運び、時を運ぶと云うのが映画『笛吹川』のテーマであったが、時の橋は抜き差しならぬ形で人を駆り立てもてあそび、幻影のように押し流すのであった。

 信州善光寺平を舞台とする、一本の橋がある橋を囲んだ風景のドラマ、橋を包むようで囲繞するような山脈と、藁葺き屋根のある群落の人の営みの風景は、姑息因循の伝統的な旧家の差別と迫害の中で、酷薄で苛烈であるように見えても、人々の内面が取り立てて具体的に生々しく描かれることはなく、ふるい日本の原風景と一体になったかのような冬の風物詩である。題して『風花』と云う。風花とは、冬の日に凍った水滴が風のように運ばれて、冬の陽に硝子の切片か花びらのように煌めく自然現象をいう。村を去っていく不運な母と子はこれを幸先の良い未来の恵みとして受け取る、と云う映画である。

 伝統的な因襲的な旧家の階級制社会と村落共同体の中で、恋を貫くために心中した次男と小作の娘が、あろうことか、娘の方だけ九死に一生を受けて生き残る。次男を奪われた当主の怒りは凄まじく、ことあるごとに差別と虐待を受ける。自分だけならいいのだが、生まれていた赤子は「捨雄」と名付けられ、地域社会でも蔑視の対象となり、子供の世界でも差別の対象となる。これだけ読めば陰気なよくある昔のおしんもの、と思われるかも知れないが、回想と点滅する現在時制の説明を省いたモンタージュめいた乾いた映像処理は容易に内面を描かない。むしろ母子の喜びも悲しみも、それを包み込む信濃善光寺平の雄大な自然と一体化した風物詩として描かれているかのようである。

 岸恵子演じる母親は、忍従に耐える罪の女を演じている。意思も感情も枯れ果てたかに見える彼女が、唯一、捨雄と姉弟のように過ごし、いまは嫁いでいく旧家の一人娘への慕情の発露を、あろうことか、静かに背中を押すように肯う。背景には、戦前から戦後にかけての農村社会を襲った激変と農地解放がある。旧家の大旦那も土地を手放してただの百姓になる。戦後の価値の転倒の中で激怒のあまり狂い死にするような形で事故死する。残された東山千栄子演じる老妻はせめて、養子の来てのない没落した旧家の一人娘のために、どうにか相応しいと云えそうな縁談に満足する。娘は愛なき結婚を目前に時代の動静と鼓動を感じながらも、友人の自由恋愛を羨ましいながらも無言の命運として受け入れる。しかし家の意思そのものであったかにみえた箱入り娘にも、捨雄の純情を結婚の日の前夜、目の当たりに見て、静かに受け入れる。

 四方を山に囲まれた村落の、縹色にくすんだ連なる藁葺き屋根の群落の侘び寂た日本の伝統的村落の、今は失われた風景の美しさ、この美しき風景の中には一本の長い長い欄干をかいた素朴な木橋があって、時も人の生死も、喜びも悲しいも全てが風のように取りぬけた、と云わんばかりなのである。この同じ木橋が次作『笛吹川』において、武田一族の崩壊を背景に、橋のたもとの一軒家に生きた親子三代の離散死滅の物語として語られることになる。橋の上を個人の運命だけでなく、歴史もまた馬上遥かに過ぎて行ったのである。

 本作『風花』においても、紋付き袴姿の婚礼の行列や、戦地に見送る村人の陰にこもった唸りのような群声の高まりを、遠く遠く、長焦点距離のカメラアングルで、手の届かないようにもどかしい懐古的な映像美の中に描き留めている。
 その日本の原風景ともいえるたおやかな山脈と広大な川が静かに蛇行する流れの中に、またもや一本の欄干を欠いた素朴な橋があるのであった。橋は人間のドラマを貫くように頼りなく水平に横に伸びて、人が生き死にしたあとの静寂を象徴する。保田与輿重郎に『日本の橋』と云う著名な本があるが、どこか儚く無常に伸びた一本の橋を点景とする日本の風土、山と川のある風景は、日本人の民族の根底に蓄積した、原風景なのである。私たちの遥かな神代の祖先が、遠い流浪の果てにめぐりあった約束の土地の記憶なのである。

 木下恵介は、当時の最先端のカラー映画を撮る僥倖にめぐりあう千載一遇の機会を利用して、古典的なドラマの設定の中に典型的な日本の風景の美しさを描きとどめようとした。時は何といっても高度成長期直前の日本なのである。映画監督が同時に映像詩人でもありうることは、この場合偉大な映画史への寄与なのである。同時に、国際化の果てにフランスより帰国した女優への、暖かい歓迎と励ましの謂いでもあった。川津祐介の寡黙で繊細な演技もよい。